※この作品は暗い話を書こうという前提で書いています。また、作中に出てくる物や行動が実際とは異なる場合があります。
 あくまでフィクションとして、そしてアイドル達が演じている作品として見ていただければと思います。




遠くから足音が聞こえた。
今ここにいるのは自分だけだから、間違いなく自分を呼びにきた。
そう考えた通りに自分のすぐ近くで足音が止まった。

「菊地 真、起きろ。時間だぞ」

起きてるよ、ただ横になって目をつぶってただけだ。
そう思いながら目をあけて、上体を起こした。

「よく、眠れたか?」
「いいや、全く」
ありきたりな質問に、冗談も加えずに返した。

「そうだろうな、目の隈を見てそうじゃないかと思った。それに、こんな日によく寝れる人間はそういないさ」
じゃあ質問しないでほしいな。そう思いながら、真は迎えにきた人間をまじまじと見た。
それに気付いたのか、ああ と言って姿勢を正した。

「そうだ、紹介が遅れたな。自分は我那覇 響、今日の担当者だ」
「ボクの紹介は…… するまでもないよね」
知っている。と笑うこともなく響が言った。

「……準備は出来た。後はお前の到着待ちだ」
真は無言で頷いた。


細い通路を歩くのは二人だけ。響が前を歩き、真が続く形になっている。
真が周囲を見まわすが、特に他に人は見当たらない。
「ねえ、ずいぶんと警備が緩くない? 君がボクの前を歩くと、ボクを見てるのは誰もいないことになるよ」
そう言うと、響は立ち止って真のほうを見た。
とても事務的な眼差しで、人間としての心がないんじゃないかとさえ真は思った。

「今から逃げる気はあるか?」
そう聞かれて、真は自嘲ぎみに笑う。
「あはは。あるかもしれないけど、どの道無理なんだろうね」

「本当は二人の予定だったんだ。ただ……」
「ただ?」
響は暫く考えるように何も言わなかった。

「もう一人はお前の友人が何かしないか見守ってる」

友人…… 真は暫くその言葉を反芻するように思い返していた。
彼女は自分が呼んだ。本人には辛いかと思ったが、彼女しか選択肢がなかった。

「まあ、自分もそいつもお前の友人が何かするとは思ってないけどな。上からの指示だから……」
「ありがとう、そう思ってもらえるだけ嬉しいよ」
友人のことを悪く思わないでくれるのは素直に嬉しい。
「よ、よせって、お礼なんか言うなよ…… 調子狂うだろ」
「ははは、ごめん」
ようやく彼女も普通の人らしい雰囲気になった。真は心の中でそう安心した。
「ほら、行くぞ」
響は気持ちを切り替えるように振り返って、淡々と通路を進んでいった。
真も無言でそれに続いた。

「……着いたぞ」
そう言って、響はドアを開けた。
ドアが開いた先の部屋は、予想を裏切って普通な部屋だった。
ただ物々しい雰囲気の人間が何人かいて、その中の一人が真を見るなり立ちあがった。

「真ちゃん」
「雪歩……」

雪歩は何か言いたそうにしながらも、一度首を横に振った。
「ここに座って?」
指定された場所に座れると、目の前には一輪の百合の花があった。
その下には質素な机に似合わない小さいアップルパイが置かれていた。
真の好物であることから、雪歩が用意したのかもしれない。
「じゃあ、この前言ったようにして」
真は言われるままに、胸の前で両手を組んだ。
そして目を瞑った。

雪歩が何かを唱えているのを聞きながら、真は今日までのことを思いだした。


 ――――――


月のよく見える夜だった。
早く目的地に着きたい一心で街灯の少ない道をひたすらに走っていた。
いつも通り慣れた場所のはずなのに、その日はとても長く感じた。

やがて慣れた家が見えてきた。少し息を整えてから呼び鈴を押した。
程なくして「はい?」という声がスピーカーから聞こえた。

「真です」
そう言うと、向こうは何も言わずにスピーカーを切った。
少しして、玄関を開ける音が聞こえた。
中からは自分の母親と同じくらいの人が、いかにも面倒といった表情で出てきた。
「で、夜にどうしたの?」
「あの、春香のことなんですけど……」
そこまで言いかけると、相手は舌打ちして会話を切った。

「自殺未遂で入院してるのは知ってるでしょ? うちにはいないわよ。……まったく、面倒ばかりかけさせる子だわ」
後半は完全な独り言だった。
ああ、この人は変わっていないんだな。と真は一歩踏み出した。
「知ってます。ただ、今日は春香のお見舞いじゃないんです」
「じゃあ何だって言うのよ!?」
相手が語尾を強める。とにかく関わりたくないのだろう。
時間的に夕飯だろうから、早くそれに戻ろうと思っているようにも思えた。
どちらにしろ、入院中の少女のことは何も考えていないことは明白だった。
「春香は自殺未遂で入院しました。だから……」
もう一歩前へ出た。相手までもうすぐの距離。

「ボクは、その原因を全て消しにきたんです」

そう言って、真は背後に隠していた包丁を前にいる女性の腹部に突き刺した。


 ――――――


「真ちゃん」
呼ばれて目をあけると、雪歩がスプーンをこちらに向けていた。
スプーンには昔よく食べたアップルパイの欠片が乗っていた。

「これを食べて」
真は促されるままに食べた。
昔よく春香が作ってくれたそれに限りなく近い味であることからも、雪歩が一生懸命作ったのだろうと実感した。
「このお菓子の味を忘れないでね」
忘れるはずないよ。 真はそう言おうとしたが、儀式の最中であることから開きかけた口を閉じた。
雪歩はスプーンを置いて、再び木の枝のようなものを持った。

「真ちゃんが、ちゃんと天国へ行けますように……」

天国。そんな言葉を聞いて、自分には縁のない場所なのかもしれないと考えながら真は再び目を閉じた。


 ――――――


何かを叫びながら自分の前にいる女性が地面をのたうち回っていた。
騒ぎを聞いて、家の中から数人が出てくる。
そして玄関の光景を見て、全員が立ち止まる。
その全員が真と目が合うと、どうにか逃げようとする。

それを逃がさないと、真が走りだす。
長男に突き飛ばされた二男が転倒した。それが再び起き上がる前に真が背中に包丁を突きたてる。
先ほどとは違う、低い叫び声が家の中に響く。

家にいた全員を刺すまで、あまり時間はかからなかった。
そして人を刺すことへの抵抗もなかった。
苦しむようにと急所を外したが、最初に刺した母親はもう動いていない。

「ああ…」
真の手から包丁が落ちた。散々人を刺した包丁は、地面を刺すことはなく音を立てて転がっていった。
真はおもむろに携帯を取り出した。
それから震える手で一番上の通話履歴の番号に電話をかけた。

『真ちゃん、どうかしたの?』
このことを何も知らない雪歩の声がする。
その瞬間、真は自分のしたことが急に怖くなった。
「……ボク、これしかわからなかったよ」
『真ちゃん?』
かみ合わない会話を何とか合わせようと後から後から出てくる言葉を何とかつなぐが、結局何を話しているのか自分でもわからない。

「これが、ボクが出来る春香を助ける方法だったんだ」
『真ちゃん、何したの?』
雪歩に聞かれて、真はようやくそれを伝えてないことを思いだした。
「……刺しちゃった」
『え?』


「春香の家族、みんな刺しちゃった」


 ――――――

 
「終わりました」
雪歩がそう言うと、二人の人間が立ちあがった。その内の片方が響だということを見ると、もう一人が雪歩を見ていた担当者なのだろう。

「初めまして、私は四条 貴音と申します。響と同じ、今日の担当者です」
貴音がそう言うと、響が白紙とペンを持ってきた。
「何か書くことはあるか?」
真は無言で首を縦に振った。

雪歩や響が見守る中、真は紙一枚分程度の手紙を書きあげ、それを折りたたんだ。
そして折りたたまれて表になった部分に『春香へ』と書いた。

「雪歩、これ、春香に渡して」
そう言われた雪歩が、無言で受け取った。
雪歩はそれを大切そうにしまった。
「何か言うことはあるか?」
「……雪歩」
雪歩と目が合った。当然と言えば当然だが、真は何故かそれが嬉しかった。

「ごめん、春香をよろしくね。あと……」
真が目を閉じて、一度深呼吸をした。
そして再び目を開いてもう一度雪歩を見た。
「ボクは先に行くけど、二人はおばあちゃんになってから来てね」
真は精一杯笑ってみせた。これが最後だと思ったら、何だか自然な笑顔が出てきた。

「以上です」
真がそれだけ言うと、響と貴音が動き出した。

「貴音、手錠を頼む」
響がそう言うと、貴音が真の手に手錠をかける。
それと同時に、響が真の目に白布をかける。

視界が遮られる寸前。真は最後に雪歩を見た。
今にも泣きそうな雪歩だった。

(……なんでこんなことになっちゃったんだろう)

視界が真っ白になったと同時に、右側にあったカーテンが動く音がした。
二人に連れられるまま、真はそちらへ歩きだす。
唐突にある一点で止まった。何も見えないが、これがきっと踏み板なのだろう。
そこで足も縛られた。真には見えていないからどちらが、いや、誰がやっているのかわかっていない。
真が動くことなく、準備が着々と進んでいった。


そして最後に縄が首にかけられた瞬間、真は弾け飛ぶように暴れだした。
「あああああああああああああああああ!!」
「真ちゃん!」
遠くで雪歩の声が聞こえる。見える位置にいるはずなのに、ガラス一枚隔てた向こうからは声もほとんど聞こえない。

「あああああああああああああああああ!!」
(雪歩!どこ!? どこにいるの!?)
思えば、これまで死刑と言われたところで死ぬという意識は全くなかったのかもしれない。
それが首に縄をかけられたところで、ようやく実感したかのように暴れだした。
実際には急に暴れだしたと言うよりも、それまでが大人しすぎたといったほうが正しいのだろう。
(死にたくない!死にたくないよ!)
必死にもがいて逃げようとするが、逃げられるはずもなくその場でひたすら暴れている。

「貴音、早く!」
響が真を押さえながら貴音に指示をする。押さえると言っても、手錠をかけられ足を縛られている真が動ける力はほとんどない。
貴音が横に備わっているボタンを押した。
ほどなくして、真が立っている床板が音を立てて外れた。


床板が外れる音がした時、真は瞬間的に雪歩と春香の顔を思いだした。