私の人生の中で、忘れられない場所があります
変わってしまった場所、まだ変わらない場所
そして、もう無くなってしまった場所

この場所もその内のひとつ
あの人と出会った、思い出の公園

これは私たちが、まだ子供だったころのお話…

「カンパーイ!」

「カンパーイ!!!」

音頭を取った社長の声に、15人が唱和しました

3月も終わりに迫ったある日の765プロでは、ささやかなパーティーが催されました

雪歩と真の高校卒業、そして伊織と美希の中学卒業を祝うパーティー

雪歩は4月から私立大学に、伊織と美希は私立高校に、それぞれ進学します
真は、アイドル活動に専念する道を選びました

「大学かぁ。ちょっと羨ましいな…」

「アンタが自分で選んだ道でしょ?」

グラスを片手に、律子さんに諭されている真
中身はもちろんジュースです

はぁ…
大学かぁ…
私も受験生になっちゃうのかぁ…

大学に進むなら、の話しですけどね

「うぅ…私もついに受験生だよぉ…」

私の心の声が聞こえちゃったのかな?

伊織に愚痴をこぼしているやよい

「分かんないとこあったら教えてあげるから、頑張んなさい」

「うん…ありがとう伊織ちゃん」

私に聞いてくれてもいいんだよ?

って言いかけて止めました

「春香さんはいいです」

とか言われちゃったらショックだから…アハハ…

千早ちゃんとソファーで談笑しながら、目だけはプロデューサーさんを追いかけている私

癖なんですよね、これ…
ひょっとして、私ったらストーカー予備軍?
自分で否定できないのが辛いとこです…

視線の先にいるプロデューサーさんに、社長が何かを耳打ちしています
それに対して小さく頷いているプロデューサーさん

内緒話はダメですよぉ?

「諸君、ちょっと良いかね?」

社長の声に静まる事務所内
横にはプロデューサーさんが落ち着かなげに立っています

「今日は4人の門出を祝うパーティーだ。しかし…」

しかし?

「ここにもう1人、新たな道を歩み出そうとしている男がいる」

社長に促されて、照れくさそうに頭を下げたプロデューサーさん

新た道…って、どういうことですか?

「えっと…ただいまご紹介にあずかりました…」

緊張しているのは分かりますけど、その挨拶はいかがなものでしょう?

ってみんなが思ってるはずなのに、声に出す人は誰もいませんでした

「今日は4人のためのパーティーだし、日をあらためて報告しようと思ったんだけど…社長が、"門出には違いないから"って」

あー、もう!
やきもきするなぁ!!
早く本題に入って下さい!!!

「えー、実はですね…社長のご好意により、私ですね…4月から…あー、そのー」

4月から?
4月から何ですか?

「プロデュース業及びマネージメント業を学ぶために、アメリカに留学させて頂くことになりました」


……

………

…………え?

水を打ったように静まり返った事務所の中

プロデューサーさんも次の言葉を紡ぐことができずに、視線を宙に泳がせています


「聞いての通りだよ、諸君!」

事務所内に響く社長の声
聞いての通りと言われましても…

「これは1人の男の門出だ!全員で祝ってやろうじゃないか!!!」

ああいうとき、ホンットに空気読めないわよね、男って!

これはパーティーの後での律子さんの言

まったくもって同感です…

「渡米はいつになるんですか?」

私たちを代表するかのように、あずささんが声を発しました

「いまのところ、4月の第2日曜日を予定してます。いろいろ準備や手続きがあるんで」

いまから約半月…

そしたら…

プロデューサーさんがいなくなっちゃう!」

「そんなの、や!」

予想通り…というべきなのかな?

涙混じりの美希の声が響きました

「ミキも一緒に行くの!」

当然のように、プロデューサーさんは困惑顔

だけど私には、美希を攻める気は起こりませんでした

だって、同じ気持ちだったから
それに、プロデューサーさんをじっと見つめている何人かも、きっと…

「ごめんな、美希」

「なんで謝るの?」

「連れては行けないからだよ」

「それくらい…それくらい分かってるの!」

じゃあ言わなきゃいいのに

なんて言葉は、誰の口からも出てきませんでした

そんななんとも言えない雰囲気の中、その日のパーティーは終わりました…

「すまんな」

「いえ、ボクは構いません…」

「はい。おめでたいことですから…」

「ありがとう真、雪歩」

後片付けが終わって事務所を出るとき、プロデューサーさんたちの会話が聞こえてきました

美希と伊織は、後片付けが終わると同時にそそくさと帰路に着きました

私は結局、プロデューサーに何も言えませんでした…

「おはよう、春香」

「あ…おはようございます、プロデューサーさん」

次の日の朝、笑顔で挨拶してくれたプロデューサーさんに対しても、私の口調は堅いままでした

「春香の今日の予定は…っと」

「午前中はボーカルレッスン、午後からは出版社に挨拶廻りです」

「お、ちゃんと覚えてたな。感心感心」

「…仕事ですから」

あーあ
子供ですね、私
すごく不機嫌そうな口調になっちゃいました

事務所の中に入っていくプロデューサーさんに

「美希ちゃん、今日はお休みするそうです」

って声をかけた小鳥さん

だけど、プロデューサーさんと目を合わそうとはしません

お察しします、小鳥さん…

午前のレッスンが終わり、午後からはプロデューサーさんと一緒に出版社を廻りました

「アメリカかぁ!頑張って来いよ!」

留学の報告を受けた出版社の人たちは、一様にプロデューサーさんを激励していました

はい!行ってきます!

と笑顔で応えているプロデューサーさん

なんか…
私だけ場違いな空気です…

「叩かれすぎて肩痛くなってきたよ…」

挨拶廻りの帰り道、そう言いながら自分の肩を撫でているプロデューサーさん

それに対しても、何も返せない私

俯いたまま、プロデューサーさんの少し後ろをトボトボ歩きました

そんなときでした

「…春香」

立ち止まったプロデューサーがどこかを指差しています

「ちょっと座らないか?」

指の先には、夕暮れどきの公園に中で佇む、青いベンチが見えました

促されるままベンチに腰掛けた私

「飲み物買ってくるからちょっと待っててな」

自販機に走り寄っていくプロデューサーさんの背中に向かって

べー

って舌を出してやりました

いえ、自分でも何やってるのかよく分からないですけど…

ただ、なんとなく

「ほら、飲みな」

手渡された温かいカフェ・オレ
温かいのが辛い場合もあるんですね

なぜだか分からないけど、涙が出そうになっちゃいました

分からないことだらけですね、私…

プロデューサーさんが缶コーヒーに口を着けたのを確認してから、私もカフェ・オレを頂きました

はぁ…
春ですね、もう

「なぁ、春香」

「なんですか?」

「俺はな…お前のことが大事だ」

「なっ!」

なに言い出すんですかいきなり!

カフェ・オレ落としそうになったじゃないですかぁ!

「いや、違うな…何と言うべきか…」

「な、なんなんでしゅかいったい!」

うわぁ…
思いっきり噛んじゃったし

もちろんプロデューサーさんが悪いんですけどね!

「俺はな…」

「はい…」

「お前の気持ちに気付いてた」

「…え?」

「正確に言うなら、お前"ら"の気持ちだな」

「私"たち"…?」

「ああ。だけどな…気付かないフリをしてたよ。理由は相手によって違うけどな」

「例えば?」

「自分で言うのもアレだけど…俺への気持ちが仕事の活力になるヤツもいれば、失恋が悪い方向で仕事に影響しそうなヤツもいる」

誰のことを言ってるのかは…
分かっちゃいますね、だいたい

「だからあえて、気付かないフリをしてた」

「もし…告白されてた場合は?」

「そのときはちゃんと返事をして断ったさ」

ホントかなぁ?
情に流されやすそうなんですよね、この人

「今回の留学は、そのことと関係があるんですか?

「それは関係無いよ。まぁ、お前らから逃げてるように思われるかもしれないけど」

私はそんなふうには思いませんけど…

だけど何人かは、そう思っちゃいそうですね

「全員と個別に話すつもりではいるんだ」

「はい…それが良いと思います」

「だけどな…えっと…」

急に焦り始めたプロデューサーさん

どうしたんですか、いきなり?

「俺はプロデューサーだ」

「はい」

「春香はアイドルだ」

「はい」

「だからだ」

「はい?」

まったく話が見えないんですけど…

「その…好きなんだ」

「…何がです?」

「…お前、鈍感だな」

あっ!ヒドいなぁ!!
プロデューサーさんに言われたくないですよぉ!!!

って、気付いてたんでしたっけ、私"たち"の気持ち

でも、何が好きなんでしょう?
ひょっとしてカフェ・オレ?
ホントはカフェ・オレ飲みたかったんですか?

「だから…お前のことが好きだって言ってんの!」

カラン

って音を立てて転がったカフェ・オレの空き缶

ジッと私を見据えているプロデューサーさん

濃くなっていくオレンジ色の中、時間が止まってしまいました
正確には、私の思考回路が…

「春香?おい、春香」

「…ひゃい」

噛みまくりですね、私…
だけど、この場面じゃ仕方無いですよね?

「…今度は冷たい物飲むか?」

「…ひゃい」

ベンチから立ち上がり、再び自販機へと向かったプロデューサーさん

放心状態の私は、その背中を目で追いかけることはできませんでした

「落ち着いたか?」

「…だいぶ」

冷たいオレンジジュースの缶を額にあてがいながら、生返事をする私

さっきのプロデューサーさんの言葉を頭の中で反芻していました

好き?
私のことが?

…え?

ええっ!?

「あの…プロデューサーさん?」

「なんだ?」

「えっと…できたらで構わないんですけど…」

「なんだよ?」

「もう1回言って頂けると…」

「ふざけんな!やだよ!」

結局、もう1度言っては貰えませんでしただけど…

代わりに、手を握ってくれました

まだ栓を開けていないオレンジジュースが、ドスっていう鈍い音を立てて地面に落ちました

夕焼けと同じ色をした、オレンジジュースの缶が…

「ホントはな、お前のこと連れて行きたい」

「…はい」

「でも、それは無理だ。分かるよな?」

「はい」

「だから…お前は日本で輝け」

「はい?」

「アメリカからでも見えるように、ピッカピカにな!」

…ふふ
責任重大だなぁ
手を握ったままそんなこと言われちゃったら、返事なんて1つしかないじゃないですか!

「はい!」

涙の混ざった私の声が公園に響き、その声が夕焼け空に吸い込まれたとき…

2つの影と2つの唇が、同じタイミングで重なりました

私たちが初めて出会った、小さな公園の青いベンチで…

みんながどんな感情を持っていようと
プロデューサーさんがどんな感情を持っていようと
そして私がどんな思いを抱いていようと…

時間は、自分勝手に過ぎていきます

4月の第2土曜日
765プロの事務所では、プロデューサーさんの送別会が開かれました

私とプロデューサーさんのことは、まだ誰にも話していません
ちょっとズルい気もしますけどね…

「みんなと個別に話しをする」

って言ったけど、どんなこと話したんだろ?

まさか、他の人にも!?

…って、いやいや
これから超遠距離恋愛になるっていうのに、いまから信用できなくてどうするのよ…

ソファーに座ってみんなの顔を眺めてみました
やっぱりみんな寂しそうな顔
だけど、悲しそうな顔をしている人はいませんてした

良かった…
ちゃんと話ができたんですね、プロデューサーさん?

「それでは、男の門出を祝って、乾杯!」

「カンパーイ!!!」

高らかに唱和した15の声

私だって寂しい
それに…辛い

だけど、笑顔で見送ってあげたい
大好きな人が夢に向かって歩み始めようとしてるんだから!

「兄ちゃん、ちゃんとアメリカで生きていけんの?」

「亜美も心配だよ。兄ちゃん甲斐性なしだから」

「どこで覚えたんだよ、そんな言葉…」

真美と亜美に絡まれながら、プロデューサーさんもやっぱり寂しそう

そうですよね…
プロデューサーさんにとっても大切な場所なんですよね、ここは

私たちみんなが出会った大切な、大切な…

見送りには来なくていい

っていうプロデューサーさんの言葉をよそに、明日の事務所への集合時間を決め始めた律子さん

正直に言うと、私だけで見送りたいんですけど…

さすがにわがままですよね、それは

「春香。明日8時に事務所集合なんだけど、大丈夫?」

その場合は…
私、5時起き?

うわぁ…
事務所に泊まらせてもらおうかな…

社長と話し込んでいるプロデューサーさんを横目で見てみた

あ、そっかぁ!
プロデューサーさんの部屋に泊まればいいんだぁ!

そんなこと考えてたら、ご本人と目が合っちゃいました
慌てて目を逸らす私

ダメダメダメ!
私まだ、高校3年生になったばかりだから!

「おーい!はっるっかっ!!!」

「へ?」

なにやら邪なことを考えてたら、美希に声をかけられました

「なにボーっとしてるの?」

「べ、別に」

怪訝そうな美希の表情
高校生になって、美希はますます綺麗になりました

「な、何か用?」

取り繕うように応える私

「うん」

笑顔に戻った美希が囁くように言いました

「ちょっと屋上、いこ?」

夜風はまだ冷たかったけど、微かな春の香りを含んでいました

「気持ちいいね」

フェンスにもたれかかるようにして夜の街を見下ろしている美希

髪は短くなり、金色から茶色へと変わっていました
その髪がふわふわと、風に靡いています

「行っちゃうんだね、プロデューサーさん」

以前までとは違うその呼称が、私に悟らせました
美希は自分自身の中で、大事な何かを終わらせたんだってことを…

「ミキ、フられちゃった…」

「うん…」

美希だけじゃなく、他の人たちも…

「春香は違うんでしょ?」

「えっ!」

「2人を見てればわかるの」

私をからかうような表情と口調

「ごめん…」

「違うの!別に謝ってほしいとか思ってないの!」

それじゃあ…
どうして屋上に?

「ミキね…事務所を移籍しようと思うの」

「えっ!?な、なんで?」

プロデューサーさんがいなくなるから?

そう言いかけて、慌てて口を閉ざしました
私が口にしていい言葉だとは思えなかったから

「ミキね、プロデューサーさんと約束したの。もう心配かけないって」

「それなら移籍しなくても…」

ここにいても、約束を守ることはできると思うけど…
ひょっとして、私がいるから?

「むー。やっぱり2人とも鈍感なの!」

2人って…
私とプロデューサーさん?
一緒にしないでほしいな…

「ミキはね、ここにいたらダメになっちゃうから」

「そんなこと…」

「自分でよく分かるの。ここにいたらあの人の…プロデューサーさんのことを追いかけ続けちゃうって」

…うん
私が美希の立場でも、たぶんそうなっちゃうと思う

「だからね、卒業するの!」

「プロデューサーさんから?」

「うん。中学校を卒業したばっかりだけど、また卒業なの。アハッ」

笑い声とは裏腹に、瞳には涙が光っていました

「…寂しくなるね」

涙って伝染しちゃうんですね
月を見上げるフリをしながら、零れ落ちるのを我慢しました

「狭い業界だもん。いろんなとこで会えるの。…毎日会えくなるだけで」

…そうだよね
卒業って、そういうものだもんね

当たり前のように毎日会えてた人たちと、当たり前には会えなくなることだから…

「…きーみとー ぐうーぜんー」

「…はなーしーたー あめのーかーえーりーみちー」

私の歌声に美希の歌声が重なりました
甘く透き通った、私の大好きな美希の声

サヨナラは言いたくありませんでした
それはたぶん、美希も同じ気持ち

だから2人で手を繋ぎ、月を見上げながら、歌いました

またね、って

「ありがとなの」

「うん。私も、いっぱいありがとう」

またね、美希
大好きだよ…

「遅い!」

次の日の朝
つまり、プロデューサーさんが旅立つ朝

律子さんの声が朝方の街に響きました
事務所の前には社長とプロデューサーさんを含めた15人が揃っていました

1人足りないのは…

「さすがみきみきだねぇ」

「こんなときに遅刻とは、亜美でも真似できないよ」

…そういえば美希とは今日も会うんでした昨日が昨日だけに、ものすごく照れくさいんですけど…

「あっ!美希さん来ましたぁ!」

やよいが指差した方に全員の目が向きました

「…おはよう…なの」

…フラッフラです、見事に

「お、おはよう、美希」

「あふぅ…おはよう春香…なの…」

「シャッキッとしなさい!」

再び響いた律子さんの声
プロデューサーさんは苦笑いしてます

…もう心配かけないんじゃなかったっけ?

今日のためにチャーターしたマイクロバスに乗り込み、成田空港に向けて出発しました

16人を載せたマイクロバス
だけど帰り道は15人…

そう思っているのはみんなも同じみたいです
朝早くて眠いのもあるんでしょうけど、口も表情も重いです…

隣に座った千早ちゃんは、ずっと窓の外を眺めていました

時間はやっぱり、自分勝手に進んでいきます

空港に着いたのは12時30分
フライト予定時刻は14時15分
あと2時間も無いんですね…

「先に手続き済ませてきます」

そう行って私たちから離れていったプロデューサーさん
15人になった私たちはみんな、所在なげに立ち尽くしていました

「ホントに行っちゃうんだなぁ…」

響の呟きにも、応える人はいませんでした

「フライト予定時刻が14時15分ってことは…13時過ぎには中に入っておいた方がいいわよね」

自分に確認するかのような律子さんの呟き
13時過ぎってことは…
あと15分くらい、ですね…

「手続き完了しました」

私のところに走り寄ってきたプロデューサーさん
息が切れて、肩を上下に揺らしています

もう時間が無いって、分かってるんですね
だから、私たちにちゃんとお別れを言うために、走って…

「えっと…俺…」

まだ整わない呼吸のまま、プロデューサーさんが私たちに語りかけます

「幸せでした…765プロで」

最初に泣き始めたのは誰だったんだろ?
それすらも分からないくらい、みんな一斉に泣き出しました
社長も、ハンカチで顔を拭っていました

「みんなと会えて…ホントに良かった!ありがとうございました!」

そう言って頭を下げたプロデューサーさんに、真美と亜美が抱きました
伊織も貴音さんも律子さんも、顔はクシャクシャ
隣に立っていた千早ちゃんも肩を震わせています

私は…
ひたすら泣いてました
それを恥ずかしいという気持ちは、湧いてきませんでした

どんなに別れを惜しんでいても、時間はやってきます

「行ってきます!」

と笑顔で言ったプロデューサーさん

「行ってらっしゃい!!!」

と返した15色の声

プロデューサーさんは何度も振り返りながら、私たちに手を振りました
私もずっとずっと、手を振り続けました

プロデューサーさんの姿がゲートの中に消えてしまってからも、ずっと…

しばらくして、展望デッキに昇った私たち

「はて?一体どの飛行機なのでしょう?」

そう言われても私に分かるはずも無く、伊織に

「たぶんアレね。航空会社的にも」

って指差しながら言われたとき、慌ててその指の先に視線を移しました

あの飛行機でプロデューサーさんは…

「あ…動きだした…」

雪歩の声に導かれるように、その機体は滑走路へと向かい始めました

腕時計は14時ちょうど

柔らかい春風が、私たちの側を通り抜けていきました

プロデューサーさんの乗った飛行機に届きますように…

心の中で呟きながら、その機体を目で追い続けました

滑走路の端に止まった飛行機

私の大切な人と…
そしてその人の夢を載せた飛行機

14時15分が過ぎ、再び飛行機が動き始めました
グングンとスピードを上げ、滑走路から浮き上がっていきます

私たちの目の前を通過したとき、懸命に手を振りました
見えてはいないと知りながら、みんなで懸命に…

空に向かって遠ざかっていく飛行機に向かい、誰かが呟きました

「行っちゃったね…」

そしてその声とともに、私たちの新しいアイドル生活が幕を開けました

あの人が渡米してから10日後
私に宣言していた通り、美希の移籍が発表された

みんな同じセリフを言いたそうにしてました

あの人がいなくなったから

って
でも美希はあっけらかんとしていて

「ミキね、ここにいちゃダメなの。だって、あの人の影を追いかけちゃうから。みんな、ごめんなさい!」

美希らしいなって思いました
それはみんなも同じだったみたいで、なるべく笑顔で送り出そうと努めてるみたいでした

ただ、律子さんが大泣きしながら美希を抱きしめてたのには驚きましたけど…

「なんか気が抜けちゃった…」

美希を送り出した後、ソファーに座り込んだ律子さん

美希のこと気にかけてたんですね、ホントは?

「また寂しくなるぞ…」

「ふふ…響は寂しがり屋ですからね」

「そ、そんなことないぞ!」

…うん
私たちは大丈夫!

アイドルは11人になっちゃったけど、みんなで前に進んでいける!

「でもさ…11人も律子が面倒見るの?」

「…止めてよね、真。さすがの私も無理よ」

そっか…
プロデューサーは律子さん1人になっちゃうのか

…どうするんだろ?

「ハッハッハ!そのことなら心配いらないよ!」

社長、いつの間に…

「新しいプロデューサーと契約を終えた。来週の頭から来てくれることになっているよ」

「新しいぷろでゅーさー?」

「それってどんな人なんですかぁ?」

「うむ。28歳の女性でね。業界歴は5年になるそうだ」

5年かぁ
けっこう長いですね

「28歳っていうと…小鳥さんとどっちが」

「真ちゃん?何か言ったかしら?」

「な、何でも無いです!」

…良かった、同じこと口に出さなくて

怖い人じゃなければいいけど…

いや、ちょっと怖いくらいの方がいいのかなぁ?
あの人、頼り無かったしなぁ

さっきアメリカに着いたよ!

ってメールだって、その一行だけだったし
大丈夫かな、私たち…
初めての彼氏が超遠距離恋愛とか…

って、ダメダメ!
こんなこと考えてたらホントにダメになるって、小鳥さんから借りた本に書いてあったし!
前向きに前向きに!

そして週明け

学校を終えて事務所に入ると、その人はいた

「はじめまして。今日からこちらでお世話になります、沼倉由実です」

「…は、はじめまして!」

…なんかこう
仕事できますオーラが漂ってますけど…
しかも美人さんだし

「お名前は?」

「あ、すみません!765プロ所属の天海春香です!」


※ごめんなさい
便宜上、オリキャラに名前を付けました

「よろしくね、天海さん」

「春香って呼んで下さい、沼倉さん」

「それじゃあ、私のことも下の名前でいいわよ?」

「はい!よろしくお願いします、由実さん!」

その後しばらくお話しましたけど、すっごく話の分かりそうな人でしたよ!
仕事も出来そうだし、"女性特有の悩み"も相談できそうです

なんだか、あの人よりも良さげな…

あっ!
いまのは内緒ですよ、内緒!

「由実さんはもう5年もこの業界にいるんですよね?」

「まだ5年、よ」

「ずっとプロデュース業を?」

「去年までは小さなレーベルのディレクターだったわ。だからプロデューサーとしてはド新人」

そんな風には見えないなぁ

「ぬーみーぬーみー!」

「なぁに、響ちゃん?」

さっそくあだ名を…

でも、なんだか上手くやっていけそうです!

由実さんともすっかり打ち解け、梅雨入りの季節を迎えようとしていました

あの人のメールは毎日欠かしていません
内容はやっぱり仕事の話が多いですけど、たまにラブラブな…

…いえ、何でも無いです

「ぬーみー姉ちゃん、勉強教えてよ!真美、もうすぐテストなんだよぅ!」

「はいはい。レッスン終わってからね」

あ…
私ももうすぐテストでした…
メールでラブラブしてる場合じゃなかったですね

テストとレッスンに追われる、蒸し暑い日のことでした

「新曲ですか!」

談話室に呼ばれた私に届けられたら、とっておきの吉報
しかもソロCDですよ、ソロCD!

「発売は8月の中旬を予定しているわ」

「タイトルとかはまだですか?」

「いま候補曲の中から絞り込んでるところよ。夏が終わり始める時期に発売だから、それに合った曲じゃないとね」

前回ソロCDを出したときはあんまり売れなかったんですよね…

「今回の曲はね、NHKのアニメとタイアップする予定なの」

「タ、タイアップですか!」

すごい!なんだか業界用語っぽい!

「今どき業界人じゃなくても使うでしょ、それくらい」

そう…なんですか?
勉強不足ですみません…

「でも何でNHKのアニメなんですか?」

「そのアニメでやよいちゃんが声優デビューするからよ」

…ええっ!

「アニメといっても、平日夕方の帯番組の中の15分だけどね」

「それでもすごいですよ!」

「やよいちゃんの声とキャラクターは声優向きだと思ったの。オーディションの結果、準主役級の配役に決まったわ」

うわぁ…
ホントに仕事できるんだ、この人…

「だから春香ちゃんの新曲もちょっと子供向けになるわよ?」

「ぜんぜん問題ないです!」

小さな子供たちが私の曲を口ずさんでくれる…
それは私の原点ですから!

「やよいおめでとう!」

談話室から出ると、真っ先にやよいの元へ駆け寄りました

「由実さんから聞いたんですかぁ?」

「うん、たった今!やよいなら絶対人気出るよ!」

「えへへー。頑張ります!」

私たちの話を聞いていたみんなが集まってきて、次々にやよいとハイタッチを交わしてる
もちろん、新曲発売が決まった私とも

なんか、青春ですね
ふふ…

それから一週間後、ついに私の新曲が決まりました!

タイトルは「shiny smile」

夏の終わりって感じではないけど、可愛らしい曲調が子供向けというのが選考理由だったみたいです

歌詞にリボンが出てくるあたり、私のために書かれた曲なんじゃないかって思っちゃいました!

あの人にもさっそくメール

「おめでとさん!」

の件名と、本文に連ねられたらたくさんの祝福の言葉

これでまた頑張れます!

「行ってきまーす!」

夏本番を向かえたある日
大きな荷物を抱えて事務所から出てきた響とぶつかりました

「ごめん!大丈夫か春香?」

「だ、大丈夫…それよりすごい荷物だね」

「へへー。自分、これから写真集の撮影のためにサイパンだぞ!」

えー!
いいなー!!!

「響ちゃんの健康的な身体と明るい性格はグラビア向き」

っていう由実さんの方針にもと、週刊漫画誌を中心に営業をかけたところ…

これが見事に大当たり!

毎週2、3誌に響のグラビアが載るようになりました

たしかにグラビア映えするんですよね、響って

それにしても…
いいなぁサイパン…

貴音さんはその存在感と独特の間を活かすために、舞台演劇を中心に活動していくみたいです

たしかに、どこにいても分かりますもんね、貴音さんて

由実さんのおかげで、みんな徐々に自分の住むべき場所を見つけ始めました

いえ別に、アメリカにいる誰かさんに対しての当てつけってわけではないんですよ?

たぶん

「私も響ちゃんに同行してくるから。個々の活動内容は私のデスクの上にまとめてあります。じゃあ、行って来まーす」

由実さんの荷物もずいぶん大きいですね…
この辺りはやっぱり女性というべきでしょうか

さて、私もやるべきことをやらなくちゃ
どうやら、由実さんが帰ってきてから私のレコーディングが始まるみたいですから!

蝉の大合唱が盛りを向かえ始めた7月の下旬

shiny smileのレコーディングが始まりました
ミキサーさんは前回の曲と同じ人だったけど

「すごく上手くなった」

って誉められちゃいました!

ふふ
私だって、やればできるんです!

レコーディングが無事に終わったことをメールすると

「お疲れさん!俺も負けてられないな」

って返事が

そうですよぉ!
頑張らないと私、置いてっちゃいますよ?

なーんて
でもこのくらいは言わせて貰ってもいいですよね?

8月も10日を過ぎた日の夕方
手の空いてる人は事務所のテレビの前に集まりました

この日からやよいが声を当てているアニメが放映開始
そして、shiny smileが全国へ向けて発信される日でもあります

一番そわそわしていたのは伊織
やよいの隣に座って、どうにも落ち着かない様子です

「大丈夫だよ伊織ちゃん。もう声は録音してあるんだから」

「わ、分かってるわよそれくらい!」

この2人は相変わらずみたいです

「お!始まったぞ!」

健康的に日焼けした響が画面を指差しました

「これが春香ちゃんの曲かしら?」

「違いますあずささん。エンディングの曲です」

「あら~、いいわね~」

ますます色っぽくなったあずささん
最近は着物のモデルなんかもこなしてます
柔らかな雰囲気は以前のまま、ですけどね

アニメ開始から5分ほど経ったころ

「これが私のキャラクターですぅ!」

そう叫んだやよいの声と同じ声が、テレビから流れてきました

「何よ!まんまやよいじゃない!」

そう言いながらも、満面の笑みを浮かべている伊織

「でもちゃんと演技してるぞ」

「当たり前だろ!」

「はいはい。2人とも静かに」

律子さんにたしなめられる響と真

この2人も相変わらずな感じです

そしてアニメ本編終了
ここからは第2の本編ですよ!

「わぁ…春香ちゃんの声」

「照れるからこっち見ないで、雪歩」

雪歩はその儚げな雰囲気と愛らしいルックスを活かすために、映画を中心に活動していくみたいです

今度、ホラー映画への出演が決まったって聞きました
だけどホラーだと、貴音さんは観れないんじゃないのかなぁ?

「良い曲だね、はるるん」

「真美が歌いたかったなぁ」

「ふふ。ありがと」

全国の子供たちがいま、私の歌声を聴いてくれています
あの公園で歌っていた頃のように…

曲が終わるとみんなが拍手してくれましたもちろん、私だけじゃなくやよいに対する拍手

私の歌声、ちゃんと子供たちに届いたかなぁ?

放映開始から数日
アニメは評判が良く、私の曲にもたくさんの予約が入ったみたいです

郵送したサンプルCDを聴いたプロデューサーさんからも

「めちゃくちゃ良い!ってか春香の声ひさびさ!」

ってメールが

私もプロデューサーさんの声聴きたいんですけどね…
国際電話はお金がかかるから、私の方から"電話して欲しい"なんて言えないし

ちょっとだけ…
寂しいな

CD発売から10日後
事務所に向かう電車の中でshiny smileを口ずさんでいる子供を見かけたときは、思わず抱きしめそうになっちゃいました

それぐらい嬉しかったんですよ!

だけどそれは、ほんの前触れにすぎませんでした

「おはようございまーす」

「あっ!春香ちゃん春香ちゃん春香ちゃん!」

私の顔を見るなり、ものすごい速さで手招きしてる小鳥さん
空飛べちゃいそうな勢いです

「何ですか小鳥さん?」

「これ見て!」

指差された先にはパソコンのモニター
映っているのは…

オリコンですか?
そういえば今日って、週間ランキングの発表でしたっけ?
どれどれ…


……

………

…………えっ!

shiny smile/天海春香

…よ、4位!!!

「こ、小鳥さん!」

「は、春香ちゃん!」

その後は2人で手を取り合って跳ね回っちゃいました
騒ぎを聞いて何事かと集まってきた人たちも、理由を知るやいなや、一緒に跳ね回り始めちゃいました

「うっうー!すごいですぅ!」

「へっへー!実はボクも3枚ほど買ったんだよね!

「亜美も真美と一枚ずつ買ったもんね!」
「ふふふ、ありがとうみんな!」

そんなお祭り騒ぎの中

「あっ!これ美希!」

律子さんの声が響きました

え?
美希?

「どこですか律子さん?」

全員の目がモニターを注視していました

shiny smileから徐々に視線を下げていくと…

12位の欄にありました!

きゅん!ヴァンパイアガール/星井美希

の文字が!

「美希ちゃんすごいわ~」

モニターに向かって拍手してるあずささん

そっか…
自分のことに浮かれてたけど、美希もちゃんと頑張ってたんだね

「ねぇ律子。この曲のPVとか観れないのかな?」

真の声に促されるように、動画サイトをチェックし始めた律子

「あったわ。再生するわね」

モニター越しにみる美希は少し髪を伸ばしていました
色は茶色のままだけど、それが赤いゴシックロリータの衣装によく映えています

可愛らしい振り付けで踊る美希
甘く、それでいて挑発するような歌声

それは、美希の小悪魔的な魅力がトータルに引き出されたPVでした

「美希ちゃん可愛い…」

PVを観終わった後に漏れた、ため息混じりの雪歩の声

私も同感でした
最初から最後まで、悔しいくらい可愛かったですから

「…」

無言で立ち上がり、携帯電話を取り出した律子さん

「…もしもし?」

電話の相手は…

「みんなでアンタのPV観たわ。すっごく良かった」

やっぱり美希でした

「何よ。私だって誉めるときは誉めるわよ。それより、電話越しだからって"さん"を付け忘れないように」

みんなから漏れた笑い声
この2人も相変わらずのようですね

「え?いるわよ?変わるの?」

私に向けて差し出された携帯電話

「美希が春香と話たいって」

「もしもし、美希?」

「あ、春香?久しぶりなの!」

「久しぶり。すごく可愛い曲だね!」

「だけど春香に負けちゃったの」

「オリコン見たんだ?」

「うん。4位ってすごいね!おめでとうなの!」

いまは違う事務所のライバル
だけど、お互いに讃え合うことができる
なんの打算もなく、素直な気持ちで…

嬉しいな、こういうの

「美希の曲だってこれからもっともっと売れるよ!あんなに可愛いんだもん!」

「だって美希が歌ってるんだもん!アハッ」

こういうところは変わらないなぁ
生意気でストレート…
だけど美希なら許せちゃうんですよね、なぜか

こういうのを

得な性格

っていうのかな?ふふ

「みんなともお話ししたいけど、これから仕事なの。ごめんね」

「ううん。みんなにはちゃんと伝えとくから」

歌番組で会おうね

そう言って電話を切った美希

うん
私だって負けないから!

私の曲はその後も順調に売れ続け、10月までに30万枚を売り上げたんですけど、最高位は3位まででした

上2曲が某大型アイドルグループだったから、相手が悪かったのかも

美希の曲も徐々に順位を上げ、最高位は5位を記録
タイアップ無しでこれだから、美希個人の魅力ってことですよね?

順位と売上では勝ったけど、私個人としては負けちゃった感じです

悔しいなぁ…

徐々に秋めいてきた10月半ば
真に嬉しいオファーが舞い込みました

「戦隊ヒーロー?」

「うん!4月から始まる新シリーズに抜擢されたんだ!」

「男の人役?」

「…残念ながら女の人役。すいませんね」
「あ、ごめん…」

戦隊ヒーローって"何とかレンジャー"ってやつだよね?
すごいよ真!

「へへー!子供たちのヒーローだよ!」

「ピンク?」

「…黄色」

「あ、ごめん…」

女の人も黄色なんですね
最近観てないから、よく分かんないや

「でも、真に合ってるよね。アクションシーンとかあるんでしょ?」

「もちろん!バリバリだよ!」

また女性ファンが増えるんだろうな
お母さんたちも子供と一緒に観るはずだから、主婦層にも人気が出ちゃうかも

「これをキッカケにグラビアとかも…」

…それはちょっと無理かも
口には出せませんけどね、もちろん

他のみんなも、どんどん前に進んでいきます

真美はローティーン向けファッション雑誌のモデルに抜擢されました
竜宮小町は三者三様の魅力と安定したライブパフォーマンスが受いれられ、相変わらず765プロの稼ぎ頭です

そして…
私の親友である、千早ちゃん
彼女もまた、自分の道を進むことを選びました

秋の色が濃くなってきた、11月はじめのことでした

「春香は卒業した後どうするの?」

仕事終わりに喫茶店でお茶しているとき、そう聞かれました

「アイドルに専念するつもり。大学生生活にも憧れるけど、どっちも中途半端になりそうだから」

「そう…」

「千早ちゃんは?やっぱり進学?」

すごく頭良いですからね、千早ちゃんは

「私は…大学には行かないわ」

じゃあ、芸能活動に専念するのかな?
勿体無いなぁ
千早ちゃんなら、ちゃんと両立できそうなに

「私は…いえ、私もと言うべきかしら」

「それってどういう…」

「留学しようと思ってるの。私は英国に、だけど」

…えっ?
千早ちゃんも…
いなくなっちゃうの?

「向こうで名前の通ったプロデューサーがね、私の歌を気に入ってくれたみたいなの」

すごい…ね

「で、でも危なくない?か、身体目当てでした、とか」

「70歳くらいのおじいちゃんよ?それに、目当てにされるような身体は持っていません」

な、70歳だって…その…男の人には変わりないし…
って、なに勝手な想像してるんだろ、私

「おかしな心配しすぎよ、春香は」

「だって…千早ちゃんは、なんだか危なっかしいから…」

けっこう思いつめたりしちゃいますからね、千早ちゃん
そうかと思えば、後先考えずに突っ走っちゃうし

春香には言われたくない、って言われちゃいそうですけど…

「春香には言われたくないないわ」

ほら、やっぱり!

「みんなどんどん前に進んでいくわ」

「うん…」

「なのに私は、立ち止まったまま」

「そ、そんなことないよ!」

「そんなことあるのよ…自分が一番良く分かってる」

私は…
私の親友に対して、何も言えませんでした

ただ、"寂しい"という感情だけ…
あの人をちゃんと送り出せたのも、千早ちゃんがいたからでした

まだ千早ちゃんがいる

そう思うだけで、寂しさはいくらか和らいだから
だけど今度は…

「私は…春香にたくさん救われた」

「私だって、千早ちゃんに…」

「…プロデューサーさんは、春香に何て言い残したの?」

「えっ?」

千早の口からあの人の話題が出たことに驚いちゃいました

「…日本でピッカピカに輝け、って。アメリカにいるプロデューサーさんからも見えるように」

「うん…私も同じことを言わせて貰うわ」

「千早…ちゃん?」

「春香は日本でピッカピカに輝いて。英国にいる私にも見えるくらい。私も…負けないくらい…輝いてみせるから。日本からも見えるように」

「…寂しいよぉ」

「…そんなこと言わないでよ…こんなところで…泣きたくないんだから」

…結局、2人して大泣きしちゃいました
あのとき喫茶店にいた皆さん、ごめんなさい
それからタオルを持って来てくれた店員さん、ありがとうございました

やっと泣き止んで喫茶店を出た頃には、すっかり日が暮れていました

「…春香のバカ」

「…ごめん」

トボトボとした足取りで駅へと向かう2人
「そんな顔じゃ電車に乗れないでしょ」

「…うん」

「いいわ。私の部屋に泊めてあげる」

「…うん」

「…素直ね」

「…うん」

また泣いたら追い出すから

その言葉にも、力無く頷いただけでした

泣き疲れていた2人は、交代でシャワーを浴びた後、早めにお布団に入りました
もちろん別々の
ちなみに私は、ソファー担当でした

「…千早ちゃん?」

「…何?」

暗くなった部屋の中に行き交う2つの声

「もう決めたんだね?」

「…ええ」

「そっか…」

「ごめんね春香…」

「私…千早ちゃんのことちゃんと見てるね?」

「…ええ」

「だから千早ちゃんも…」

「…ええ…ちゃんと見てるわ、春香のこと。春香は私の…大切な親友だから」

「行ってらっしゃい、千早ちゃん」

「行ってきます、春香」

まだ4ヵ月も先の話だけどね

そう言って笑った千早ちゃん

だけど私たちはいま、ちゃんとお別れを済ませたから
だからもう泣かないよ、千早ちゃん

千早ちゃんが旅立つ日が来ても、笑顔で言うからね

またね、千早ちゃん、って

「高校受かりましたぁ!」

まだ寒さの残る3月のある日、事務所に駆け込んできたやよいと伊織
伊織は心配のあまり、一緒に合格発表を見に行ってたそうです

あとで聞いた話だと、前日の夜はほとんど眠れなかったんだとか

そして当事者のやよいは…
言うまでもなく、グッスリだったみたいです
案ずるより産むが易し、ですね

「やよいちゃんも高校生かぁ…」

しみじみとした様子の小鳥さん

「そういえば、小鳥さんは幾つに」

「真ちゃん?また何か言った?」

「な、何でもないです!」

そろそろ学ぼうよ、真…

「おめでとーやよいっち!」

「ありがと、真美!私、これでもう大人だよ!」

…大人って何でしたっけ?

「やよいちゃんも無事合格したし、春香ちゃんと千早ちゃんも無事に高校卒業ね」

「はい、由実さん!」

由実さんにはだいぶ課題を手伝ってもらっちゃいました…
だけど、勉強もできるなんてズルいですよ?

「千早ちゃんは卒業式が終わったら渡英ね?」

「はい、由実さん」

「本当にお見送りには行かなくていいの?」

「そういうの苦手だから…」

千早らしいね

って声が、誰からともなく挙がりました

うん
ホント、千早ちゃんらしい

もう高校卒業かぁ…
初めてあの人と出会ったのが高校1年生のとき
アメリカに行くあの人を見送ったのが去年の春
早いなぁ、時間が経つのって

何だかんだで、毎日のメールのやりとりは続いています
千早ちゃんが留学することを知らせたときも

「アイツなら大丈夫だよ」

って返ってきました

私はまだ心配なんですけど…
笑顔で見送るって決めましたから、あの日の夜

「ロンドンって曇りの日が多いらしいぞ」

「ええ、知ってるわ」

「なんだ、知ってたのか」

「常識だと思うけれど…」

こんなやり取りももうすぐ見納めかぁ…
やっぱり、寂しいものは寂しいですよ、うん

1年前と同じくらいに

そして迎えた卒業式
最後の校歌斉唱は、涙で声が出ませんでした

校門の前では、みんなから"一緒に写真を撮って"ってお願いされちゃいました
ちょっとだけ鼻高々です

はぁ…
ホントに卒業しちゃったんだなぁ…

もう制服着る機会も…
…それはけっこう有りそうかも

趣味じゃないですよ?
仕事です、仕事!

またねって別れた卒業式…
ホントに誰も"バイバイ"って言いませんでした

みんなが

天海春香って高校の同級生なんだよ!

って自慢したくなるようなアイドルになりたいな

そんなことを考えながら部屋に戻ると、パソコンがメールを受信していました

プロデューサーさんから?
卒業祝いでしょうか?

なになに…

「春香卒業おめでとう!来週の月曜日から一週間ほど日本に帰るよ!」

…ええっ!?

来週の月曜日ってことは…

今日が水曜日で…
土曜日に千早ちゃんが渡英して…

その2日後?

すごく慌ただしいじゃないですかぁ!

え?え?えっ?

どうしよどうしよ!!!

めちゃくちゃ会いたいし、手とか繋ぎたいけど…
だけど…

会っちゃっていいのかな?

なにを話せばいいのかな?

私…

どうしよう…

夕暮れの公園でプロデューサーさんと交わした約束

「春香は日本でピッカピカに輝け」って約束

まだ、実現できていないです…

ピカ

くらいだもん、いまの私は…

こんなので、会ってもいいのかな…

答えなんて出るはずもなく、私は制服のままベッドに倒れ込みました

…なるように、なる?

なるかなぁ…
なったらいいなぁ…

こういうとこれは成長してませんね、私

ホント、大人ってなんなんでしょうね?

考えても仕方なさそうだから

「火曜日のあの日と同じ時刻、あの日と同じ公園で待っています」

って返事を出しました
帰ってきたその日に会ってもらうのは、申し訳ない気がしたから

ってか、あの日のことちゃんと覚えてるのかな?
それが一番心配なんですけど…

金曜日の夜
翌日渡英する千早ちゃんの送別会が催されました
もちろん、我らが事務所で

けっこう稼いでるはずなんですけどね、私たち
どこかのお店のお座敷とかでできないのかな?

まぁ、これはこれで気楽なんですけどね

「如月千早君の門出に、乾杯!」

「カンパーイ!!!」

やっぱり照れくさそうな千早ちゃん
歌うときはあんなに堂々としてるのなぁ

でも、それが千早ちゃんだもんね
私の大切な親友

千早ちゃんがいたから、この1年間をやってこれた気がします

「千早お姉ちゃん、真美…」

「はいはい。泣くのは禁止」

「だってさぁ…」

「真美は笑って方が可愛いんだから。ね?」

「うん…」

こういうところは、ちゃんとお姉ちゃんなんですよね
あとは意地っ張りなところが改善されれば…

…やっぱり。このままでいっか
意地っ張りな千早ちゃんも可愛いですからね

楽しくても悲しくても、やっぱり時間は過ぎていきます

夜9時になったところで、送別会はお開き

この事務所で旅立ちたいから

千早ちゃんからの要望を受け、私たちは事務所の外まで着いていかないことにしました
出入り口のドアの前に立ち、私たちにかけるべき言葉を探している千早ちゃん
不思議と、涙は出ませんでした
千早ちゃんも泣いてはいません

「長い間お世話になりました。行ってきます!」

そう言ったあと、しばらく頭を下げていた千早ちゃん

行ってらっしゃい!

みんなの声を受けながら頭を上げると、今まで見た中で一番の笑顔

そして振り返ると静かにドアを開け、そして閉じました

行ってらっしゃい、千早ちゃん

もう一度呟きました

その声とともに、私たちの青春がまた1つ、幕を下ろしました

千早ちゃんのいなくなった765プロ
10人になってしまったアイドル

寂しいけど、悲しくはありませんでした
だって美希も千早ちゃんも、前に進むために飛び立っていったんだから

そしてもう1人、夢を叶えるために飛び立っていった人がいます
私の一番大切な人…

私が青いベンチに腰掛けたとき、公園はあの日と同じように、オレンジ色の夕焼けに包まれていました

結局考えはまとまらず…
なんの言葉も用意しないまま、ここに来てしまいました

このままプロデューサーさんと会って、抱き締められて、キスして、それから…

されて嫌なことは何一つないけど、もしホントにそうなったら…
私はどうなっちゃうんだろう?

何かが崩れていきそうな予感がします
それが何なのかは、ちっとも分かりませんでした

「あ…」

公園の入り口に現れたその姿を見た瞬間、私は立ち上がっていました
だけど、足を踏み出すことはできません

近付いてくるその人の姿が次第に滲みはじめました

「春香」

1年ぶりに聞いたその声
1年ぶりに見たその顔

世界が止まったように感じたそのとき、自分でも予想していなかった言葉が口から飛び出してゆきました

「ダメです!」

って言葉が

「春香?」

手を伸ばせば触れられる距離にいるその人に、拒絶の言葉を投げかけた私
その後は、堰を切ったように言葉が溢れ出してゆきました

「いま…いま抱き締められたら…私は…もう2度と1人で立てません!歩けません!」

まだ中途半端な私と、そしてたぶん、まだ未完成なその人
そんな2人が寄り添っても、何も生まれないと思ったから…
お互いに寄り添うことでしか、生きていけなくなる気がしたから…

「勝手なこと言ってごめんなさい…私はあなたが大好きです!だけど…だけどまだダメなんです…私は…何も叶えていないから…」

言葉が途切れると嗚咽漏れ始めました
プロデューサーさんはその場に立ち尽くしたまま、私を見つめていました

どれくらいの時間そうしていたんでしょう?
やっと嗚咽の止まった私に、プロデューサーさんは言いました

「変わんないな、春香は」

私を抱き締めるような、優しい声でした

「…ごめんなさい」

「謝らなくてもいいさ。俺が好きになった春香は、そういう奴だ」

顔を上げた私の目に飛び込んできた、夕焼けに照らされたプロデューサーさんの顔
太陽の下で見てたら、たぶん、照れて真っ赤になってたんでしょうね

「俺は…お前に甘えたかったのかもしれないな。夢を追いかけるのは、辛いことの方が多いから」

「私はまだ…その気持ちに応えることはできません…」

「いいんだ、春香。もしお前に甘えてたら…俺は終わってた気がする」

「プロデューサーさん…」

「帰ってきて良かったよ。また頑張れそうな気がする」

「私も…私もです!」

「お互いに得るものはあったか」

「はい、たくさん!」

「そうか。良かった」

言葉の途切れた2人
穏やかな風が、私のリボンを揺らしています
私はそのリボンをほどくと、プロデューサーさんに差し出しました

「…これは?」

「次に会うときまで、預けときます」

「預ける?」

「次に会ったときは…プロデューサーさんが結んでください、私の髪に。お気に入りのリボンですから、それ」

「…責任重大だな」

当たり前です!
女の子にこれだけの決意をさせたんですから!
これくらい背負ってもらってもかまいませんよね?

「分かった。預からせてもらうよ」

「はい」

「それじゃあ…もう行くよ」

「はい。行ってらっしゃい、プロデューサーさん」

「またな」

「はい、また」

私に背を向けて歩き始めたプロデューサーさん
その背中が見えなくなるまで、私は目で追いかけました
振り返ることはないと分かっていながら、夕焼けの中を、いつまでも

私がどんな感情を抱いていても、時間は勝手に過ぎていきます

特にそれからの年月は、あっという間でした

プロデューサーさんとのメールのやり取りは、週に一度と決めました
それ以上は、お互いに甘えてしまうから

それぞれがそれぞれの時間の中で、自分の道を進もうと必死でした

声優、グラビアアイドル、映画女優、舞台女優、アクション女優、歌手、モデル、そしてアイドルの道

仕事が増えて忙しくなるにつれ、顔を合わせる機会も減っていきました

だけどたまに言葉を交わすとき、そこには私たちだけの時間がありました
同じ場所で生きていた私たちだけの、一生の内で一番大切な時間

言葉にするのは恥ずかしいけど、青春と呼ぶべき時間が

あの日から3度目の春が巡り22歳の誕生日を迎える頃、私は"トップ"と呼ばれるアイドルになっていました

「誕生日おめでとう!」

「おめでとう、春香ちゃん!」

たまたま事務所にいた真と雪歩が、クラッカーを鳴らしてくれました
残念ながら、他のみんなはそれぞれの仕事に行っています

「春香も22歳かぁ」

「あっという間だねぇ」

「そういえば小鳥さんは」

「またまた何か言った?真ちゃん?」

「な、何でも無いです!」

ふふふ…
ただ顔を合わせるだけで、自然と"あの頃"の私たちに戻ってしまいます

だけど真?
そろそろ学びなさい?

「私、そろそろ行かなきゃ」

「あれ?まだ仕事あるの?」

「プライベートですよ、プライベート!」

「行ってらっしゃい、春香ちゃん」

「うん。またね、2人とも」

4月3日はもう暖かくて、足取りも軽いです
歩を進めるたびに、リボンの巻かれていない髪の毛が上下に揺れました

公園の時計は17時30分を回ったところ

いつの間にか白色に塗られていたベンチに腰掛けました
手には温かいカフェ・オレ

その温かさを懐かしんでいる内に、公園は夕焼けに包まれ始めました

そして18時ちょうど
その人は現れました

右手に真っ赤なリボンを握りしめて

ゆっくり立ち上がった私

ゆっくりと歩み寄ってくるその人

この公園で初めて出会ったときと変わらない、優しい笑顔

私の側までくると、真っ赤なリボンを私の髪に結びました

抱き寄せられたというより、私の方から飛び込んだといった方が正しいかも知れません
4年分の思いを込めて、思いっきり飛び込んでやりました

そして4年前と同じように、2つの影と2人の唇が重なって…

「ただいま」

「おかえりなさい」

唇越しにそう伝え合うかのように、キスをしました
世界が止まったように思えて、少しだけ涙が出ました

唇が離れ、視線が交錯します

「これからは2人で」

「はい、2人で」

言い終えたあと、もう一度抱き締め合いました
あの瞬間、本当に世界は止まっていたのかもしれません

プロデューサーさんが巻いたリボンは上手く結べていなくて、右側だけが風に飛ばされてしまいました
オレンジ色に染まった世界の中を、真っ赤リボンが、ヒラヒラと…

私の人生の中で、忘れられない場所があります
変わってしまった場所、まだ変わらない場所
そして、もう無くなってしまった場所

この場所もその内のひとつ
この人と出会った、思い出の公園

あの日の夕焼けの中で風に舞った真っ赤なリボンは、今でもきっと、ヒラヒラ、ヒラヒラと

そこは、私たちが出会った場所

そして

いつまでも変わらない、私たちの中の風景


お し ま い