■STORYM@STER






[ 五分の一 ]

ガチャ バタン

 ブロロロ……

律子「ありがとうございます。傘忘れちゃって」

P「別に構わないよ。濡れ鼠で事務所に来られても困るから」

律子「……こういうわがまま聞いてもらえるのも、後少しですしね」

P「そうだなぁ」

律子「……はぁ」

P「そういえば、さっきげた箱で一緒に居た男の子は」

律子「ああ、クラスメイトです。傘、貸してくれるって……でも、申し訳なくて」

P「そうか。まぁ、借りなくて正解だよ」

律子「アイドルだから?」

P「それもそうだけどさ。余計な気を持たせるようなことはするな、と」

律子「私、そんなつもり……」

P「律子は天然の男殺しだからなぁ」

律子「それ、本気で言ってる?」クスッ

P「本気も本気だ」

律子「ちょっと、ちゃんと前向いて運転」

P「ああ、うん」

律子「……私、そんなにアレですか? その、人気ないと思いますよ」

P「クラスの男の子が可哀想に思える程度にはアレ」

律子「そうですか……」

P「さっきの男の子だって、モノ欲しそうな顔してたぜ」

律子「まさか。彼に限って」

P「ま・さ・か?」

律子「……なんですか」

P「律子は自己評価だけ、最初からやり直したらいいんじゃねぇかなぁ」

律子「はぁ……あの、いっつも言ってますけど、的確な自己分析だと思いますよ」

P「いっつも言ってるけど、的外れな自己分析だと思うぞ」

律子「買い被りすぎです」

P「お前は……いや、いいや。今更言ったってしょうがねぇ」

律子「そうですよ。今更……」

P「……今更、撤回したいってんなら、そうしてもいいぞ」

律子「出来るんですか?」

P「俺に不可能はない」

律子「馬鹿みたい。いいえ、撤回しません。女に二言は無いです」

P「……らしいや」

律子「頑固で、かわいげがない?」

P「かもな」


キッ


P「かわいげのねぇ奴だよ」

律子「……ふん」

P「律子、ちょっとこっち向いて」

律子「や、です」

P「早くしないと信号が変わっちまう」

律子「……それ、どういう、って!」

P「……ん。ありがとう」

律子「なっ、な、プロデューサー!」カァァ


 ブロロロ……


律子「あ、あの……!」

P「明日からまた忙しくなる」

律子「それは分かってますけど……」

P「最後まで気を抜かず頑張ろう」

律子「……あー、もう」グイッ

P「うわ、おい……って」

律子「ん、お返し。ほっぺにだけど、ね」

P「……くくっ、ホントにかわいげのねぇ」

律子「言っときますけど、最後じゃないです。この先も頑張るんです」

P「そうだなぁ」

律子「二人でね」

P「……そうだな」

律子「二人よ? これからも」

P「今までと同じく……?」

律子「そうね」


 雨の中を鉄の獣が駆けてく。一対の肺が笑った。


[ 五分の三 ]

 帰宅してすぐ、パソコンを立ち上げた。ブラウザを起動して、公式ホームページにアクセスする。単なる噂話は、単なる事実に変わってしまった。
 秋月律子、引退。
 ――嘘だろ。僕は震える手でキーボードを打った。
『律子ちゃんが引退するらしい』
 いつもは数十秒も間を空けず返信をする彼は、この夜はずっと無言を保っていた。僕も早々に電源を落として、何をするでもなく、漠然とした空虚さに身を任せた。

 翌日の教室は律子ちゃんのことで盛り上がっていた。台風の目たる律子ちゃんは今日も休みだ。

「だって、シングルが二枚と……アルバムが一枚? で、もう引退って早くない?」
 シングルは三枚だ。口を出して、訂正したくなる。代わりに溜息を小さく吹いて、文庫本のページを捲った。何十回も読んだ物語だった。もはや面白いんだか、面白くないんだか分からない。

「なぁ……嘘だろ?」
「あ、お前ショックなんだ?」
「ファンだからな」
「それ言うなら、このクラスのほとんどはファンだって」
 ほとんど、というところが引っかかった。律子ちゃんの話で盛り上がってる、所謂クラスの中心のグループ。それに参加していない、僕のような人間は律子ちゃんのファンじゃないってわけだ。
 僕の溜息はチャイムの音でかき消された。文庫本をしまって、先生を待つ間、話題の中心である右斜め前の空席の主を想った。


「秋月さん」
 呼ぶと、律子ちゃんは振り返った。湿った、柔らかく暗いげた箱。
 外ではパタパタと雨が降っている。十月半ばの雨は身体を冷やす。僕は嫌いだ。
 確認作業のように僕の名字を口にしてから、律子ちゃんはどうしたの、と言った。

「雨、降ってるね」
「あ、うん……降ってるね」
「傘……」
「あはは、それが忘れちゃって。天気予報見たんだけどね、いいかなーって」
 僕は手に持った傘をちょっと前へやった。律子ちゃんは怪訝そうに僕の顔を覗いた。胸がくすぐったく跳ねた。

「傘、使わない? 僕、家近いし」
「あー……ありがとう。でも、いいよ。迎え、頼んだから」
 律子ちゃんは手に持った携帯を振った。僕は傘を持った手を引っ込めた。顔が熱くなる、それから吐き気も少しだけ。
 それきり二人が黙ると、しん、とした空間に軽い雨音が現れては消えた。

「……秋月さん、アイドル辞めるんでしょ?」
「えっ、と……うん。みんな話してるもんね」
 僕は、みんなより先に知っていた。その僕より先に知った彼と、それより前に辞めることを決めた律子ちゃん。彼女の気持ちを、直接知りたいと思った。

「どうして?」
 律子ちゃんはちょっと困ったように笑った。柔かい笑顔だったけど、どこか拒絶している風でもあった。

「どうして、どうして……って」
 くるり、と僕の方へ向き直る。靴がきゅっと音を立てた。スカートがひるがえった。僕は律子ちゃんに見惚れた。

「あなたも、あの人と同じような訊き方するんだっ」
「あの人って……」
「なんでもいいじゃない。辞める理由なんか、いくらでもあるわよ」
 律子ちゃんは珍しくトゲのある言い方をしていた。それは、僕に対してのトゲなのか。それともあの人か。もしかしたら律子ちゃん自身に対してのトゲなのかもしれない。
 初めて、こんな言い方をする律子ちゃんを見た。僕は嬉しくなった。

「はぁ……どうしてか……」
 律子ちゃんの言葉を待っていたけど、ずっと黙ったままだった。また、雨音が僕らの隙間を埋めていった。
 やがて、律子ちゃんの携帯が鳴った。僕らの静けさは奪われた。

「じゃあね」
 驚かされた魚のように、律子ちゃんは外へ出ていった。すぐのところへ、車が停まっていた。あの人、だろうか。
 僕はただ一人で、かき消されそうな雨音の中に立っていた。


 律子ちゃんの最後のサイン会。いつものように、ネットで仲間と約束して出掛けた。
 僕は会場に着くと仲間たちと別れて、列から距離を取って遠くから律子ちゃんを眺めた。

「りっちゃん、変な目してましたよ」
 僕の分を一つ余計にサインを頼んだ彼は嬉しそうに言った。一つ余計に、ってことは余計に律子ちゃんの傍にいる時間が増えるわけだから、彼は喜んでこの任務を受けてくれる。
 その彼に、今日も僕はサインを頼んだ。引退宣言の当日、僕のメッセージへ返信すらできないくらいに落ち込んでいた彼だけど、段々と元気を取り戻した。

「見送りが泣いてちゃしまらねぇな」
 彼は一段と男らしい顔つきで、律子ちゃんの新曲を買いに走った。
 そして、今日、その最後の新曲の発売を記念してのサイン会だ。

「疲れたな」
 呟いて、ベルトコンベアの上の製品みたいに流れている人の列を見た。
 律子ちゃんは笑顔を崩さず、サラサラとサインを書き、握手して、人を捌いた。
 サインを書き、握手をして、人を捌く。まるで機械だ。僕は急に嫌になった。
 ニコニコと笑う機械のような律子ちゃんには、あの人を想う面影なんて無かった。
 僕はポケットから携帯を取り出した。カメラの画面に切り替えて、フレームの中に律子ちゃんを閉じ込めた。綺麗だ。
 ボタンを指で押さえたところで、左肩を掴まれた。全身とその中身が跳ねた。
 慌てて振り返ると、スーツの男性が僕を睨んだ。

「へい、あんたストーカー? やな奴だな。今日はサイン会だ。撮影会じゃないんだぜ」
 彼は、それにそんなちんけな物で律子を撮るな、と舌打ちした。

「ぼ、僕はっ……」
「ちょっとこっち来い」
 腕を掴まれてぐいぐいと引っ張られる。律子ちゃんの方を見ると、ちょうど仲間が握手を終えたところだった。

「おぉい!」
 僕がそう叫ぶと、彼らは傍に走り寄ってきてくれた。

「お前らグル?」
 僕の髪が彼の声で揺れた。グル。この人は勘違いしている。彼らに注意を逸らさせて、僕が律子ちゃんを撮ったのだと。
 僕には律子ちゃんの前に出られない理由があるんだ。

「や、グルって言うか……まぁ、トモダチですけど」
「お友達、か……。まぁ、なんでもいいや」
 彼は構わず僕を引っ張って、裏手まで連れて行った。仲間たちは心配そうに僕らの後を追った。

「おい、携帯出せ。撮ったもん出せよ」
「……い、いやです」
 彼は乱暴だった。出して、撮ったもの消して……いや、今までに撮った遠すぎる律子ちゃんの写真だって、間違いなく消されるに違いない。
 僕は嫌だった。律子ちゃんとの思い出は、それしかなかったから。

「プロデューサー、やっと終わりましたよ……って、何してるんです?」
 律子ちゃんが戻ってきた。僕は泣きたくなった。

「こいつ、盗撮の事実を認めねぇ」
「……と、盗撮じゃ」
「盗撮じゃねえならなんだよ。撮影会じゃねーんだぞ。携帯出せ」
 律子ちゃんは僕と"プロデューサー"のやりとりを見て、驚いたみたいだった。当たり前だ。クラスメイトが自分のプロデューサーと言い合ってて、しかも、盗撮の疑いまであるのだから。
 そして僕は、律子ちゃんの生のままの驚きを感動すらして見つめていた。あの表情は、僕の見た律子ちゃんのトゲの形をしていた。

「あの……プロデューサー。そのくらいにしませんか?」
「なんで。律子、お前のためだ」
「いや……あのぉ…………クラスメイトなんです」
 その場に居た全員が僕を見た。プロデューサーと、ゆかいな仲間たち。
 プロデューサーは一旦僕から目を離して、律子ちゃんの目を見た後、頭を振った。

「……はぁ、もう……いいよ、じゃあ……仕方ない。ほれっ、帰れ帰れ」
 彼は掴んでいた腕を離して、ヒラヒラと掌を振った。

「律子に感謝しろよ」
 僕は熱くなり始めた胸元と目頭を抱えて、律子ちゃんを見た。律子ちゃんは困り顔をすぐに笑顔に変えた。

「またね」
 僕は返事をしなかった。機械の律子ちゃんでも、やっぱり好きだった。そして機械の律子ちゃんですら、僕を好きでいてくれないのだと気付いた。
 僕は泣きながら走った。家に着いたのはお昼過ぎ頃だった。泣きながらカップ麺を食べた。
 その日は、ずっと泣き通しだった。


 不思議なもので高校も卒業だった。
 律子ちゃんはラストライブを終えてからは、ちょくちょく学校に来るようになった。
 アイドルを辞めてから、メディアで取り上げられることは無くなったけど、クラスでの人気は健在だ。あらゆる人が律子ちゃんとの繋がりを求めて、群がった。
 僕はその群がりに居ない。今も。

「もうアイドル辞めちゃったし、好きなら好きって言うべきじゃないか?」
 ネットで親しくしていた彼の言葉だった。あの日から付き合い方が変わらなかったのは彼と、律子ちゃんだけだ。

「僕は良いんだ。律子ちゃんが辞めたからって、ファンは辞めない」
 そう、悟ったことを言えるようになった。彼はもう何も言わなかった。
 僕は律子ちゃんのあの表情を、あのトゲを忘れられないままだった。律子ちゃんの本当は、あのトゲだった。僕に突き刺さったあのトゲは、確実に僕を腐らせているような気がした。
 僕は律子ちゃんが好きだった。普段見せている機械のような動作も好きだった。だけど、律子ちゃんの本当はあのトゲだった。
 僕の知っているあのトゲのことを、何時、律子ちゃんに暴露してやろうかと待ち伏せているうち、卒業式がやってきた。
 僕、馬鹿みたいだ。

 ぼんやりと柱の傍に立っていると、横から小突かれた。
「憧れのりっちゃんに、別れの言葉言っとけよ!」

 僕が律子ちゃんの大ファンということがどこからか露呈して、気味悪がられるどころか、むしろ好意的に受け止められた。
 みんな、律子ちゃんが好きなんだ。誰かが律子ちゃんを好きだと、みんな嬉しいんだ。
 ――だけど、その律子ちゃんは本物じゃないとしたら?
 僕はまた小突かれた。一歩前に、よろめくように出た。
 律子ちゃんの周りに群がっていた人々が、僕を避けた。律子ちゃんへの道が開いた。
 律子ちゃんはちょっと驚いた顔をした。
 それだ。それが律子ちゃんだ。

「あの……秋月さん……」
「……うん」
 僕らはぎこちなかった。初めて会ってから三年間、まともに言葉を交わしたのはほんの数回。すらすらと言葉が出てくるのは、きっと本物の僕じゃない。

「その…………律子ちゃん」
 呼び方を変えた僕を、みんなが見た。律子ちゃんも僕を見た。驚いた顔で。
 胸元をぐいぐいと熱が押し付けた。息苦しさ。
 目から涙が滴って、二度、三度と床に落ちた。雨のように。

「律子ちゃん……ずっと、応援してるから……!」
 僕は、律子ちゃんの手を取った。握り返されて、僕は戸惑った。顔を上げると、律子ちゃんは笑っているようにも、泣いているようにも見える表情をしていた。機械で、本物。
 僕は初めて律子ちゃんと握手をした。


[ 五分の一 ]

 ラストライブの日は雨だった。
「プロデューサー!」
 ステージが終わって裏へ回ると、私は真っ先に彼を探した。すぐ見つかった。
 全速力で走り寄って、勢いで飛びついてやると、彼は目をパチクリとさせた。ざまーみろ!

「プロデューサー! 観てたでしょう! 最高でしたでしょう!」
「あ、ああ、もちろん」
 抱きとめて、ととと、と彼は後ずさった。いっつも偉そうなくせして、体力ないんだ。
 私は少し身体を離して、目線を上げた。顔の近さに驚いた。
 今日は私のアイドルとしての最後の活動、ラストライブを行った。規模はそこまで大きくない。けど、今までで一番大きな箱だった。私みたいなぺーぺーに、ワンランク上のステージを最後の日に用意してくれたプロデューサーはとっても優秀なんだって、全世界の人に自慢したかった。

「律子、本当にお疲れさま。最高のライブだったよ」
「あははっ、なんだか、あなたに褒められるとむず痒いですね」
 初めての気持ちだった。アイドルになってから初めてだらけだったけど、本当に正真正銘初めての気持ちだった。
 この初めてのラストライブは、今までに感じた初めてよりもずっと多くのことがあった。自分の心の中に溶け込んで、弾けるような、気持ちだった。
 文字通り、最初で最後。ライブの前はどこかどろっとした気持ちだったけど、今では清々しさがある。最後なんだ。最初で最後。

「私の最初で最後を、プロデューサーが飾ってくれた。本当にありがとう」
「よせよ」
 プロデューサーはくすぐったそうに笑った。この憎たらしい人間は、愛らしい人間は私を正真正銘のアイドルにして、最高の時間に閉じ込めて、放った。
 全ての物が素晴らしい。
 私は笑って、特注のドレスの裾を揺らした。
 プロデューサーは何時になく優しげに笑い返した。

「律子、せっかくの衣装だ。最後に二人で……」
 プロデューサーは私の手を取って、優しく身体を離させた。腰に手を当てて、ゆっくりと私を引いていく。

「えっと……ワルツ?」
「かな。音楽がないと寂しいか」
 プロデューサーはワルツのリズムを口ずさんだ。
 ずんたったーずんたったー……。

「あははっ、ちょっと……目が回ります」
 プロデューサーはもう、何も言わなかった。くるり、くるりと私と、この舞台裏を回る。
 彼に身を任せていると、頬を、ぬるい何かが伝った。
 もう、とっくに枯れたと思ったのにね。また泣いちゃった。
 プロデューサー、もう少しだけこのまま、私の目を回したままでいて。

 私はこの舞台裏の円舞が永遠に続くんじゃないかと思った。
 次の日は晴れだった。