■STORYM@STER



 ある晴れた日の昼下がり。都内某所のアイドル事務所に、一人の少女が男に連れられてやって来た。染めたのだろうか、その少女の髪は金色で日本人離れはしているものの、とても美しい。顔立ちは整っていて、どこか才気を感じさせる。
 
「よし、美希。今日から俺が君のプロデューサーになる訳だが。活動を始める前に、今事務所にいる人達に挨拶をしようか。えーっと、今いるのは……やよい、あずささん、小鳥さんに律子だな。おーい、皆集まってくれ!」

 少女の名前は、星井美希。今日から正式にアイドルとして活動する事になった。彼女は、男の後ろに立って、キョロキョロと事務所を見回している。

 その男――プロデューサーが呼び掛けると、呼ばれた4人が集まった。それぞれ微妙に反応は違うが、皆一様にプロデューサーの後ろにいる少女の事を見ていた。

「あのー、プロデューサー。どうしました?」

 最初に発言したのは、オレンジ色の髪の毛をツインテールにした少女だった。どうして集められたのかと聞いている。

「紹介したい子がいるんだ。今日から正式にアイドルとして活動する事になった、星井美希というんだけど……ほら美希、皆に挨拶して」

「星井美希、14歳。これからよろしくお願いしますなの」

 プロデューサーにそう促され、彼女は少し面倒臭そうにしながらも先輩方に挨拶をする。

「こちらこそよろしくお願いしますーっ! 私は高槻やよいです! 美希さん、でいいですか?」

「あらあら~、私は三浦あずさ、と申します。美希ちゃんって呼んでもいいかしら?」

「事務員の音無小鳥です。これから出来る限りサポートするわね。よろしくね、美希ちゃん」

「私は秋月律子。……まあ知ってると思うけど、前までアイドルだったわ。今は引退してプロデューサーをやってるの。よろしくね、美希」

 と、美希の素っ気ない挨拶に対してそれぞれが返事をした。当の美希はというと、興味なさそうに聞いていたが、最後の律子の言葉を聞いた途端に目を丸くした。

「えっ、律子ってあの、秋月律子!? わー、本物だ! サインくださいなの!」

 急な美希の変化に、その場にいる殆どは困惑すると同時に納得する。なぜなら、律子は元Sランクアイドルだからだ。律子を知らない人は殆ど日本にいないと言っても過言ではないだろう。それほど、彼女は有名で伝説的な存在なのだ。――また、星井美希がアイドルになろうとした切っ掛けは、この、秋月律子だ。

 始まりは、美希が小学6年生の頃だった。ふと何気なく自室のテレビを点けると、そこには現役だった頃の秋月律子がいた。美希はそれを観て感動し、自分もこのようなアイドルになりたいと思ったが、面倒なので自分では何もしなかった。しかし、両親が勝手に応募し……そして今に至る。星井美希にとってこの秋月律子という女性は、尊敬の対象なのだった。

 突然美希が食いついてきたので、律子は狼狽するも、渋々ながらそれを了承する。プロデューサーはというと、美希の行動に頭を抱えている。やよい、あずさ、小鳥は既に元の場所に戻っていた。

「全く……仕方ないわね。ほら、これでいい?」

 今はアイドルを引退しているのにも関わらず、サインに対応する律子の懐は深いといえる。……が、しかし。

「ありがとうございますなの、律子!」

 美希が『律子』と呼び捨てにした途端に、律子の雰囲気が変わる。

「――ちょっといいかしら? 美希、私の事を『律子』って呼んだわよね」

 律子の豹変振りに、美希は怖気付く。

「は、はい……」

「あのね、私は先輩として。出来る限りのアドバイスはするし、あなたの力になるけど『律子』って呼ぶのだけはやめなさいね」

「ご、ごめんなさいなの。えっと……律子、さん」 

 憧れの律子にそう言われ萎縮する美希だが、なんとか返事をする。

「うん、よろしい。あっ、プロデューサー、時間を取ってしまってごめんなさい。私はこれから打ち合わせがあるので行ってきますね。それじゃ、失礼します。プロデュース頑張ってください!」

 そう言って、律子は事務所を後にした。憧れのアイドルに叱られてしまい、すっかり萎縮してしまっている美希にプロデューサーが声を掛ける。

「美希、次から気を付けような。それじゃあ、最初のお仕事についての話をしようか。まず、美希はこれから作曲家の先生に挨拶をするんだが――」


――――


 それから1年が経った。美希はというと、今や国民的なアイドルになっている。街を歩くと誰もが美希の話題を口にし、美希の曲を聴いている。かつての律子に届く勢いだ。今のアイドルランクは、Aといったところだろうか。アイドルとして、そして人として立派に成長した美希はとても魅力的な女の子になっている。彼女は、765プロの皆や律子とも打ち解けてきた。が、しかし。未だに律子に対して『さん』を付け忘れてしまうのでしょっちゅう怒られている。

 そんな美希は今日、Sランクに上がる為に必要なオーディションについての打ち合わせをする為に事務所へと向かっていた。……だが。

「律子、社長、それに……えーっと、誰……?」

 事務所に知らない人が来るのは日常茶飯事であり、珍しい事ではない。しかし、美希は何故だか胸騒ぎがした。取り返しがつかなくなるような、そんな感覚を。

 そして事務所に入り、美希とプロデューサーとの最終的な打ち合わせが始まった。

「という訳で、明後日のオーディションだけど仕上がってるか?」

「……はあ」

 思わず、ため息が出てしまった。先程の律子がどうしても気になる。本当なら、こんな事より律子の方に飛んで行きたいのに。

「――って、おーい、美希。聞いてるかー? もしかして、どこか体調でも悪いんじゃないだろうな?」

「へっ? え、えーっと、そんな事ないの。ミキは元気だよ!」

 打ち合わせにも身が入らず、話半分で聞いてしまう。

「……美希。無理はしなくていいんだぞ? 俺は美希のパートナーなんだから、何かあるなら話してくれ」

 そういうプロデューサーの顔はどこか頼もしかった。彼は本当に、心の底から美希を心配し助けになってくれるだろう。それを感じ、美希は思わず涙を流していた。そんな美希に彼は一瞬だけ驚いた表情を見せるものの、直ぐに平静を取り戻す。敢えて、どうして泣いたのかは聞かないようだ。

「あのね、ハニー。さっきね、律子と社長、それに知らない人が事務所に入ったのを見たんだけど……誰?」

 その言葉を聞くと同時に、プロデューサーの顔は険しいものになった。どうやら、触れてはいけないものだったらしい。が、今更引き返す訳にもいかない。

「あー、その、なんだ。あれは……そう、打ち合わせだ。俺も詳しくは知らないんだけど、大事な話があるそうでな。……ほら、この話は終わりにして、打ち合わせに戻るぞ」

「ハニー、ミキに出来る事ならなんだってするから、律子がどうしたのか教えてほしいの!」

「そう言われても、言える事と言えない事があって……」

「本当に、本当にお願いするの! ミキにとってハニーは大事な人だけど、同じくらい律子の大事な人なの! だから、教えて欲しいって、思う、な……」

 声が詰まり、言葉が途切れ途切れになる。美希は、かつてない程に泣いていた。それ程までに律子を想っているのだろう。

「そう、か。美希はそこまで律子の事を。……ちょっと待っててくれ」

 そこまで言い、彼は席を立ち会議室のドアを開けて外に誰もいない事を確認し、また戻って来た。

「よし、誰もいないな。美希、これから言う事はプロデューサーとしての俺の言葉じゃなくて、その辺にいるおじさんの独り言だ。真実かもしれないし、嘘かもしれない。それを念頭に置いてくれ」

「はい。覚悟は出来てるの」

 彼の顔は、美希が見た事のあるどんな表情よりも真剣だった。

「――律子が、元Sランクアイドルだった事は知ってるよな?」

「もちろん知ってるの」

 美希の原点はそこだから、知らないはずがない。

「律子はさ、物凄く有名だったんだよ。それこそ、誰もが知っているくらいにな。彼女に憧れてアイドル、芸能関係者になった人は数知れない」

 俺もその一人だけどな、と付け加えながら恥ずかしそうにポリポリと頭を掻く。

「そんな彼女をどんな形であれ引き抜き、その事務所に所属させれば業界の中でも色々と有利になるんだ。で、沢山の事務所が狙ってる。ここまではいいな?」

「うん」

「律子が他の事務所に行きたいと思ってるなら、765プロとしてはそれを止められない。だが、彼女はここに残りたいと言っている。なので社長と話し合って、律子をプロデューサーとしてここで1年だけ研修を受けさせる事にしたんだ。元々、律子はプロデューサー志望だったしな」

「どうして研修が1年だけなの?」

「ああ、まだ765プロは業界の中でもそこまで力がある訳じゃないんだ。律子がSランクだったとはいえ、他のアイドル達は当時鳴かず飛ばずだったから。うちとしても1年という研修期間を設けるのが精一杯だったんだよ」

 今は他の子達も立派に成長したけどな、と彼は続けた。

「それで、今来てるのは一体誰なの?」

「961プロの、黒井社長だ。美希も知ってるだろ? 業界最大手と名高いあの961プロ。――そして、今日が1年目だ」

 その言葉に、美希は衝撃を受けた。今日が丁度1年目、だとすると黒井社長が来ている理由はつまり――

「……まあ、美希も大体察しがついただろ。そう、黒井社長は引き抜きの話をしに来たんだ」

「もう、どうしようもないの?」

「今日は話をしに来ただけだから大丈夫だ。但し、次に来た時は……」

 そこまで聞いて、美希は考え始める。自分がどう動けばいいのかを。

 考え始めて、10分が経過し、そして1つの考えへと至った。しかしこれは、美希1人の力では到底成し得ない。律子を765プロに留まらせるには協力者が必要だ……。

「ハニー。ミキ、1つ思いついちゃった」

「聞いてみよう。どんな案なんだ?」

「えっと、えーっとね――」

 曰く、美希がオーディションに合格してSランクアイドルになり、律子を自身のプロデューサーにする、と。そしてこうも言った。Sランクアイドルである美希が律子をプロデューサーにするという事で引き止めれば、いくら961プロでも手を出すのは難しいのではないか。

 それを聞き、プロデューサーは暫くの間逡巡する。そして、それに対する答えを出し、言った。

「そう、だな……。確かに、それしかなさそうだ。美希のプロデュースを続けられなくなるのは悲しいが……。仕方ない、律子の為だ。俺も腹を括ろう。そもそも、1年毎に同じアイドルのプロデュースを続けるのかどうか決めなきゃいけなかったしな。……美希、頑張れよ」

「それじゃあ……!?」

「うん。協力するよ、美希。幸いにも次に黒井社長が来るのは、社長からのアイドルランク報告の翌日だ。気合入れていけよ!」

「はいなの!」


――――


 オーディションの日がやってきた。美希にとって、ここが正念場である。Sランクになれなければ、律子は961プロに。

「よし、美希。そろそろ時間だな」

「うう、ハニー……。ミキ、大丈夫かなあ? 心配なの」

 美希はどこか不安そうだった。無理もない、元々合格することが困難なオーディションである事に加え、律子の今後が掛かっているのだ。今彼女が抱えている重圧は計り知れないものだろう。

「あら、美希。オーディションが不安なの?」

 ――それだけに。美希にとって、突然の来訪者の言葉は衝撃的であったに違いない。

「律子!?」

 突然の律子の訪問に、美希は目を丸くする。無理もない、まさか来るとは思ってもみなかったからだ。

「こら美希、さんを付けなさい。……まあいいわ。これからオーディションなんでしょ?」

「は、はいなの。ミキ、いーっぱい練習したけど、それでも合格するか不安で……」

「大丈夫よ。美希なら大丈夫。だって、こんな私でも合格したのよ? 貴女は私よりも可愛いし、歌も上手いし。何より才能があるじゃないの。安心して行ってらっしゃいな」

 胸だけは負けてないけどね、と最後に付け加えた。そんな律子の顔は、これから来るであろう961プロへの移籍を考えてなのか、どこか泣き出しそうだった。どうやら、美希に気付かれてないと思っているのだろう。美希の前では、平静を装っている。

「うん。それじゃあ、プロデューサー、律子……さん。ミキ、頑張ってくるの!」

 そう言って美希はオーディション現場へと向かう。その後ろ姿はとても自信に溢れていて、オーディションに落ちる事など微塵も感じさせなかった。


――――


 そして、運命の時間がやってきた。合格者が発表されるまでの間、美希は緊張した面持ちで待っている。これの結果によって律子の今後が左右される。

「美希、オーディションの感触はどうだった?」

「あ、ハニー! えーっとね、バッチリだったの! これなら問題ないって思うな。ミキね、全力を出し切ったんだ」

 そういう美希の笑顔はとても眩しかった。これなら、何の心配も要らないだろう。

「お待たせしました、合格者の発表です」

 とうとう、合格者が発表される。美希だけではなく、他のオーディション参加者も緊張した面持ちで発表を待っている。そ、おそ、お。オーディションに応募すること自体が難しい。応募者5人に対して、合格者はたったの1人。それ程までに狭き門なのだ。

「お、始まるみたいだぞ。美希は1番だったよな?」

「うん、そうだよ。他の子達もすっごく上手だったけど、ミキも負けてないって思うな」

「今回の合格者は――」

 その場にいる全員が息を呑む。美希だけではない。他の参加者達もこの場に臨むにあたって、多くの犠牲を払ってきたのだ。

「合格者は、1番の方です。おめでとうございます!」

「やったやったー! ハニー、ミキね。オーディションに合格したんだよ! これで、律子と同じSランクアイドルになれるの!」

 美希はプロデューサーに抱きつきながら、そう言う。よほど嬉しいのだろうか、周りの目も気にせず『ハニー』と呼んでいる。抱きしめるその腕の力はとても強い。

「それでは、合格者の方は収録があるので、1時間後に集合してください。お疲れ様でした!」

 ふと周りを見回す。泣いている者や落胆している者、また、奮起している者などがいる。

 今日のオーディションに参加した人達は、アイドルとして凄いオーラを放っている者達ばかりであった。まさに、その時代のトップアイドル達が集まったと言えよう。その中でも、美希は一際大きく輝いていた。


――――


「それじゃあ美希、気を付けてな」

「うん。ハニー、ミキの事。しっかり見てなきゃヤ! だよ?」

「任せとけって。頑張ってくるんだぞ」

「もちろんなの!」

 スタジオの裏。出演直前にそんな他愛もない言葉を交わしながら美希を送り出す。美希は、最初の頃と比べると本当に変わった。態度から何までだ。それを考えると、感慨深くて……涙が出てしまう。

「それじゃあ、聴いてください。曲は……」

 スタッフを含めたその場にいる皆が息を呑む。アイドルであれば誰もが一度は夢を見るオーディションを突破したアイドルは、どのようなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか、と。

「マリオネットの心」


――――


 ――圧巻だった。美希のパフォーマンスは、ただひたすら圧巻だった。

 イントロから始まり、美希の歌い出しから。その場にいる全員が曲の世界観に引き込まれる。さながら、自分がその曲の一員であるかのように。美希の一挙手一投足に目を奪われ、離せなくなる。まさに誰しもが魅了されていた。そして皆が思った。ああ、この子は紛う事無きトップアイドルである、と。

 美希が歌い終わると、自然にスタンディングオベーションが起きていた。誰もが目どころか全身……いや、魂まで魅了され。涙を流していた。

「ハニー。ミキ、キラキラしてた?」

 収録が終わり、楽屋で美希は自身のプロデューサーにそう問い掛けた。

「あ、ああ……。美希は、キラキラしてたぞ。誰にも負けないくらいにな」

 本心から出た言葉だった。今の美希なら、かつての律子にも肩を並べる程だろう。

「よかったー! ミキね、すっごく緊張してたんだ。失敗したらどうしようかなーって思ってたの。でも、ハニーがそう言ってくれて嬉しいって思うな!」

 屈託のない笑顔で彼女はそう述べる。

 プロデューサーといられるのはあとわずか。しかし、お互いそれをわかってはいるものの、口には出さなかった。口に出せば、直ぐに終わってしまう気がしたから。

「よし、事務所に戻るか」

「はいなの! あっ、そうだ。ハニー、事務所に戻るまで……えっと……手、繋いでもいいかな?」

 と、彼女はどこか恥ずかしそうに言う。勿論、彼が否定するはずもない。

「いいぞ。事務所に戻るまで……な。戻ったら、社長からのアイドルランク報告があるはずだ」


――――


「オッホン! やー、収録お疲れ様、美希君。テレビでの応援だったが、圧巻だったよ。さて、アイドルランク報告の時間だ」

 ゴクリ、と音がしたのはプロデューサーと美希、どちらの喉からだったのだろうか。

「おめでとう、美希君! Sランクアイドルに昇格だ。これで、かつての律子君に並んだ訳だ。精進したまえよ!」

 美希は、ピョンピョン跳ねながら、本当に、心の底から昇格を喜んでいる。

「よし、それじゃ美希。先に帰っていいぞ。後でメールするな」

「はい! それじゃあ社長とハニー、また明日なの!」

 彼女はそう言い、事務所を後にする。事務所に残っているのは、社長とプロデューサー、そして小鳥さんだけだ。

「あ、社長。律子の件についてお話があるのですが……」

 ここからは、大人の時間だ。


――――


「今は……11時。うん、丁度いい時間なの」

 プロデューサーが指定した時間に、事務所へと到着する。今事務所の中には、社長と律子、そして黒井がいるはずだ。

「お、来たか。こっちだ」

 プロデューサーに導かれるままに、応接室へ向かい、ノックをして入室する。

「み、美希!? アンタ、どうしてここにいるの!?」

「ふん、誰かと思えば765プロの星井美希じゃないか。貴様がここに何の用事なんだ? 今大事な話をしてるんだ。用がないなら出て行ってくれ」

 律子と、もう1人……黒井は、突然の美希の来訪に動揺した。 黒井の言葉を受け流し、美希は律子の元へと近寄る。律子はというと、未だに状況が把握できておらずあたふたしている。

「律子……さん。ミキのプロデューサーになってほしいって思うな」

 黒井社長が固まる。そして、次の瞬間。彼は怒りに身を震わせた。

「貴様、一体どういう了見だ! この秋月律子は私の下で働かせるんだぞ! 貴様なんぞに譲ってたまるか!」

 彼が怒るのも無理はない。私欲の為だったとはいえ、律子を引き抜ければ業界の中でもかなりの優位に立てる。だからこそ、毛嫌いしている765プロに、何度も足を運んだのだ。

「黒井社長。律子さんは今日からミキのプロデューサーなの。Sランクアイドルであるミキをプロデュースできるのは、同じく元Sランクアイドルだった律子さんしかないって思うんだ。だから、お引き取り願うの」

「黒井、聞いての通りだ。今日から律子君は、この美希君のプロデュースをする事に決定した」

 そこまで聞いて、漸く律子は事態を把握する。それと同時に、美希の行動に対して驚きを隠せないでいた。どうして自分の為なんかにここまでしてくれるのか……と。

「き、貴様らー……。よくもこの黒井を謀ったな! 覚えていろ765プロのゲス共が。必ず復讐してやる!」

 黒井はそう言い放ち、そのまま事務所を出て行った。残された律子は、目を丸くしながら社長と美希を見る。

「えっ、ちょっ……どういう事なんですか、社長?」

 黒井がいなくなってからの第一声がそれだった。

「どういう事も何も、そのままの意味だよ、律子」

 プロデューサーが入室しながら、そう言った。黒井が事務所を出て行った後のタイミングを見計らって入室したようだ、

「私が美希のプロデューサーになる。……って、それじゃあ、あなたはどうなるんですか?」

「俺か? 俺は……おっと、その前に確認したい事があったんだ。律子はどうしたい? 765プロに残って美希のプロデュースをするか、それともほかの事務所に移るか。全ては律子次第だ」

 そのプロデューサーの問いに一瞬だけ逡巡するも、

「しょうがないですね。美希のプロデュース、させて頂きます」

 と、答えた。律子のその返答は、美希にとってどれだけ幸せなものだったのだろう。その心情は計り知れないものがある。

「わーい! 律子さん、大好きなの!」

 喜びのあまり、美希は律子に飛び付こうとするものの、静止される。

「ストップ。その前に、いくつか質問させてください」

「ああ、いいだろう。何でも聞いてくれ」

「第1に、あなたは美希のプロデュースから外れて、どうするんですか? 第2に、どうして美希がこの事を知っていました? 誰も知り得ない話だったはずなんですけど」

 律子がそう問い掛ける。彼女が疑問を抱くのは当然だ。自分がプロデュースを担当する事になったら、前任のプロデューサーである彼はどうなってしまのかまで考えている。

「ああ、俺か。俺は今日をもって美希のプロデュースを外れ、新しく入った伊織のプロデュースをする事になる」

「なるほど、新しい子をプロデュースすると。この事について美希は了承済みなんですか? あなたをハニーと呼んで懐いているのに離れちゃってもいいんです?」

「勿論だ。了承済みじゃなかったら美希が乗り込んでくるはずがないだろ。さて、もう1つの質問に対しての答えだが――」

 プロデューサーが言い終わらない内に、美希が横から割って入り、言う。

「ミキね、黒井社長と一緒に事務所に入るのを見ちゃって凄く不安になったの。それでね、心配になってハニーに聞いたらんだよ」

 美希の言葉に、律子は頭を抱えながらも、やれやれといったような感じでプロデューサーを見やる。態度はそうだが、本心ではとても嬉しいはずだ。

「はあ……。全く、プロデューサーったら、仕方ないわね」

 律子のその言葉を聞いた途端に、美希は飛びつき、今度こそ抱きつく。何度も、何度もありがとうと言いながら。

「ありがとうなの、律子さん! 本当に、本当に大好きなの!」

「もう、美希は甘えん坊なんだから。こちらこそ、ありがとうね?」

 その『ありがとう』は一体何に対してのそれだったのか。765プロに留まる事が出来たからか、それとも―― 

 律子の、美希を見るその目は、もはや新人アイドルを見つめるそれではなく。大切なパートナーに向けるそれになっていた。


――――


 全てが終わり、2人は外に出る。仲良く腕を組んで歩いているその姿は、知らない人の目には本当の姉妹のように映る事だろう。とても仲睦まじそうであった。

「ねえ律子さん、本当に良かったの?」

 今更ながら疑問に思い、美希は律子に問い掛ける。

「良かったって何がよ」

「んー、ミキなんかで良かったのかなーって思って」

「何を今更。アンタも言ったじゃないの。『Sランクアイドルであるミキをプロデュースできるのは、同じく元Sランクアイドルだった律子さんしかないって思うんだ』って。いいわよ、とことん付き合うわ。その代わり、厳しくいくからそこのところ、忘れちゃダメよ?」

 彼女は笑いながらそう答える。口ではそう言うものの、765プロに残れて嬉しいのだろう。その証拠に、口の端からは笑みが漏れている。

「むー、厳しいのはヤ! って思うなー。でもね、ミキ。律子とパートナーになれて凄く嬉しいんだ! ……あっ」 

 言い終えてから美希は気付く。彼女に対して『さん』を付け忘れた事を。気が緩んでしまい、完全に忘れてしまっていた。

「ん、どうしたの?」

「えっと、さんを付け忘れちゃって……その、ごめんなさいなの」

 美希にとって、それは一番大事だと思っているからだ。だからこそ、何度も謝罪する。――しかし。

「あー、そういう事ね。美希、私達はこれからパートナーになるのよ? 律子でいいわ。これから宜しくお願いするわね?」

 律子は気にしていないようだ。単なる心境の変化とは違うのだろう。恐らく、敬称を付ける事を許したのは美希が自身のパートナーになったから。関係性の変化……とでも言えばいいのだろうか。

「うう……律子、大好き……なの」

「ふふっ、これからが楽しみね。美希」

 その言葉は、果たして美希の耳に届いたのだろうか。

 繋いだその手に、少しだけ力を込めると、美希も握り返す。お互いがそこにいるのを確認しているかのように。

 2人は手を繋ぎ、立派な街路樹が生い茂る並木道を歩く。そこはまるで、美希と律子の門出を祝福する花道のようだ。2人の行く末は誰にもわからない。しかし、この2人ならどんな困難にも立ち向かっていけるだろう。


 ――大好きだよ、律子。

 ――大好きよ、美希。