このSSは千早父「娘はアイドル」アフターSSです 



 
「あなた……待って!」

 去りゆく元夫の背中を見送りながら、私はアリーナの通路に立ち尽くしていた。
 たぶんどこかで、あの人が一緒に千早と会ってくれれば、私は気が楽になるという所があったのかもしれない。あの人は、きっと私以上に千早に対して負い目を感じている、私にも。
 それは、もうどうしようもない事なのかもしれない。でも、千早がそうした様に、私もそれをあの人に対して……それはあくまで、私の勝手な思いに過ぎない。
 いつの間にかあの人の背中は、ライブ終了後のファンたちの人の間に消えてしまった。
 
「……」

 娘からの手紙をカバンから取り出す。
 短い文章に、あの子の思いが綴られていた。同封された写真には、彼女の周りの沢山の人達。彼女はもう、1人じゃない…。
 だとするなら、私が居なくても…等と思ってしまう私は、母親としてどうなのだろうか?
 そう、居なくても、大丈夫なのだろう、あの子はもう私という母鳥から巣立ったのだろう。でも、必要なのと、居ないと言うのは違う事だ。
 あの子は、まだ私を母親と思ってくれている。
 そして、私とまた、昔の様に話せるようになりたいと願っている…それは、私が勝手にそう解釈しているだけなのかもしれない。
 あの子が、千早がそうして私と再び向き合ってくれるのなら、私もまた、そうするべきなのだろう。

「如月さん、お疲れ様でした」

 真黄色の法被にサインライトホルダーを掛けた双海亜美、真美さんの父親が、私に声を掛けてきた。自分でも分かる位ぎこちなく挨拶をすると、相変わらずテンションの高い双海さんは続ける。
 
「今回のライブも凄かったですね!いやー、関係者席には無いアリーナ席の臨場感!いやぁ、関係者席を蹴ってでもアリーナに行った甲斐がありました……!」
「あなた、亜美と真美に挨拶に行くんでしょう?」

 今度は、奥様も来られた。奥様は私と同じ、関係者席からライブを見守っていました。

「おお、すまんすまん、んじゃ、如月さん、私達は娘に」
「……お会いに、なられるんでしょう?」

 双海さんの奥さんの気遣わしげな表情が、少し気まずかった。以前の千早の騒動の一件で、私と千早の関係は世間にも知られているから、双海さんもそう言う事を気遣ってくれたのだろう。

「……大丈夫ですよ、千早ちゃんなら」
「……あの子も、すっかり柔らかい笑顔を浮かべる様になりましたね。あの表情を、お母さんに見せてくれる日が来ると、私は信じてますよ」

 双海さんご夫妻が楽屋へと向かう通路を進んで行く。
 私は、しばらくその場で立ちすくんでいた。私が行ったら、千早はどんな表情をするのだろうか。
 
「おお、如月さん、今日はお忙しい中、来て頂き本当にありがとうございます」
 
 765プロの社長、高木順二朗さんが通路に居るスタッフや仕事関係の方々にあいさつを済ませながら私の所に来た。
 
「……以前のトラブル、私の力不足でした。娘さんにも要らぬ負担を掛け、お母様にもご迷惑を」

 頭を下げる高木社長に恐縮しながら、私は言葉を継ぐ。
 ああして千早がまた、歌えるようになったのは、社長のおかげです、と。
 
「いえ、天海君を始め、事務所のアイドル達皆のお蔭です、私は何も……」

 誇らしげに壁に貼られたポスターを見ている高木社長は、他のスーツ姿の男性に声を掛けられると、一礼して私の前を去った。
 ライブ後の片づけが行われている中を、私は進む。途中、すれ違った他のご家族ともご挨拶を済ませていくと、ある少女が声をかけてきた。

「あ、あの!千早ちゃんのお母さん……ですよね?」

 天海春香さんだった。そう、あの時、事務所の前で私がスケッチブックを託した子だ。

「ライブ、来て頂けたんですね、本当にありがとうございます!」

 この子は、ライブのリーダーとして、本当に頑張っていた。あの時の気弱な表情は無く、そこに居たのは晴れ晴れとした笑顔を浮かべる、アイドルだった。
 
「……千早ちゃんは、まだ奥で待ってますよ」

 それに虚を突かれ、何も言えない私の背中を押す様に天海さんは続けた。

「……お母さんを、です……千早ちゃんは、前に進んでます、ちょっとずつかも知れないけど……私が言う事じゃ無いかも知れません、でも、千早ちゃんの気持ち、答えてあげて欲しいです」

 軽く頭を下げた天海さんは、お迎えに来られたご両親とそのまま帰った。通路には、私一人。
 楽屋のドアは、もう目の前だ。


 終