――冬。空気が澄み渡っており、夜空には無数の星が輝いている。私は一人、小高い丘の上にある公園で、ベンチに座りながらそんな夜空を見上げていた。
 気が付けば流れ星が流れそうな程に、綺麗な星空で。こんな景色を一人で独占するのはどうなのか、と少し躊躇ってしまいそうにもなる。
 だけど私の隣には誰も居らず、誰も呼びたくない。そんな複雑な心境の中で見上げる夜空は、心なしか見覚えがあるように思えた。
 ……こうして一人で夜空を見上げたのは、何時ぶりだろう。私は独りを好んでいる訳では無く、それでいて人と共に過ごす事も好んでいる訳では無かったものの、気が付くといつも私の周りには沢山の人が居た。
 だから、こうして『独り』を味わうのは本当に久しぶりなのかもしれない。私は、こんな感覚を以前にも抱いた事がある。

 ――あれは、優が事故に遭ってからの事だった。

 弟である優が事故に遭った事によって、私の家庭は崩壊の一途を辿る事になってしまった訳だけど、それでも優の事を恨む訳でも無く、私はこうして一人で公園に来たんだっけ。
 私に残されていた物は、歌だけで。誰も居ない公園でひっそりと、ただ一人で、夢中になって歌い続けた。今日と同じように綺麗な星空の下で、ずっと。
 不思議とそこに悲しみや憎しみと言った感情は無く、歌声と共に夜空に吸い込まれていくようにして、声が枯れるまで歌った。私が歌に対して強い『執着心』のような物を抱くようになったのは、それからかもしれない。
 ――あの星空の向こう側で、歌っている私の事を優が見守ってくれているような気がしたから。私の歌を喜んで聴き、そして「歌って」と言ってくれる唯一の観客だった弟が。
 もう居る筈も無いのに、そんなただの思い込みから生じた安心感のような物が、絶望の淵に立っていた私の事を励ましてくれた。正確には『自分で自分を励ました』と言う事になってしまうのかもしれないけれど。
 しかし、それでも私はそんな安心感に背中を押され、歌い続ける道を選んだ。亡き弟の為に。星空を越えたその先で見守ってくれている優の為に。
 ……とは言え、それが私にとって最善の選択だったのかどうかは、今でも分からない。歌い続ける為に私は『アイドル』と言う立場に立つ事を決め、765プロダクションに所属する事にした事は、果たして正解だったのか。
「千早ちゃん?」
「……!?」
 ふと聞こえてきた声にはっとし、座りながら後ろに振り向くと、そこには何故か春香が立っていた。
「捜したよ、何処に行っちゃったのかなーって」
「春香……えっと、私……」
 私は家に帰ると言って事務所を出た筈なのに、何故捜されていたのだろう。今日は何か特別な日と言う訳でも……?
「今日は千早ちゃんにとって大切な日なんだから、ダメだよ。それとも、忘れてたの?」
「今日が、私にとって大切な日……?」
 思い出に浸っていたからか、全く思い出せない。何かに悪戯をされているように、私が『それ』を思い出そうとしている事を阻害されているようで。
「プロデューサーさんも急いで追って来てるから、ね?」
「プロデューサーも……?」
 春香だけでなく、プロデューサーまでも私の事を追って来ていると言うのは、どういう事だろう。それは私にとっての大切な事と言う訳では無く、言ってしまえば私を中心として集まっている周りの人間にとっても大切な事なのかもしれない。
「本格的に、忘れちゃってるかな……? 空も綺麗だし、仕方無いか」
「……ごめんなさい、どうしても思い出せなくて。何か一人でこうしていたら、思い出に浸っちゃって」
 私が春香に向けて頭を下げると、彼女はふっと微笑んだ後、私の隣に座ってきた。
「ううん。思い出せないなら、思い出すまでこうしていたら良いんじゃないかな? もし良かったら、聞かせて?」
「そうね……思い出してたのは、優の事なんだけど」
 春香に敵う筈も無く、私は彼女と共に夜空を見上げ、先程まで思い浮かべていた事を話す事にした。
「私は優が交通事故に遭った後、一度だけこうやって公園に来た事があったの。たった一人で、目的も無く」
 春香は私の話を聞く事に専念しているのか、静かにしている。私はそれを踏まえた上で、言葉を続ける事にした。
「あの日も今日と同じように、星が綺麗な空で。私は全てを忘れたかったのか、何をしたかったのかは分からないけど、そんな星空に向けて歌い始めたの」
 まるで優に「歌って」と言われたかのようにして、私は空を見上げながら歌った。そこに居て、そこに居ないたった一人の観客に向け、夢中に。
「……笑われるかもしれないけど、あの星空の向こうで優が見守ってくれているような気がしたから。私に歌ってと言ってくれたような気がしたから、声が枯れるまで一人でずっと夢中で歌い続けた」
「笑わないよ、私も千早ちゃんの事を絶対に見守ってくれてると思うから。だから、大丈夫」
 春香はそう言って、私の話の続きを求めるようにして立ち上がった。私達以外には誰も居ない公園の中をゆっくりと歩き回った後、私の前でピタリと立ち止まって。
「もしかすると、私が歌い続ける事を選んだのって、それが原因なのかもしれないって思ったのよ。もう居ない筈の優が空の向こうで笑ってくれるように、私は無意識の内に歌い続けようと思ったのかもしれない」
 彼女は二、三回頷いた後、立ったまま夜空を見上げた。
「それが私にとって最善の選択だったのかどうかは今でも分からない、でもあの時の私はそうする事で何かを変えようとしたんだと思う。それが無ければ、私はこうやって春香と出会う事も、765プロに来る事も無かったから」
「千早ちゃん?」
 春香は私の方を真っ直ぐ向いて、普段と同じように私の名前を呼んできた。そしてそれに対する私の反応も、普段と同じように春香と視線を合わせるだけで。
「きっとそれは、千早ちゃんにとって最善の選択だと思ったから、そうしたんじゃないかな。だから、今はプロデューサーさんや他の皆も居るし!」
「春香……」
 ――私は、もうあの頃の私ではない。たった一人で此処に居る訳ではなく、春香のような『仲間』が居るのだから。
「こんな事を言うと怒られちゃうかもしれないけど、きっとあの夜空の向こうで見守ってくれてるよ。千早ちゃんが楽しそうに歌って、楽しそうにしてる所を沢山見せてあげたら良いんじゃないかな?」
「…………」
 私は黙って夜空を見上げ、手を伸ばす。無数の星々が輝く夜空の向こうで、本当に優は見守ってくれているのだろうか。

 ――そんな時、私の指と指の間を縫うようにして、すっと一筋の流れ星が。まるで本当に見守っているとでも言うかのように、私の中に空いた『空白』を突き抜ける。

「千早!」
 私が手を伸ばしていると、今度は春香の声ではなく、聞き慣れた男性の声。この声は、プロデューサーだ。
「ごめん、急いで追いかけたんだけどさ……」
「プロデューサー、今日は一体何の日だと言うんですか?」
 手を下ろし、疲れた様子のプロデューサーに問いかけると、彼は眼鏡をかけ直してから此方を向いた。
「……何って、今日は千早の誕生日だろ? お祝いしようと思ってたのに、主役である千早が帰っちゃったからさ、急いで追って来たんだよ」
「……!」
 完全に忘れていた。自分の誕生日だと言うのに、思い出に浸っていたからかすっかりと。
「私は、一人じゃない……?」
「何を言ってるんだ、当たり前じゃないか。千早が居ないと765プロは成り立たないぞ!」
 ふと、私の口から溢れ出た言葉に対し、プロデューサーが即答した。今の私には、こうして私の事を迎え入れてくれる仲間達が居る。そう考えると、私があの時選んだ選択は最善の選択だったのかもしれない。
 ――優が、教えてくれた。歌い続ける事で皆と出会い、そして幸せな日々を送れると言う事を。私は無意識の内にそれを汲み取り、無意識の内に判断していたかのように思える。
「だから、ね? 千早ちゃん、誕生日おめでとう!」
「春香、プロデューサー……ありがとう」
 これから何度誕生日が訪れるかは分からない、そしてその度に皆が私の事を祝ってくれるかどうかも分からない。
 ……でも、それでも歌い続ける事を選んだ事で、私の今がある。周りの皆が見せてくれる笑顔につられて、私まで笑顔になってしまう『今』が。
「よしっ、他の皆と合流だ! 祝い直すぞー!」
 私は春香とプロデューサーに連れられ、その公園を後にする事にした。恐らく、もう二度とこの場所に一人で来る事は無いかもしれないけれど、未練は無い。
 私の中にもう空白は無い、それらは皆が埋めてくれる。きっと優も私の事を『流星』と言う形で祝ってくれたのだと信じながら、私は皆と歩んでいく。

 ――私は優の為に、皆の為に、これからも歌い続けるから。だから、流星の彼方から、ずっと見守っていて。