雨が、埃にまみれた袴を濡らしてる 
路銀を使い果たしてしまった自分は小川の側にうずくまり、川面を流れていく紅葉を眺めてた

腰には一振りの刀 
たった一つの、父親の形見 

「父さん……」 

何度呟いてみても、応えてくれる人はいない 

(これからどうすればいいんだろ……) 

見知らぬ土地でツテも無い 
おまけに懐も空っぽ 
勢いだけで飛び出して来ちゃったことを、いまさらながら後悔してた
 
「これからどうしよう……」 

思ってたことを声に出してみても、やっぱり答えは返ってこない 

(辻斬り……追い剥ぎ……) 

頭の中によぎったそんな言葉を、慌てて追い払った 
だって、そんなことするくらいなら、潔く死んだほうがマシだもん 

「父さんのところに行こっかな……」 

悪い方向に考えがまとまりそうになってた、そんなときだった 

「お風邪を召しますよ?」 

背中越しに深く澄んだ声が聞こえたんだ
振り返った自分は、声の主を見て息を呑んだ 

えんじ色の小紋に朱色の唐傘 
それから淡く輝く銀色の髪 
その周りを、舞い落ちる赤と黄色の紅葉が彩ってる 

「天女…さま?」 

自分、思わずそう呟いちゃった 
だけどその人はちょっとだけ首を傾げたあと、微笑みながら、 

「ふふ。残念ながら、人間でございます」 

そう答えた
 
「えっと…自分は……」 

何から説明すれば良いか分からずにウンウン唸ってる自分 
そんな姿を見かねたのか、先に口を開いたのはあちらだった 

「当家にお越し下さい。何のおもてなしも出来ませぬが、雨露はしのげることでしょう」 

「えっ?でも……」 

戸惑いながら、汚れた袴に目をやった 
こんな格好で人様の家に上がるのは、さすがの自分も気が引ける……
そんな自分の気持ちを察したのか、 

「ふふ。遠慮は無用にございます。さぁ、参りましょう」 

そう言って一人で歩き出しちゃった 

「あっ、ちょっと待って!」 

急いで立ち上がると小走りでその人の前に立ち、大きな声で名乗った 

「自分、我那覇響って言います!…じゃなかった…申します!」 

「……私は、四条貴音と申します」 

こうして自分は、貴音と出会ったんだ



 
「道場……?」 

案内された先は、古びた道場だった 
小さな門に掲げられた看板には、 

『四条流剣術 宗家』 

って書かれてる 

「どうやら響殿も剣術を嗜まれているご様子。ならばまずは、当家の道場にてお話を伺いましょう」 

「……はい」 

うながされるまま板敷きの道場に上がって、その真ん中辺りで対座した
かいつまんで話すのは苦手だから、小さい頃からのことを順を追って話した 
琉球に生まれ、十歳のときに父さんの実家がある黒井藩に移り住んだこと 
十二歳で初めて竹刀を握ったこと 
それまで琉球舞踊を教えてくれてた母さんは嫌がったけど、どんどん剣術にのめり込んでいったこと 
そして…… 
今年の春、父さんが討たれたこと 

「よろしければ、お父上のお名前を」 

「……我那覇公蔵」 

「沼倉無友流の名人として、世に聞こえた名です。それほどの方が……」 

父さんの命を奪ったのは、右袈裟からの一撃 
左肩から右脇腹にかけての遺骸の傷痕を見たとき、鮮やかすぎるその手並みに鳥肌が立ったのを覚えてる
 
「仇を討つ、と申されるのですね?」 

「うん……」 

「他人が口を挟むべきことでは無いのでしょうが…やはり、思いとどまるべきでしょう」 

「……」 

「仇討ちは世の誉れとはいえ、相手は公蔵殿を袈裟懸けに討ち果たすほどの手練れ 
 ましてやあなたは、年若い娘の身」 

それくらい自分でも分かってた 
まだ相手の名前すら分からないし、もし会えたとしても、自分の腕じゃあ万に一つの勝ち目も無い 
だけど…… 

「それでもやらなきゃ。だって自分は…侍の娘だから」 

それは自分の誇りでもあるから
 
「……お好きな竹刀をお取り下さい」 

立ち上がった貴音が、さっきまでとはまるで違う口調で言った 

「えっ?」 

「一手、ご指南を」 

まっすぐと自分の眼を見据えてる貴音 

「えっと…自分、こう見えても目録を貰ってるくらいには強いし… 
 それに、貴音殿に怪我させちゃったら悪いから」 

「ふふ…。どうやら『ご指南』の意味を取り違えておられるようですね」 

「それは…どういう……?」 

「『指南して差し上げます』と、そう申し上げているのです」
 
「あの…さ」 

さすがに腹が立った 

「そういう物言いは止めといた方がいいぞ。自分、けっこう短気だったりするから」 

貴音をたしなめるつもりそうで言ったけど、返ってきたのはさらに挑発的な言葉だった 

「はて?怒れば強くなるとでも?沼倉流の『目録』とやらは、ずいぶんと便利な代物なのでございますね」 

「おい!」 

板敷きを蹴って立ち上がり、貴音を睨みつける 
そこまで言うなら『指南』してもらおうじゃないか 
そんな気分になってた
手頃な竹刀を選んで何度か振ってみる 
横目で見ると、貴音はすでに竹刀を持って立ってた 
相変わらず、小袖のままで 

(籠手の一つでも撃ってやれば、痛くて泣きだすさ) 

そんなことを考えながら道場の真ん中に進み出て、貴音と向き合った 
竹刀を構えて、お互いに蹲踞(そんきょ) 
そして再び立ち上がったとき…… 

(なんだ…これ……?) 

まるで縫い付けられたように、動けなくなってしまった
気勢を上げるわけでもなく、動き回るわけでもない 
貴音は竹刀を正眼(中段)に構え、何気なくそこに立ってた 
ただそれだけなのに…… 

(大きい……) 

わけも分からずに圧倒されてしまった 
触れれば火を噴きそうだった父さんとは、まるで違う感覚 

「撃ち込んでも構わないのですよ?」 

自分の戸惑いを見透かしたような声に、カッとなった 
一足で飛び込み、竹刀を合わせる
絡めた竹刀を、素早く擦り上げた 
それと同時に左足を踏み出し、体を捻りながら逆胴を狙う 
琉球舞踊から着想を得た、自分の十八番 

「響は舞踊をやってるからな」 

そう言って父さんが誉めてくれた逆胴 

「さぁっ!!!」 

(捉えた!) 

声を上げながらそう確信した、次の瞬間 

「……え?」 

足下から響く、バンっていう乾いた音 
その音が消えると、右の手首に鈍い痛みが走った 

(籠手を撃たれた?いつ?) 

慌てて竹刀を拾い上げながら、貴音を見た 
相変わらず、何気なくそこに立ってるだけ 
顔には微笑みさえ浮かべてる
 
「さぁあああ!!!」 

気勢を上げて貴音を誘う 
だけどちっとも乗ってこない 
三度目の気勢を上げたとき、貴音が首を傾げながら言った 

「なぜ、そのような声を?」 

(えっ?) 

「声を張り上げれば、強くなった気がするのですか?」 

「……っ!!!」 

怒りに任せて竹刀を叩きつけた 
貴音はそれを軽く捌くと、体を崩した自分のガラ空きの脇腹に容赦なく胴を叩き込んだ
 
「う…ぐぅ……」 

脇腹を押さえて突っ伏した自分 
頭上からは貴音の声が降ってくる 

「怒りに身を任せるとは。『侍の娘である誇り』とは、その程度のものなのですか?」 

何か言おうにも、痛みに声も出ない 
だけど、情けないことに涙は出る 

「……悪いことは申しません。仇討ちなど諦めて、ただの娘として暮らしなさい」 

さっきまでとは違った憐れむようなその言い方が、さらに涙を誘う 

「自分は…自分は……」 

ようやく絞り出した声 
涙まじりの情けない声 
その声を、場違いなくらい明るい声がかき消した
 
「戻りましたぁ!」 

声のした方に目をやると、橙色の袷(あわせ)を着た女の子が立ってた 

「あっ、お客さまがいらしてたんですか!」 

突っ伏したままの自分とそれを見下ろしてる貴音を交互に見ながら、立ち尽くしてる女の子 

「やよい。響殿にご挨拶なさい」 

「は、はい!私、高槻やよいって言います!…じゃなかった、申します!」 

誰かさんと同じような自己紹介を終えると、深々とお辞儀をしながら両手を後ろに跳ね上げた
 
「やよい。響殿にお水を」 

「わかりましたぁ!」 

元気よく答えると、弾けるように駆け出したやよい 
貴音は自分の前に正座すると、心配そうな声で尋ねた 

「まだ痛みますか?」 

「……少し」 

ホントは少しどころじゃなかったけど、 
虚勢を張っちゃった 

「申し訳ありません。大人げないとは知りつつも、つい……」 

今度は困ったような声 
まるで、自分がした『おせっかい』を恥ずかしがってるみたいな
 
「私には響殿を止めだてする資格など無いのかもしれません。ですが、行けば斬られると分かっている人を送り出すことは、私には出来ません」 

貴音の言いたいことはよく分かる 
自分が貴音でも、たぶんおんなじだろうから…… 

「お水ですぅ!響さん、どうぞ!」 

「やよい。響殿とお呼びしなさい」 

「あ、ごめんなさい……」 

「はは…別に響さんでもかまわないよ」 

水を汲んできてくれたやよいも交えて、三人であらためて円座した 
脇腹の痛みはいくらか和らいでた
 
「響さん、かわいそうです……」 

貴音にしたのと同じ話を聞かせると、やよいは涙ぐみながらそう言ってくれた 
だけどこの頃の自分は、自分のことしか見えてなかったんだ 

「同情はあんまり嬉しくないかな……」 

「あ…ごめんなさい……」 

道場の中に広がる長い沈黙 
それを破ったのは貴音だった 

「……やよいは、ご家族総てを亡くしました」 

「えっ?」 

「野盗の群れに襲われたのです。かつてやよいが住んでいた村ごと」 

やよいに目をやると、うつむいて袷の裾を握りしめてた
 
「ご両親も、幼い弟や妹も、総て……。所用で当家を訪ねていたやよいだけが、難を逃れたのです。もう少しで三年が経つでしょうか」 


「……ごめん…自分……」 

「気にしないで下さい!私は気にしてませんから!」 

やよいの涙声を聞きながら、また情けない気持ちになってきた 
『自分だけが不幸』みたいな顔してたんだから 
それも、自分よりもはるかに不幸な経験をした相手に対して……
 
「やよいも響殿と同じことを申しているのですよ。まだ十四だというのに」 

「……同じこと?まさか」 

慌ててやよいを見ると、決意を込めた視線にぶつかった 

「私…私、みんなの仇を討ちたいんです!だから、貴音さんに剣術を」 

「無茶だよ!自分以上に無茶だ!」 

自分よりもずっと小柄なやよい 
それこそ、死にに行くようなもんだ 
抗議しようと貴音に向き直ると、自分が何かいう前に貴音が口を開いた 

「ただし、私より強くなれたら仇討ちを許可する、という条件付きです」 

そう言って片目だけで瞬いた
 
「貴音殿!」 

居住まいを正した自分は、貴音に向かって両手をついた 

「自分に…自分にも剣を教えて下さい!」 

板敷きに額を擦り付けながら、何度も叫んだ 

貴音は強い 
ひょっとしたら父さんよりも 

―この人と互角に打ち会えるようになれば 
そんな思いは間違いなくあった 

だけどそれ以上に…… 
この二人ともっと一緒にいたいって、そう思っちゃったんだ
たぶん貴音には、何もかもお見通しだったはず 
自分の弱さも情けなさも、何もかも 
日が落ちて薄暗くなった道場に、静かな空気が流れてた 

「私は厳しいですよ?」 

その言葉に顔を上げ、貴音の目を見つめた 

「耐えます!ぜったいに!」 

「……分かりました。ただし」 

「ただし?」 

「私のことは貴音とお呼び下さい」 

「だけど…弟子になるわけだから……」 

「それがあなたに剣をお教えする『条件』です」 

そう言って悪戯っぽく笑った貴音 
やよいも可愛らしい笑い声をあげてた
 
「じゃあさ…自分のことも響って呼んでほしい」 

12の頃から竹刀ばっかり振ってたせいか、自分には同じ年頃の女友達なんていなかった 
そのせいってわけじゃないけど…… 
なんて言うか…… 

友達になりたいって、そう思っちゃったんだ 
弟子入りしたばっかなのにね、自分 

「響、ですか…なにやら面映ゆいですね」 

「へへへ、自分も」 

道場の中に響いた、三つの笑い声 
このときから自分たちは、友達になったんだ 
家族のような、友達に
 
「響はもう少しどっしりと構えなさい。軽妙と軽率は違うのですよ?」 

「分かった!」 

「やよいはもう少し動きに変化を付けなさい。何事にもまっすぐなのは良いことですが、それでは狙い撃ちされてしまいます」 

「はい!」 

弟子入りしてから二月 
自分とやよいは日課である『三十本稽古』をこなしてた 
どちらかが先に三十本取るまで続く荒稽古 
疲れてきたからって少しでも手を抜くと、貴音から容赦ない言葉が浴びせられる
最初の半月は、十本目で腕が上がらなくなってた 
二十本目には二人とも板敷きに倒れ込んで、息も絶え絶え 
当然貴音は許してくれるはずもなく、最後の十本は剣術なんて呼べないような代物だった 

三十本目が終わると同時に気を失っちゃったこともあった 
そんなときは貴音に水を浴びせられて起こされた 
最後に貴音との立ち会いが待ってるから 

「構えなさい、響」 

そんなこと言われても、腕なんて上がらない 
だけど貴音はお構いなしで撃ち込んでくる 

(こんなの稽古じゃない) 

そう思ったことも何度かあった 
いや、毎日、かな?
一月が過ぎた頃 
自分の中で何かが変わった 
暗い洞窟を抜け出したような、そんな感覚 
二十本目を過ぎても、身体が動く 
貴音との立ち会いのときでも、腕は上がる 

「それが自然体というものです」 

不思議がる自分に貴音が言った 

「いままでのあなたはただの人形細工でした。竹刀を握っているだけの、お人形」 

「いまは?」 

「竹刀を握っている幼子、でしょうか?」 

……いちおう、褒めてくれたみたい
一月半が過ぎた頃、やよいも『自然体』を掴んだ 
全身から余計な力が抜けて、踏み込みも太刀筋も鋭くなった 

「なんだか身体が軽いかなーって!」 

そう言って嬉しそうにピョンピョン跳ね回ってたっけ 

やよいと自分の腕の差は、自分が五本取る間に一本取られるくらい 
最初の頃は十本に一本だったから、差を詰められたことになる 

悔しいけど、競い合える相手がいるのはやっぱり嬉しい
 
「ありがとうございました!」 

ちょうど二月目の稽古を終えたあと、貴音はどこかに出かけていった 
貴音は自分のことを話そうとしない 
お父さんがどこかの藩の剣術指南役だって話してくれたけど、深いところまでは聞けなかったんだよね 

「響さん、今日も踊りを教えて下さい!」 

稽古のあとでやよいに舞踊を教えるのも自分の日課になってた 
はじめは照れくさかったけど、いまでは自分も楽しんでる 
やよいの嬉しそうな顔を見るのは好きだしね 

いつものように舞踊の稽古をつけてたとき、誰かが道場を訪ねてきた
 
「あ、伊織ちゃん!」 

道場の入り口には、高価そうな桃色の打ち掛けを着た女の子 
最初、どこかのお姫さまかな?って思っちゃったよ 

「……アンタ誰よ」 

そんな自分の感想が伝わっちゃったのか、刺すような視線を自分に向けてきた 

「自分、我那覇響。貴音の弟子なんだ」 

「弟子ねぇ。どこに住んでるのよ?」 

「え?どこって、ここに居候させてもらってるけど……」 

「い、居候ですって!じゃあなに?やよいと一つ屋根の下に暮らしてるってわけ?」 

「うん!響さんも私の家族なんだもん! お姉ちゃんだよ! 」

「か、家族!?お姉ちゃん!?」 

……なんかめんどくさそうだぞ、この子
 
「そんなところに立ってないで、伊織ちゃんも中に入りなよ」 

「い、言われなくてもそうするわよ!お邪魔します!」 

……やっぱりめんどくさそうだぞ、この子 

「女だてらに竹刀なんて握っちゃってさ!何が楽しいのかしら、まったく!」 

「私はみんなの」 

「アンタに言ってんじゃないわよ!」 

「う……」 

……どうやら自分に言ってるみたい 
仕方ないから、事情を説明することにした
 
「……へぇ。アンタも仇討ちを、ねぇ」 

「いまの自分には無理だから、貴音に指南してもらってるんだ」 

水瀬伊織というその子は、反物を扱う商家の娘らしい 
それもただの商家じゃなくて、京都の内裏や全国各地の大名にも反物も納めるような大商家 
経緯までは話してくれなかったけど、やよいとは十年くらいの付き合いがあるみたい 
当然、やよいが背負ってる物も知ってる
 
「やよい?」 

「なぁに、伊織ちゃん?」 

「お水をもらえないかしら?」 

「へっ?分かった。ちょっと待っててね」 

やよいが水を汲むために道場から出て行くと、伊織が真剣な眼差しを向けてきた 

「……どしたの?」 

「私は商家の娘だから、アンタたち剣術屋の気持ちなんて分からないわ」 

「剣術屋…か」 

普段なら腹を立てるところだけど、不思議とそんな気にはならなかった
 
「だけどね…やよいがアンタを慕ってるってことはよく分かる」 

「……うん」 

「だから…死ぬんじゃないわよ?」 

「えっ?」 

「仇討ちだか何だか知らないけど、勝てないと思ったらさっさと逃げちゃいなさい」 

「それは……」 

「約束しなさい。ぜったい死なないって。私はもう……やよいのあんな顔は見たくないから……」 

『あんな顔』が何を指してるのかぐらいは、鈍感な自分でも分かった
 
「分かったわね?約束だからねっ!」 

「……うん。うん!分かったさぁ!」 

約束なんてできっこない 
それはたぶん、伊織にも分かってる 
だけどこんなときは…… 
やっぱり、約束するべきだと思うんだ 

「それから…まぁ……」 

急に眼を伏せて、モジモジしだした伊織 

「なに?」 

「ひ、必要な物とかあったら…その…え、遠慮なく言いなさいよね!」 

……めんどくさそうだぞ、なんて思っちゃったこと、謝るよ 

「や、やよいの友達なんだから…アンタとも『仕方なく』友達になってあげるわっ!感謝しなさいよねっ!」 

こうしてまた、自分にとって大切な人が増えた
弟子入りして四月が経った如月の半ば 
まだ貴音相手には一本も取れないけど、簡単に負けることも無くなってきた 
やよいとは相変わらず『五本に一本』の差 

その差が縮まらないのを本気で悔しがってるやよい 
そんな姿を見るたびに、ホントの妹みたい思える 

「響。出かけますよ」 

稽古が終わったあと、珍しく貴音に誘われた 

「どこに行くの?」 

「それは着いてからのお楽しみです。ちょっとした余興と申し上げておきましょうか」 

袴から小袖に着替えた貴音のあとを、自分はただ着いていった
 
「どこまで行くの?」 

道場を出てから半里(約2Km)ほど街道を歩くと、貴音は山道に入った 
それからさらに一里ほど進んだところで、貴音が脚を止めた 

「おそらく、この辺りでしょう」 

「へっ?」 

辺りを見回してみても、見えるのは杉の木ばっかり 

「ねぇ、ここに何があるのさぁ?」 

「……ふふ。余興のお相手がお見えになったようです」 

「どういうこと?」 

その質問とほぼ同時に、背後で枯れ葉の擦れる音がした 
振り返ると、男が三人立っていた 
顔にはイヤらしい笑みを浮かべてる
 
「おう!二人ともえらく上玉じゃねぇか!」 

「はっはぁ!こっちの娘は刀なんて下げてるぜ!」 

「可哀想に、道に迷ったんだろう。もう二度とウチには帰れねぇけどな」 

口々に喋ってる男たちをよそに、貴音に囁きかけた 

「貴音、こいつらは……?」 

「見て分かりませんか?」 

「……頭が悪そうなのは分かる」 

「性格は良さそうに見えるのですか?」 

「たぶん、最悪」 

「御名答」 

ありがとう、なんて言う気分じゃないね、残念ながら
 
「野盗山賊の類でしょう」 

「野盗!?ひょっとしてやよいの村を?」 

「それは定かではありませんが、不埒な輩であることは確かです」 

そんなやり取りをしている間も、男たちの会話は聞こえてきた 

―俺は銀髪の方をいただく 
―飽きたら売っぱらっちまおう 
―その前に舌噛んで死んじまうかもな 

合間合間に入る下品な笑い声に、全身の肌が粟立つ
 
「さて、響」 

貴音は相変わらず落ち着いていて、山肌に突き出した岩の上に腰掛けてる 

「なに?」 

「相手は山賊野盗です」 

「うん」 

「私たちを慰み物にするおつもりです」 

「そう…みたいだね」 

他愛のない世間話でもしてるみたいな貴音の口調 
その口調は次の言葉を口にしたときも、やっぱり変わらなかった 

「三人とも、斬り捨てなさい」 

まるで花見にでも誘うかのような…… 
それくらい穏やかな口調だった
 
「き、斬るって…人を?」 

「御名答」 

「だ、だけど……」 

あらためて三人の姿を眺めてみた 
どう考えても友達にはなれそうもない三人 
だけど、斬るとなると…… 

「人を斬るために、私から剣を学んでいるのでしょう?」 

自分の心を見透かしたような貴音の言葉 
それはそうだけど… 
だけど…… 

「自分には斬れないよ!」 

貴音に向かって、そう叫んだ
その言葉に男たちが声をあげて笑う 

「おい、斬るだってよ」 

「何を斬るんだい?ひょっとして俺らか?」 

「はっはっは。良いねぇ。そういう娘をいたぶるのも燃えるじゃねぇか」 

男の一人が刀を抜いた 
それを片手で肩に背負い、もう片方の手で自分に手招きしてる 

「おいで娘さん。拙者に一手ご指南を」 

その言葉に、二人の笑い声が重なる 

「先方はやる気のようですよ?あなたはどうするのです?」 

貴音にまで挑発されて、自分の中で何かが切れた 
刀を抜き払い正眼に構える 
切っ先は正確に相手の喉元に向いてた
昔の自分なら、怒るとわけも分からなくなってたはず 
だけど不思議と、頭の中は澄んでいた 
摺り足で間合いを詰めながら相手の力量を見極める 

威嚇するつもりなのか、上段に構えてしきりに気勢をあげている 
あの日貴音に言われたことを思い出した 

―声を張り上げれば、強くなった気がするのですか? 

確かにそうだね 
目の前にいる相手を見てるとよく分かるよ 
あんなもの、ただの虚仮おどしだ
男が刀を振り下ろす 
力任せのその一刀を、わずかに身体を引いてかわす 
勢い余ってよろめいた男に大きな隙ができた 
だけど自分は撃ち込めなかった 

(こいつらは大勢殺してきたんだ。相手が丸腰だろうと子供だろうとお構いなく、大勢) 

そう自分に言い聞かせようとしたけど、やっぱり刀を振れない 

力の差は大きく開いてる 
いつも通りやれば負けっこない 
そんなの分かってるのに……
 
「響」 

貴音の声が背中にぶつかる 

「やよいのような子供を、さらに増やすつもりですか?」 

「………っ」 

やよいという名前を聞いた瞬間、自分の身体は猫のように跳躍してた 
相変わらず上段に構えてる男との間合いを一気に詰めると、抜き胴を放つように見せかける 
それにあっさりと引っかかり、男の剣先が下がる 
がら空きの籠手 
そこに向かって刀を振り下ろした 

「……え?」 

ドサッという音を立てて、柄をにぎったままの両拳が地面に落ちた 
背中で男の叫び声を聞きながら、まだ刀を抜いてさえいない二人目と向き合う
 
「抜け。刀を握ってもいない相手は、斬りたくないんさ」 

慌てて刀を抜く男 
腕は一人目と大差ない 

「がぁぁぁ!!!」 

向かって右側の男が撃ち込んでくる 
左側のヤツは予想外の出来事に固まってしまってる 

(遅い!) 

力だけは込められた初太刀を体をひねってかわすと、勢い余った男がよろめいた 
今度は一つも躊躇することなく、男の左胸をまっすぐに貫き通した 
その男が崩れ落ちるよりも早く、最後の一人は逃げ出していた
 
「……終わったよ」 

言いようのない脱力感に襲われながら、貴音に歩み寄った 
だけど貴音から返ってきたのは意外な言葉だった 

「はて?まだ終わってはいませんよ?」 

「え?だってもう……」 

山賊野盗はいない、そう言いかけたときだった 
貴音が両手首から先を失い泣きわめいてる男を指差しながら言った 

「その男はまだ、生きております」 

「なっ…もう勝負は着いてるじゃないか!」
首を横に振る貴音 

「刀を抜いた者同士が向き合えば、それは即ち『果たし合い』です。そして止めを刺すのは果たし合いの作法……」 

自分を見据えてる貴音の眼は、自分に決断を促してた 
―もう後戻りできないところに、自分を追い込め 
そう言われてるような気がした 

貴音に背を向けるとうずくまっている男の側に立ち、八相に構えた 
自分を見上げた男の口から、命乞いが漏れる 

「……御免」 

振り下ろした刀が冬の陽光を浴びてきらめいた 
そして、男の首が地面に落ちた
道場に帰ると真っ先に湯を浴び、自分の部屋に飛び込んだ 
眼を閉じると、さっき首を落とした男の顔が浮かんできた 
慌てて眼を開けると、涙でぼやけて何も見えない 

「斬ったんだ…自分……」 

両手にはハッキリと、そのときに感覚が残ってる 
斬らなければ今頃は…なんて考えても、ちっとも気分は晴れなかった 

布団の上に仰向けになってボーっとしてたとき、障子の外から貴音の声が聞こえた
 
「響」 

「なぁに?」 

「私を恨んでいますか?」 

不思議とそんな気分にはならなかった 
自分でもなんでだか分からないけど 

「勝手だと承知で申し上げます。これが、剣に生きるということでしょう」 

「……アイツらは自分より弱かった」 

「あの者達も、自らよりも弱き者を殺めてきたはずです」 

「分かってる…分かってるんだよ…頭では……」 

そのときその場で強かった方が生き残る 
すごく単純明快 
だけど、単純だからこそ割り切れないこともある
 
「私も、人を斬ったことはあります」 

「……うん」 

「己の欲を満たすための殺生はしておりません」 

「……うん」 

「私はもう、止まることはできません」 

「自分もだよ」 

「いつか、私よりも強き者の手で斬られる、その日まで…」 

自分よりも強い者の手で斬られる日 
あの日の父さんがそうだったように
今日斬ったあの二人にも、親兄弟がいたかもしれない 
ひょっとしたら子供だって 
そんなこと考えても誰も救われないことは分かってる 

だけど自分は、背負っていかなきゃいけない 
手に残ってるこの感触と一緒に、斬ったすべての相手のことを 
いつか誰に斬られるときで 

その日が来るまで、自分はもう進むしかない 
自分が信じている、剣の道を
 
「凄いです!急にどうしちゃったんですか響さん?」 

次の日の三十本稽古で、自分はやよいに一本も取らせなかった 
技や体が一日で変わるわけがない 
変わったことといえば、間違いなく『心』の部分 

「響。お相手いたします」 

竹刀を持った貴音が道場の真ん中に歩み出てくる 
蹲踞(そんきょ)して正眼(中段)に構えた貴音は、いつものように深く沈んだ佇まい 
だけどもう、それに圧倒されたりはしなかった
面具の奥の貴音の眼が、まっすぐに自分のことを見てる 
なんだか品定めされてるような気分 
それが可笑しくて、ちょっとだけ笑っちゃった 

「立合の最中ですよ、響」 

それをたしなめる貴音の声も、やっぱり笑ってた 
知らない人が見れば「何だコイツ」って思うかもしれないけど、なんだか楽しい 

―どうやって斬るか 
―どうすれば斬れるか 
向き合った親友相手にそんなことを考えてるのに、不思議だね
 
「撃ち込んでこないのですか?」 

「いやぁ、なかなか隙が無くってさ」 

言い終わった瞬間、同時に飛び込んでた 
乾いた音が二つ、道場に響く 
自分は面。貴音は胴 

「ど、どちらも浅いです!」 

審判を務めてるやよいの戸惑ったような声 
それも当然 
浅かったとはいえ、自分が面を当てたのは初めてだったんだから 

さっきとは位置を入れ替えて、また向き合う 

(軽く、軽く……) 

頭の中でそう繰り返しながら、大きく息を吸った
貴音が撃ち込んでくる 
自分はそれを鍔元で受けた 
短い時間、身体で押し合う 

同時に離れながら、やっぱり同時に突きを繰り出した 
だけどやよいの手は上がらない 

間合いを取った貴音が肩を上下させてる 
自分はゆっくり息を吐き出しながら、隙を探した 

左の籠手が少し下がってるのは、たぶん誘い 
だけどあえて、それに乗ってやることにした
三つめの息を吐き出すと同時に、板敷を蹴った 
左籠手めがけて竹刀を振り下ろすと、それを予測してたみたいに左手を柄から離した空を切る竹刀 
だけどそれは、自分の予測通り 

貴音が右足を踏み出しながら片手突きを放つ 
自分は手の内を変えての逆袈裟 

また二つの乾いた音 
とっさにやよいを見た 

やよいは怯えるような声で、判定を下した 

「つ、突き有り…です…貴音さんの方が先でした……」
 
稽古のあとで母屋の縁側に座ってると、貴音が隣りに腰を下ろした 
何を言いに来たのかは、何となく察しがついた 

「あなたの勝ちでした。真剣での立合ならば、ですが」 

それは自分にも分かってた 
貴音の突きは急所を外してたから 

「立合は立合だよ」 

そう、立合は立合 
真剣だろうと竹刀だろうと、負けは負け 
人を斬る前の自分だったら、そんな風には思えなかっただろうけどね
 
「それにさ、貴音と真剣で立合うわけじゃないんだし。だったら竹刀で勝つしかないじゃん」

そう言うと、貴音は穏やかに笑った 

「ふふ。それもそうですね」 

少しずつ暖かさを増し始めた陽光が、二人を照らしてる 

「じきに春が参りますね」 

「うん。みんなで花見に行きたいね。伊織も誘ってさ」 

「それは真、よい考えです」 

二人で空を見上げながら、時間はゆったりと流れていった
 
「胴あり…です……」 

弥生も終わりに差し掛かったある日 
信じられないって顔のやよいが、そう宣言した 

貴音も自分も、肩で息をしてる 
十合以上撃ち合った末、自分の竹刀が貴音の胴を捉えた 
貴音から奪った、初めての一本 

「真、強くなりましたね」 

まだ荒い息のままで貴音が言った 
自分は何も言えず、ただ立ち尽くしてた
 
「とうとう並ばれてしまいましたね」 

面を外した貴音にそう言われても、やっぱり言葉は出てこない 
なんと言うか、『いけないコト』をしでかしちゃったような、そんな感じ 

防具を外すことも忘れて突っ立ってる自分の左手を、やよいの両手が包んだ 

「響さん、お見事でした」 

大きな瞳を潤ませながら讃えてくれたやよいの頭を、軽く撫でてやった 

「ありがとう、やよい」 

顔を上げると貴音の視線とぶつかった 
その眼は少しだけ哀しそうな色をしてた
その日の夜、なかなか寝付けない自分は、縁側で月を眺めてた 
蜜柑みたいにまん丸の月が夜空の真ん中で輝いてる 

「弥生も終わりに近付いたとはいえ、夜風はまだ冷たいでしょうに」 

「うん」 

背中越しの言葉に、夜空を見上げたままで返事をした 

「お風邪を召しますよ?」 

「なんくるないさ」 

貴音が何を言いに来たのか、この時も分かってた 
それは、出来ることなら外れて欲しかった『予感』…… 
自分のそんな思いをよそに、貴音はハッキリと言った 

「公蔵殿を斬ったのは、私です」 

柔らかな夜風が、自分の前髪を撫でていった

「気付いていたのですか?」 

「ただの勘だけどね。ひょっとしたらそうなんじゃないかって」 

こういうときの勘って、不思議とよく当たる 
可笑しいね、とっても 

「仇を討ちますか?」 

それは質問じゃなくて、確認だった 
それを聞いた自分は、貴音はもう決意してるってことを知った 

「自分は侍の娘だから。それに……」 

だから自分も、ためらわなかった 

「貴音と立合たい。真剣で、総てを賭けて」 

どうしようもない生き物だね、まったく 
いつか伊織の言った『剣術屋』ってやつは
 
「明日の巳の刻(午前10時前後)、あの小川にてお待ちしております」 

「分かった」 

自分たちが出会った小川 
あのときは紅葉が舞ってたっけ 
いまはもうすぐ桜が咲く 

「自分が死んだら、桜の木の下にでも埋めておくれ」 

「……はい。ご武運を、響」 

「貴音も」 

斬り合う相手の武運を祈るなんて、まともな人たちには理解してもらえないんだろうね。しかもそれが親友なら、なおさら 
だけど自分たちは大真面目 
大真面目でお互いの武運を祈って、そして…… 
大真面目で、斬り合うんだ
部屋に差し込んでくる光で目が覚めた 
起き上がって布団をたたみ、部屋の中を片付けた 
それから道場に向かい、真ん中に正座した 

半年近く過ごした道場 
もう戻ってくることはない、この場所 

「ありがとうございました」 

正面に向かって手をつきながら、心から言った 

「行ってきます」 

誰もいない道場に、自分の声が響いた 
家族のような人たちと過ごした、大切な場所の中に
ゆっくりとした足取りで小川に向かいながら、父さんのことを考えてた 
自分はずっと、誤解してたのかもしれない 
いままでは討ち果たされた父さんの顔を思い出すたびに、 
―無念だったろうな 
―悔しいだろうな 
なんて勝手に思ってた 

だけどきっと、それは間違い 
父さんもいまの自分と同じ心境だったはず 
上手く言い表せないけど…… 
なんて言うか…… 
そう、胸が高鳴る感じ 
身体が浮かび上がるような、不思議な高揚感 

父さんは侍だった 
そして自分も、同じだ
小川の側に、二つの人影が見えた 
貴音とやよい。自分の家族 

「お待たせ、貴音」 

貴音は小さく頷くと、自分の前に立った 
腰の白鞘がよく似合ってる 

やよいが進み出て、微かに震える声で言った 

「私、高槻やよいが、立会人をつとめさせていただきます」 

可愛いなって思う 
ホントの妹みたいだ 
だけどやよいには、辛い思いをさせてしまうんだね 
どっちが勝っても、また『家族』を失わせてしまうんだから 

(ごめんね、やよい) 

なんの免罪符にもならないって知りつつも、心の中でそう呟いた 

「はじめ!」 

そしてその声とともに、立合の幕が切られた 
自分と貴音の、最後の立合の幕が
二本の白刃が、弥生の陽光を受けて煌めいてる 
それを見て、キレイだなって思った 
人を斬るための道具のはずなのに、こんなにもキレイで、静かで、凛としていて…… 
そう。まるで、貴音みたいに 

そんな思いを読みとったのか、貴音が口許だけで笑った 
貴音は正眼に構えて、悠然と立ってる 

自分も正眼に構え、肩の力を抜いた 
お互いの切っ先は、お互いの喉元に向いてる 
この切っ先が二寸(約6cm)も胸元に入れば、人は簡単に死ぬ 
それが親友だろうと家族だろうとお構いなしで 
そのことにもう、ためらいはなかった
『はじめ』の合図からしばらく経っても、二人とも動けなかった 
お互いに隙は見いだせないから 

貴音がゆっくりと呼吸してる 
それに合わせるように、自分も息を吐き出した 

潮が満ちてくる 
そう思うとまた遠ざかる 
二人の気だけがぶつかり合ってた
貴音が踏み込んできた 
自分も下がらずに前に出る 
刀と刀が交差して、澄んだ音がした 

鍔ぜり合いのまま横に動きながら、小川の水際で止まった 
水に入ることは避けて、同時に後ろに跳んだ 
離れ際に一閃 

貴音の切っ先が、自分の左の頬をかすめた 
自分の刀も、貴音の右肩を浅く斬ってる
 
「お顔を傷付けてしまいました。ご容赦を」 

「なんくるないさぁ」 

二人ともすでに呼吸が乱れてる 
竹刀剣術とはまるで違う緊張感 
それが不思議と心地よかった 

もしも空の上の誰かが自分たちを見たら、すごくちっぽけで、すごく馬鹿馬鹿しいのかもしれない 
―そんなことしなくても、楽しく暮らしていけるのに 
―大切な人たちと平和に生きていけるのに 

そんな風に思われちゃうのかもしれない
だけど、自分は…… 
自分たちは…… 
剣に生きることを決めてしまった、馬鹿なヤツらは…… 
たぶんもう、斬り合うことでしか語れないんだ 

握手を交わすかわりに 
肩を叩き合うかわりに 

精一杯の愛おしみを込めて、斬るんだ
貴音の顔 
微かに紅潮してる 

「良い立合ですね」 

そう言ってるように思えた 
自分も心の中で語りかける 

そうだね、貴音 
思うままに、斬り合おう 
こんな立合が出来るなんて、自分は運がいいんだね 
負けたとしても、侍らしく、堂々と死んでいける 
父さんもきっと、誉めてくれる
貴音が地面を蹴ると同時に面を放つ 
自分は体を右にひねりながらの突き 
貴音の刀が、自分の耳元で風を起こした 
自分の突きも、何も無い空間を貫いた 

全身を使って息を吸った 
いくら吸っても足りないと思った 
貴音も激しく喘いでる 

もうお互いに、体力は限界に達してる 
撃ち合えたとしてもあと一合 
つまり、次で決まる 

それを寂しいと感じてしまう自分が可笑しかった
呼吸は落ち着いて、心気も澄んできた 
頭の中が白くなっていく 

二人同時に右脚を踏み出す 
貴音の袈裟 
一瞬だけ、自分よりも早い 
そう思うよりも先に左脚を踏み出してた 

降ってきた袈裟切りを、刀の峰で受けた 
そしてそのまま擦り上げると、さらに左脚を踏み出した
体を崩した貴音と一瞬だけ眼が合った 
いつものように穏やかな光 
自分の大好きな、貴音の微笑み 

「お見事です、響」 

貴音の眼が、そう言ってるように思えた 

手の内を変え、刀を横に振った 
貴音へのありったけの気持ちを込めて 
そして…… 
自分の放った逆胴は、貴音の身体へと入っていった
崩れ落ちた貴音を抱き起こす 
だけどもう、息はしてなかった 

お別れの言葉なんて何もなし 
だけど、それでいい 
貴音とはたくさん語り合ったから 

「おやすみ、貴音」 

微笑みをたたえたままの貴音の顔を撫でながら、それだけを言った 
貴音の血が、川面を紅く染め始めてた 
あの日の紅葉みたいに、紅く
 
「お見事…でした……」 

貴音と自分の側にしゃがみ込んだやよいが、涙をこらえながら言った 
かけてやる言葉なんて何もない 
だけど、やよいが剣に生きるなら…… 
いつかきっと、分かる日がくる 
微笑みをたたえたまま死んでいった、貴音の気持ちが 

だから自分は、こう言ったんだ 

「やよい、強くおなり。そして自分を斬りにおいで」 

って 

やよいの大きな瞳から、大粒の涙がこぼれる 
自分は一度だけやよいの頭を撫でると、二人に背を向けて歩き始めた 
振り返ることなく、ゆっくりと
季節は巡り、もうすぐ紅葉が舞い落ちる頃 
どこかの砂浜に立った自分は、月を見上げてた 
あのときと同じような、蜜柑みたいな月 

左頬の傷に手を当ててみる 
そうすると、貴音が側にいるような気持ちになれるから 

波の音は琉球の海と同じで、優しく自分を包んでくれた 
その音の中を、自分は歩き出す 
足跡の無い、白い砂浜を 

まっすぐに伸びる、自分の往く道 
月がそれを、照らしていた 


お し ま い