あらすじ:材木問屋白子屋は主人亡き後、身代が傾き始めていた。後家のお常は店を立て直すために娘のお熊に持参金付の婿を迎えようとする。しかしお熊は白子屋手代の忠七と夫婦の約束を交わしており、忠七に自分を連れて逃げてほしいと頼み込む。そこへその様子を伺っていた、出入りの髪結新三がお熊を連れて逃げろと忠七を唆す

出演

髪結新三:天海春香

白子屋手代忠七:萩原雪歩
下剃勝奴:日高愛
お熊:如月千早
車力善八:秋月涼
家主女房おかく:音無小鳥

家主長兵衛:秋月律子

後家お常:日高舞

弥太五郎源七:三浦あずさ


<序幕 第一場 白子屋見世先の場>


千早「母様、さっき結納の品を持って来たけど、誰かの縁談でもあるの?」

舞「お熊…黙ってて申し訳ないと思ってる…」

千早「え…?」

舞「あなたも知っての通りこの白子屋は主人が死んでから、身代が傾く一方…店を立て直すためにはお金が必要なの。だから、善八さんに頼んで五百両の持参金付の婿を世話してもらったのよ…」

千早「ということは…私の縁談がもう決まったって言うの?…何でそんな大事な事を黙っていたの!私はこんなの嫌よ!私はこんな縁談認めないわ!」

舞「あなたがそういうのも無理はないわ…でもこの縁談が纏まらないとなれば、私はその申し訳に死ぬしかない」

千早「そ、そんな!」

舞「お願いよ、お熊。どうか了見して」

千早「そ、それは…」

涼「お嬢様!お常さんの願いを聞いてやってください!」

千早「……」

涼「お嬢様!」

千早「わかりました…」

舞「お熊!よく言ってくれたわ!主人も喜んでいるはずよ…じゃあ私は奥で準備があるから…お熊、ありがとう」

千早「……」

涼「お嬢様…忠七の事を考えているのでしょう?あなたと忠七の仲は良く知ってます。ですがここは、お家を助けると思って、どうか…」

千早「……」

雪歩「ただいま帰りました」

千早「忠七!」

涼「二人で話す事もあるでしょうから、僕は奥に行きましょうか…」

千早「忠七…」

雪歩「お嬢様、婚礼の事は聞いてます。嬉しい事ですね」

千早「嬉しいなんて…何も嬉しいことなんてないわ!はいと言わなければ、死ぬと言われたら誰だってはいと答えるに決まってる…忠七、私を連れて逃げて」

雪歩「そ、そんなの駄目です!私の事をそれほどに思ってくれているのは嬉しいです。お嬢様、孝行と思ってどうか了見してくださいませ」

千早「嫌よ…そんなの嫌よ…」

春香「ん?……」

千早「忠七、お願いよ、私を連れて逃げて!」

雪歩「そ、そのような事をすれば不孝になりますよ!」

千早「たとえ不孝になったとしても私は嫌なのよ!」

雪歩「こ、困りました…」

涼「お嬢様、奥でお常さんが呼んでますよ」

千早「わ、私はまだここで話が…」

涼「さ、早く来てください」

雪歩「お嬢様…」

千早「忠七…」

雪歩「はぁ…どうすれば…」

春香「ふ~ん……」

ドタドタドタ!

春香「忠七さん、お邪魔するよ」

雪歩「新三さんですか…今日はちょっと忙しいので、また明日にでも…」

春香「明日だとこっちの都合が悪いんですよ。結い直すのが面倒なら、ちゃちゃっとやっちゃいましょう」

雪歩「それなら…お願いしましょうか」

春香「へいへい…」

雪歩「…新三さん、何を覗いてるんですか?」

春香「何をって忠七さん、お前さんの相談相手になってあげようと、奥を覗いたんでございますよ」

雪歩「私の?」

春香「ま、やりながら話しましょうや」

雪歩「はぁ…」

春香「忠七さん、お隠しなすっちゃいけませんぜ」

雪歩「私が何を隠すって言うんですか?」

春香「お熊さんをどうなさるおつもりで?」

雪歩「お熊さんは家の娘ですよ。私なんかが…」

春香「その娘さんの所に、お婿さんが来るって話なんでしょ?こいつはいっそお熊さんを、連れて逃げておやんなさい」

雪歩「な!?めっそうな事は言わないでください!」

春香「隠すには及びません。蛇の道は蛇って言いますからね。嫌な婿さんの所に行くより、好きな男の所へ行くのが、お熊さんにとっちゃ幸せってもんです。お熊さんを連れだして、夫婦になっておやんなさい」

雪歩「実は…さっきお熊さんに連れて逃げてくれと言われて、途方に暮れていたところでした…」

春香「それみねえな!もしかしたらお熊さん、嫌な婿の所には行きたくないと、身投げなどするかもしれません。そうなったらかえって不忠になりますよ」

雪歩「そ、そんな…でも連れ出したとしても、私には身の置き所がありません…」

春香「そういうことなら、私の家へおいでなさい」

雪歩「なら、御厄介になるかもしれません」

春香「ぜひそうしてくださいな…髪も結い終わったから、私は帰りますよ。忠七さん、日が暮れたら…」

雪歩「ええ…」

春香「へへ…じゃあ日暮れにまた」

雪歩「…新三さんの親切話、これはもういっそ義理を捨て、思案を変えねば…ならぬわえ…」


<序幕 第二場 永代橋川端の場>


春香「…あんまり傍へよりなさんな。足が絡んで歩きにくい」

雪歩「で、でも離れて歩くとこの雨ですから、濡れてしまいます…」

春香「贅沢な事を言うねぇ」

雪歩「ちょ、ちょっと待ってください…あっ!鼻緒が切れちゃった…」

春香「へえ…じゃあ私は先に行くから」

雪歩「し、新三さん、ちょっと待ってください」

春香「何か用かい?」

雪歩「鼻緒を直しますから、ちょっと待ってください」

春香「直すなら勝手に直しな。私は一足先に行くよ」

雪歩「ちょっと新三さん、それはいくらなんでも不人情ではありませんか?」

春香「何で私が、不人情だい?」

雪歩「鼻緒が切れて困っているのに自分が濡れたくないからって、私が買ったその傘をさして行こうっていうのは、いくらなんでも不人情じゃございませんか?」

春香「私が買った傘だぁ…冗談言っちゃぁいけないよ。雨が降って困るって言うから、傘と下駄は私があんたに買ってやったんだ。ここまで一緒に相合傘してやったのは、この新三の親切心。私が買ったこの傘を自分が買ったと言いがかり…取り上げようとは太え奴だ!!」

雪歩「…たかが傘の一本くらいで、私が買った買わないと争ったのは私の誤り…謝ります。謝りますから堪忍してください」

春香「ふん…今度から口のきき方に気をつけろい!!」

雪歩「し、新三さん!ちょっと待ってください!」

春香「はぁ…今度は何?」

雪歩「私はあなたの家の場所を知らないんですよ。あなたに先に行かれては困ります!」

春香「おうおうおう忠七さん。一体何の用があって、私の家に来るって言うんだい?」

雪歩「…なんでって、お熊さんと今夜から御厄介になるって約束じゃないですか」

春香「忠七さん、お前ちょっと寝ぼけちゃいねえか?私はそんな事言った覚えはないよ」

雪歩「え!?さ、さっき言ったじゃ…もしかして、私を利用してお熊さんを連れ出すつもりだったってこと…私はまんまと騙された…」

春香「何言ってんでぇ!!あのお熊って女はな、私の女だから連れて逃げてやったんだよ!!手前に用があるものか」

雪歩「こ、この!!」

春香「何をしやがる!!!」

雪歩「うわ!?」

春香「おい!よく聞けよ!」

春香「ふだんは帳場を回りの髪結 いわば得意のことだから うぬのような間抜け野郎にも やれ忠七さんとか番頭さんとか上手をつかって出入りをするも 一銭職と昔から下がった稼業の世渡りに にこにこ笑った大黒の口をつぼめた傘も 並んでさして来たからは 相合傘の五分と五分 轆轤のような首をしてお熊が待っていようと思い 雨の由縁にしっぽりと濡るる心で帰るのを そっちが娘に振りつけられ弾きにされた悔しんぼに 柄のねえところへ柄をすえて 油紙へ火のつくようにべらべら御託をぬかしゃあがると こっちも男の意地づくに覚えはねえと白張りのしらをきったる番傘で うぬがか細いそのからだへ べったり印を付けてやらあ!!!」

雪歩「痛っ!…くそぉ!!」

春香「ああもう危ねえ危ねえ…ええいうっとおしい!!!」

雪歩「ああ!」

春香「へっ!ざまあみやがれ!!」

雪歩「……まんまと新三に騙されて、お熊さんも連れて行かれた…もう死んでお詫びするしかない…不埒な事をした罰が当たったのかな…さようなら、お熊さん…」

あずさ「待ちねえ!!待ちねえ!!」

雪歩「止めないでください!!」

あずさ「待てと言ったら待たねえか!!!…ん?お前、白子屋の番頭じゃねえか」

雪歩「あ、あなたは乗物町の親分、弥太五郎源七さん!?」

あずさ「如何にも私は弥太五郎源七だ。一体何があったんだい?あっちで聞いてやるから私と一緒に来なさい」

雪歩「は、はい…」

あずさ「何か力になれるかもしれねえ、さあ付いて来なさい」

雪歩「ありがとう…ありがとうござりまする…」


<二幕目 第一場 富吉町新三内の場>


春香「ただいま~」

愛「お帰りなさい!!!あっ!初鰹じゃないですか!!!美味しそう!!!」

春香「後で刺身にして食べようじゃねえか」

愛「お金は大丈夫なんですか?」

春香「今に白子屋からお熊の身代金が来るだろうから、前祝いに一杯やるんだよ」

愛「忠七も馬鹿な人ですね。まんまと騙されちゃって」

春香「それはそうと、私が出掛けてる間に戸棚の中で愚図らなかったかい?」

愛「愚図るどころか、出してくれ出してくれって泣いて叫ぶんで、お隣さんに家の中覗かれて困りましたよ」

春香「覗かれたって構いやしねえや!!」

愛「あ、あんまり大きな声を出すと、大家さんに聞かれちゃいますよ」

春香「あっ…長屋の奴らは怖くねえが、太え事なら抜け目のねえ大家は私の、天敵だ」

愛「違いないですね!!!」

あずさ「新三の家はあそこかい」

涼「大家さんに聞きましたが、あそこの家でございます…」

あずさ「そうかい、それじゃあ新三が家に居るかどうか、見てきてくれ」

涼「い、いえ!家に居るに違いありません!」

あずさ「何をそんなに震えてるんだい?」

涼「新三が、怖いんです…」

あずさ「臆病な人だなぁ…ごめんよ新三は居るかね」

愛「はい…あっ!乗物町の親分!?」

春香「乗物町の親分!?こ、こんな汚い所へ、ささっこちらへ!!」

あずさ「気を使わなくてもいいぜ」

春香「もし親分、今日はどういった御用で?」

あずさ「用と言うのは他でもねえ。私は白子屋の事でやって来たんだ」

涼「この善八がお頼み申して、ここまでお連れしたのでございます」

春香「…親分の所に行くだろうとは思ってましたが、どうか親分この事に関しては口を利かないでおくんなさい」

あずさ「いくら口を利くなといっても、私も弥太五郎源七だ。利くだけの口は利かにゃあならねえ」

ドンドンドン!

春香「おう!何を騒ぎやがるんだ静かにしろい!!!…へへへ、すみません…」

あずさ「新三、口を出されて迷惑だろうが、俺に任せてくれねえか?何も、ただとは言わねえ。お前の考えじゃ、百両や二百両の金を取り気でいるだろうが、この金を百両と思って、娘を返してくれ」

春香「へへへ、親分にそう言われちゃあ敵いませ……へえ……この金であの娘を返してくれと仰いますのかい?」

あずさ「それで了見してくれ」

春香「十両の、この金でかい?…大概にしやがれ!!!」

あずさ「何しやがる!!!」

春香「何しやがるって叩き返したんだ!!!」

あずさ「どうしたと!!!」

春香「十両って相場はどこで立ててやって来やがった!!髪結だからって侮りやがって!!こんなはした金で返せるかい!!!おい勝見ねえ、あれで親分だとよ」

愛「ほんとに好かないおばさんですね!!!」

あずさ「新三!!!よくも恥をかかせたな!!この弥太五郎源七をよくも…あと十年も若けりゃ命のやり取りしようけれど!!…くっ…今日はこのまま帰ってやろうじゃねえか…」

春香「へっ!何時までもここに居ればいいや、自惚れんじゃねえぞおばさん!!!」

あずさ「ここで事を荒だてりゃあ、白子屋に迷惑がかかる…」

涼「親分さん、必ず早まってくださいますな…」

あずさ「……どんな恥をかいても今日は帰ろう、心配するな」

涼「ありがとうございます…」

あずさ「この一件が終わったら、必ず礼に来るからな」

春香「それには及ばねえ、私がお前の所まで行ってやるよ」

あずさ「指を咥えて…帰ろうか…」

春香「何を言ってやがんだ!」

小鳥「乗物町の親分さん、ちょっと待ってくださいまし」

あずさ「あなたは?」

涼「大家さんの奥さんですね」

小鳥「家の主人に考えがありますから、ちょっとお立ち寄りくださいまし」

あずさ「それはありがたいが、これから用があります。私の代わりによろしくお願いします…隣近所や長屋の衆に顔を見られるのも面目ねえ…今日はもう帰りましょう」

涼「では僕が代わりに…」

あずさ「頼んだよ……この礼は必ず…!」

愛「おとといきやがれ!!!」

春香「やっと帰りやがった…日も落ちてきたな、早いこと刺身作ってくれ」

愛「あのおばさんのせいですっかり忘れてました!!!」

春香「お前が刺身作る間に、戸棚の女で楽しもうかね…鍵貸して」

愛「鍵?あたしは知りませんよ」

春香「夕べお前に預けたじゃねえか」

愛「あたしは知りません」

春香「さっさと出さねえか!」

愛「知りません!!!」

春香「もう良い…私にはこの煙管があるんだ!こいつで開けてやるよ!カンカンカンっと…痛っ!血豆作っちまった…」

愛「気を付けてくださいよ」

春香「この野郎…覚えてろよ!」


<二幕目 第二場 家主長兵衛内の場>


律子「ふ~ん、なるほどね。しかし乗物町の親分にしても十両はちょっと安すぎるわね…私に任せといて。三十両であいつから娘さんを取り返してあげる」

涼「ほ、本当ですか!?ありがとうござりまする!も、もしもの時の為にいくらか金は持ってきておりましたから、三十両はここにあります。ですから早くお嬢様をお助けください!」

律子「随分と用意の良いことで…じゃあ早速行きましょうか。おかく、娘さんを入れる駕籠呼んどいて」

小鳥「え、いくらなんでも早すぎるんじゃ」

律子「いいから呼んで来なさい!」

小鳥「…わかりましたよ」

律子「頼んだわよ…じゃあ行きましょう」

小鳥「はぁ…すぐ怒鳴るのやめてほしいな…でも、娘さんを取り返したら一体いくらお礼は貰えるのかしら?三、いや五両は確実に貰えるわね。そのお金で来月の5月15日に発売される、ワンフォーオールを買いましょう!そうしましょう!…無駄話はこのくらいにして、早く駕籠を呼んで来ましょう。また怒鳴られちゃうし…」


<二幕目 第三場 元の新三内の場>


律子「新三は居る?」

春香「あっ!大家さん!?」

律子「今日は休みなの?」

春香「ちょ、ちょっと風邪ひいちゃったもので…」

律子「ん?初鰹ね。風邪にはこいつが一番よね」

春香「そ、そうですね」

律子「時に新三、鰹は半分貰ってくよ」

春香「え…ああ、あげましょうあげましょう!」

律子「新三、今日はあなたに話があって来たのよ」

春香「話?店賃の事なら、あと二三日待ってくださいよ」

律子「違うわよ。金儲けの話を持って来たのよ」

春香「え!金儲け!?金儲けだってよ、勝!」

愛「金儲けですか!!!大家さんよくぞいらっしゃいました!!!」

律子「現金な奴ねまったく…新三、今日私がやってきたのは、昨日お前が連れてきた白子屋の娘の事で来たのよ」

春香「大家さん、あの白子屋の女はもう太え奴なんですよ!ですからその話はしないでくださいな」

律子「太えか細えか知らないけど、昨夜からの事はもう聞いてるわ。なんでもあの弥太五郎源七が来たそうじゃない」

春香「弥太五郎が来ましたよ。十両のはした金で娘を返せとか言いやがるんで、追い返してやりましたよ」

律子「よくやったわねあなた!で、話は変わるけど…」

春香「大家さん!あの娘の事はどうか話さないでください」

律子「そういうわけにもいかないのよ。連れて逃げたなんて拐かしと同じじゃない。そんなことが世間様にばれたら色々と面倒よ。あっちが内密に済ませようと言ってる間にさっさと返しちゃいなさいよ。何もただとは言わないわ。源七のようなはした金は持って来てないわよ。三十両で黙って返してやりなさい」

春香「三十両?…こっちとしては百両の纏まった金でないと、どうしても返すことは出来ません」

律子「本当にあなたに訳があって、連れて逃げた娘なら百両でも二百両でも取れるだけ取ればいいわ。でも、さっき言った通り拐かし同然で連れ出したんだから、三十両で了見しなさい」

春香「こいつばかりは大家さんの頼みでも…」

律子「それじゃあ、私の言う事が聞けないっていうの?」

春香「こればっかりは聞かれません」

律子「どうあっても?」

春香「どうあってもです!」

律子「聞かざあ良しにしろい!!私の言う事が聞けないって言うなら、どうなるかわかってるんでしょうね?憚りながら両御番所は言うに及ばず、御勘定から寺社奉行、火付盗賊改の下役へ出ても深川の、長兵衛と言えば腰掛で誰知らない者も居ない、金箔付きの家主よ!この私の舌先三寸であなたの体へ縄を掛けるなんて造作もないこと。でもね、店子と言えば我が子も同然、親が子に縄を掛けるなんてしたくないのよ。悪いことは言わないから、三十両で了見しなさい」

春香「普通ならここで了見しますがね、私だって上総無宿の入墨新三。そんな簡単に了見出来ませんね」

律子「黙らっしゃい!!黙って聞いてれば生意気なこと言って…さっき上総無宿の、何とかって言ったわね」

春香「上総無宿の入墨新三さ」

律子「入墨と言うのをあなた何だと思ってるの?自分から犯罪者だって言ってるようなものじゃない。でも、あなたも意外と馬鹿ね」

春香「私のどこが馬鹿だって!!」

律子「家主の前で隠すべき入墨を自慢げに見せるなんて、馬鹿じゃないの」

春香「あっ!?…私、私もう入墨はありません…」

律子「悪いって気がついた?それなら三十両で了見しなさい」

春香「それとこれとは話が別ですよ」

律子「嫌ならいいわ。その代わりあなたの悪事を言い立てて縄を掛けてやるわ」

春香「そ、そんなこと言われちゃあ困りますよ!」

律子「それなら三十両で了見する?」

春香「そ、それは…」

律子「私はぐずぐずするのが大嫌いなのよ!!さっさと了見しなさい!!」

春香「そ、そんな…」

律子「訴えようか?了見するか?さあさあさあ!!どうするのよ!!」

春香「うう…へいへい、了見しましょう。三十両で了見しましょう」

律子「早くそう言いなさいよ」

涼「大家さん!ありがとうございました!」

律子「ようやく新三が了見しましたよ」

春香「この野郎…」

律子「おかくに早く駕籠を呼んで来いって言ってきて」

涼「駕籠はもう来てます!」

春香「用意の良いことで…勝、鍵出して」

愛「へい、鍵」

春香「あっ!やっぱりお前持ってたじゃねえか!!こん畜生!!」

律子「いいから早く開けなさい!!」

春香「わかりましたよ…はい開けました」

律子「ああもうこんな縄で縛ってかわいそうに…あなたもとんだ目に遭ったわねえ」

千早「このまま家に帰れるのも全てあなたのおかげです。ありがとうござります…」

律子「礼には及ばないわ。さあ早く帰りなさい」

春香「私に逢いたくなったらいつでも来なさいよ!」

律子「あなたは引っ込んでなさい!」

涼「このお礼に白子屋からまた伺います」

律子「そのお礼には及びませんよ」

愛「大家さん、嘘ばっかり」

律子「うるさいわね!!ってあの男もそそっかしいわね。私の下駄と自分の草履を間違えて履いて行っちゃった」

愛「取り返してきましょうか?」

律子「どうせ明日にはお礼を持ってまた来るでしょうし大丈夫よ。でもあの娘さん、良い娘だったわね」

春香「でしょう!!千早ちゃんそっくりで可愛かったでしょう!!」

律子「でも、あなたもよく了見したわね。私も安心したわ…時に新三、鰹は半分貰ったわよ」

春香「鰹?ええ、いいですよ。半分持ってってください」

律子「いやぁ、しかし何よりだったわね。良かった良かった」

春香「大家さん、お前の言う通り娘は返しましたよ」

律子「良かったわね」

春香「そうじゃなくて!早く下さいよ!」

律子「…何を?」

春香「何をって!金を早く出してくださいよ!」

律子「あれ?もうあなたにやらなかったっけ?」

春香「何を言ってんでえ!まだ貰ってねえよ!」

律子「そんな事は…あ、本当だ。最近物忘れが激しくってねえ、すっかり忘れてたわ」

春香「しっかりしてくださいよ…」

律子「しかし新三、あなたも豪儀な事をしたわね。あんな綺麗な娘を連れ込んで散々好き勝手な事をした挙句、三十両手に入れちゃって、こんな上手い話は無いわねえ」

春香「でへへ、千早ちゃんにそっくりだったもんだからちょっと激しくやり過ぎちゃった…って!何でまた金をしまってるんですか!!」

律子「うるさいわねえ。私の懐に閉まっておけば蔵に閉まってるのと同じじゃない」

春香「その蔵から早く出してくださいよ!!」

律子「わかったわよ…間違うとまずいから数えるわよ。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、良いわね、十両あるわよ。後数えるわよ。1、2、3、4、5、上が十両、下が五両で十五両。良いわね?」

春香「良いよ」

律子「取っときなさい。鰹は半分貰ったわよ」

春香「……大家さん、これじゃ勘定が違うよ」

律子「違わないはずだけど?」

春香「だって、さっき私に三十両やるって仰ったじゃございませんか」

律子「ええ、三十両取ってやるって言ったから、三十両取ってやったんじゃない」

春香「だけどこれじゃ、十五両しかありませんよ」

律子「わからない奴ね。良く見なさいよ。上が十両、下が五両で十五両。良いわね?わかったわね?」

春香「わかったよ」

律子「鰹は半分貰ったわよ」

春香「いやいや!だから鰹は半分あげたけど、三十両が十五両じゃ金が半分足らないよ!」

律子「まだそんな事を言ってるの!?随分あなたもわからない奴ね」

春香「三十両が十五両じゃ大家さんのほうがよっぽどわからねえよ!!」

律子「呆れかえったわからない奴ね!!!新三良く見なさい!!!上が十両、下が五両で十五両!!!わかったわね!!!」

春香「わかったよ!!!」

律子「鰹は半分貰ったよ!!!」

春香「だ!か!ら!鰹は半分やったけど、三十両が十五両じゃ、金が足りません!!!」

律子「あーもう!!!まだあなたにはわからないの!?三十両の約束で、十五両やって鰹は半分貰ったって言ってんじゃないの!!こんなわかりきった話は無いじゃない!!!」

春香「………」

春香「……まだ私にはわからねえ…勝、わかる?」

愛「あたしもよくわかりませんが、さっきから二言目には鰹は半分貰ったって口癖のように言うってことは…三十両の内十五両を、半分貰って行くって意味じゃあ…ありませんか…?」

律子「……勝!!!えらい!!!あなたは賢い!!!新三なんかよりもよっぽど話せる奴ね!!!」

愛「えへへ、褒められちゃった…」

春香「はぁ!?じゃあ三十両の内十五両を持ってくって言うの!」

律子「当り前よ!骨折り賃として私が半分貰うのよ!」

春香「冗談言っちゃいけねえや!こんな金いらねえや!」

律子「いらない?いらざあ良しにするがいいわ。私はね最初からあなたに一文だってやる気はなかったのよ」

春香「な、何を言ってやがんでえ!」

律子「新三!こうなったらあなたの悪事を言い立てて、縄を掛けてもらうからそう思いなさいよ!」

春香「そ、それはいけねえよ!」

律子「なら十五両で了見する?」

春香「それはいけねえ!」

律子「嫌なら訴えでようか!」

春香「それもいけねえ!」

律子「さあ!」

春香「さあ!」

律春「さあさあさあ!!!」

律子「おい新三!!!早く返事を!しねえのか!!!」

春香「私もよっぽど太え気だが…大家さんには敵わねえ…太え人だねえ…」

律子「私の太えのを今知ったの?こういう時の事を考えて、入墨者に長屋を貸してる家主よ。嫌なら嫌だって早く言いなさいよ。すぐにでも縄掛けてやるわ。新三、あなたの首は胴には付いちゃいないわよ」

春香「鶴亀鶴亀…」

律子「十五両で良いのよね?」

春香「あんまり良くはねえ…」

律子「なんですって!!」

春香「ああもう!!それで良いですよ…」

律子「まだそんなこと言って!!また初めから数えなくちゃいけないじゃないの!!めんどくさいわね…1、2、3、4、5、6、7、8、9、10…」

小鳥「その金を渡すのはちょっと待ってください!」

律子「どうしたのおかく?」

小鳥「店賃の滞りが、二両ありますよ!」

律子「違いないわ!!二両取るのを忘れていたわ!!」

春香「ここからまた二両取るって言うの!?」

律子「当り前よ!!最初っから素直に貰ってればいいものを!!」

春香「そりゃ酷いよ…」

律子「嫌なら良しにしなさいよ!!」

春香「もういいよもういいよ!!」

小鳥「あら、美味しそうな鰹」

律子「それは半分貰ったから持ってって」

愛「鰹まで持ってくんですか!?」

律子「当り前よ!!」

亜美「大家さん!大変だよ→!!!」

律子「大変って言う事は金儲けの話!?」

亜美「金儲けどころか、大家さんの家へ泥棒が入ったんだよ→!!!」

小鳥「何か置いてきました?」

亜美「置いてくどころか、箪笥の中身は全部持ってかれちゃったみたい…」

小鳥「え…あ、ああ…」

愛「大家さん、十五両じゃ埋まりませんね」

律子「十五両や二十両で四つ引き出しが埋まるもんですか!!こ、こうしちゃいられないわ!!」

亜美「大家さん、おかくさん目を回して倒れちゃってるよ」

律子「ババアに構っていられるものか!!!…あ、鰹を忘れてた…くおらー!!!泥棒めえー!!!」

亜美「もうしょうがない人だね…よっこいしょ…まって大家さん!!!」

愛「一つの引き出しを十両と考えれば、安く考えても四十両の損ですね」

春香「十五両引いて、大家の損は二十五両」

愛「店賃までもさっぴかれ」

春香「忌々しいと思ったが」

愛「これで親方!!!あなたの胸も」

春香「はぁ…やっとこれで留飲が下がった…」


<大詰 深川閻魔堂橋の場>


春香「勝、この五両の金を三河島の親分さんの所へ持ってってくれ」

愛「明日でも良いんじゃないですか?」

春香「五両程度の金が出来ねえとあっちゃ私の顔が立たねえ。早く持ってってくれ」

愛「気をつけて下さいね!!!」

春香「降らないうちに早く行こうか…」

あずさ「新三、ちょっと持ってもらおうか」

春香「そういう声は」

あずさ「弥太五郎源七だ!!」

春香「弥太五郎だぁ!!」

あずさ「今夜手前がこの先の、賭場で遊んでると聞きここで帰りを待っていたんだ」

春香「私の帰りを待っていたとは、お前も最近燻ってると聞いちゃいたが、金の無心にでも来たの?」

あずさ「いくら焼きが回ったとて、金の無心をするような、まだ耄碌はしねえよ」

春香「なら、何で私が賭場から帰るのを待っていたんだい?」

あずさ「待っていたのは他でもねえ、手前の命が貰いてえんだ!!!」

春香「どうしたと!!!」

あずさ「今日まで我慢してきたが、私の事を腰抜けだ臆病だと言いふらしやがって…焼きの回った源七の、刃金が斬れるか斬れねえか、命のやり取りしようかい!!!」

春香「へっ!やってやろうじゃねえか!」

あずさ「冥土の先駆けさせやる!!!」

春香「耄碌ババアめ!!!覚悟しやがれ!!!」

あずさ「うりゃあ!」

春香「はあっ!」

あずさ「死にやがれ!!」

春香「ぐぅ!?」

カン!カン!

春香「御来場のお客様!!」

あずさ「まず今日は」

春あず「これにて!!!」

『梅雨小袖昔八丈』<髪結新三> 終幕