★シャッフルSS第3弾★




 さっきあずささんと一緒に事務所に戻ってきた律子さんが、ソファでゲームをしていた亜美ちゃんを連れて「送っていきます!」と急いでここを出て行った。あずささんとふたりだけになって、お互いの顔を見て目が合うと思わず微笑んでしまう。
 ……仕事はだいたい片付けて、残りの資料は適当に家でまとめて、あとでプロデューサーさんにメールで送ってしまえばいいや、なんて考えながら、私は事務所の鍵を取り出して、あずささんに「一緒に帰りましょうか」と声をかけた。
 「ええ、そうしましょう」と、ちびっ子が砂場でお城を作るときのような無邪気な笑顔を見せたあずささんが、普段のステージで見せているような『竜宮小町のお姉さん』の表情にはとても見えなくて、それが可愛らしく思えて、なんだか笑ってしまう。
 
「あら……あの、何かおかしかった、でしょうか?」
「ふふっ、いいえ。いつものあずささんだな、って思っただけです」
「はい……?」
 あずささんはいつだって真剣で、純粋だ。
 事務所の誰よりも、誰かの幸せを願って、笑顔でいることを大切にする。だからこそ、自分を追い込んでしまう時もある。


「月が綺麗ですね」
「告白ですか、あずささん」
「えっ、いえ……その、偶然です」
「分かってますよ」
 二人で事務所を出て、駅前までのちょっとした散歩。緑色のガードレールに沿うように私が歩き、その横をあずささんがついていく。迷わないように手をつなぎましょうかと聞くと、あずささんはさすがにこの道は迷いませんと微笑んだ。そりゃそうだ。
 駅までの道中にあるカーディーラーの前に置かれている長方形の植木鉢に、あずささんが駆け寄った。
「どうしたんですか?」
「ねえねえ、見て下さいよ小鳥さん」
 植木鉢にしゃがんでいるあずささんに近づいて、覗きこんでみる。オレンジ色、紫色、赤色のガーベラの花が咲いていた。お花にあまり詳しくない私がどうして品種を言えるのかと問われれば、丁寧に名前が印字されているプラカードが真横に刺さっていたから、と答えると思う。小学校の校舎横にあったような、そんなプラカード。
「ガーベラですよ。綺麗だわ」
「私、あんまりお花には明るくないんですけど……これがガーベラなんですね」
「はいっ。花びらの並び方が独特で面白いでしょう?」
「本当……重なっているところが多いですね」
 私はなんだか、色とりどりのお花よりも、それを見て幸せそうに微笑んでいるあずささんに視線を向けていた。やはり普通の女性はこういう知識が豊富だったり、常に調べていたりするのだろうか。昔からあまり興味を持たなかったから、今になると新鮮だった。昔に覚えたトーンの貼り方だったり、好きな漫画のキャラクターのパーソナルデータだったり。事務の仕事をする上で、あまり役立ってはいない。専ら趣味の方面で活かされている。
「ごめんなさい、行きましょうか」
「あっ、はい」
 あずささんが急に立ち上がるので、私は危うく身体のバランスを崩して転ぶところだった。春香ちゃんみたいに転んでもすぐ立ち上がれるほどは、もう若くなかった。身体のバランスは昔から悪いが、今から運動をしたら少しは改善されるだろうか。

「……小鳥さん」
「はい?」
「私、いっつも『動きがノロい』って言われるんです」
 たまに事務所の娘を連れて入る中華料理屋さんの横で、あずささんが呟いた。それはおっとりしているということを、わざと悪意のある表現で伝えているということなんだろうか。あずささんにそんなことを言うのは誰だ。
「この間、お仕事で一緒になったユニットの女の子にも言われちゃって……亜美ちゃんが怒って、喧嘩になったんですけれど」
「喧嘩に?」
「はい……私、知らないうちに誰かを苛立たせたりしているのかな、と思って」
 気をつけていたんですけれど、と下を向いた後、消えそうな声であずささんは続けた。あと少し、今真横を猛スピードで通り抜けた車が早いタイミングでここを走っていれば、その声は車の走行音にかき消されてしまっただろうと思うくらいだった。
「さっき、ガーベラを見つけた時に……勝手に立ち止まっちゃって、その、イライラさせちゃったかなぁ、と」
「そっ、そんなことありませんよ! 私の知らない知識を持っているあずささんが羨ましいな、って」
「そう、ですか?」
 あずささんの目をしっかりと見て、私は「だから、心配しないでください」と続けた。笑うことも忘れてしまうぐらいに、彼女からは自信といったものを欠片も感じなくて、代わりにいつもよりも何倍も大きい不安を抱えているように見えた。
「ええ。私は全然女っぽくなくて……だから、道端でお花を見ても、それがどんな名前だとか、いつ咲くとか、そういうことは分かりません」
「小鳥さん、とても女性らしいじゃないですか」
「いいえ。自分のことは、自分がよく知っていますから。……だから、あずささんが少し、羨ましいなぁ」
「私が?」
 ええ、とすかさず返した。私もあずささんも、きっと普通の女の子として過ごしてきて、今は女性としてやりたいことをしているのだろうと思った。おそらく、彼女とはやりたいことや知識の分野が全然一致していないのだ。お互いの知らないことを知っている、アイドル最年長として全体をまとめる彼女と事務員の私はそんな関係じゃないか?
「……ふふっ、ありがとうございます。小鳥さん」
「いえいえ。私こそ、偉そうなことを言ってしまってすみません」
 あずささんがふんわりした、いつもの癒やしオーラを再び身にまとうのをなんとなく感じ取った。
「小鳥さん、ガーベラの花言葉の中に、こんなものがあるんです」
「花言葉、ですか?」
 私から一番遠くて、あずささんから一番近そうな種類の知識。
「はい。『最高のパートナー』です」
「……最高の、パートナー」
 彼女の言葉を反芻した後に、しばらくしてその言葉が持つ本当の意味に気づく。もしかしてあずささんは、
「小鳥さんのことですよ」
「え……?」
「小鳥さん以外にも、律子さん、伊織ちゃん、亜美ちゃん、事務所のみんな……私にとって、最高のパートナーです」
「私、あずささんにパートナーらしいこと、出来ていませんよ?」
 そう言うと、あずささんは少し不満そうに「私は小鳥さんに、たくさん助けられていますよ」と頬を膨らました。私もあずささんから元気をもらっているけれど、それをパートナーという関係で言い表して良いのか、よく分からなかった。
「ガーベラの花を見つけた時、それをふと思い出して」
「なんだか、とってもあずささんらしいです」
「私らしい、ですか」
 あずささんは、さっきのもマイペースな行動だったかなと思い、小鳥さんに悪いことをした、と続ける。
「私、いつもそうなんです。なんにも考えずに動くから、いろんな人に迷惑をかけてしまって」
「大丈夫ですよ」
「えっ?」
「だって、あずささんが教えてくれなかったら、私はガーベラの花に気づかないまま、この道を通ってましたから」
 普段からおっとりしていて、いろいろな所を多くの視点で見ているから、小さなしあわせに気づくことが出来る。いつだって真剣で、純粋だから。
「だから、大丈夫。むしろ、そのままで居て下さい」
「ありがとうございます、小鳥さん」
 あずささんが再び笑顔を見せてくれる。なんだか嬉しくて、思わず私も微笑んだ。今はちゃんと、ガーベラの花言葉のように、彼女のパートナーのひとりになれた気がした。