「音無さん、起きないと遅刻しちゃいますよ?」


夏。扇風機の音、蝉の鳴き声、風鈴の歌……部屋の中には夏の音が響き渡っていた。いつものように目が覚めて、いつものように準備をして、いつものように音無さんを起こしにいく。



「まらまら飲め……」


寝言をこぼし、涎も出して、気持ち良さそうに眠っている。このまま起こさなかったらずっと寝てるんじゃないかと思うぐらい気持ち良さそうに眠っている。そんな寝ている彼女の隣にちょこんと座り、そっと顔を覗き込む。

少しだらしない笑みを浮かべて何か楽しそうな顔をしている。そんな音無さんの頭を撫でるとまた少し気持ち良さそうにしていた。ふふっ、どっちが姉でどっちが妹か分からなくなるわ。


「あずさ……」


その一言に私は少し胸が苦しくなった。そう、私と『お姉ちゃん』が小さい頃を思い出していた。



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『あーずーさ!』

『ことりおねーちゃん!』


私がまだ『音無 あずさ』の名前だった時。私と『音無 小鳥』は姉妹でいつも一緒に遊んでいました。でも仲が良いのは私達だけ、お父さんとお母さんは仲が悪く、いつも喧嘩ばかり。

喧嘩している両親が怖くて、いっつも泣いていました。泣いてるといつも歌をうたって、私を笑顔にしてくれる音無さん。泣き虫で弱気な小さい頃の私にとって音無さんは自分の中の憧れで、輝いているアイドルみたいな存在でした。


『あずさ、泣きそうになった時はいつも私の歌を思い出してね。私の歌が守ってくれるから!』

『うん! ことりおねーちゃんはずっといっしょだよね? パパとママがけんかしてても……ねっ?』

『ずっと一緒……。私の大切な妹なんだから……』


でも音無さんとの楽しい時間はいつの間にか終わって、私の顔から笑顔は無くなっていた。音無さんが中学生に上がる頃に両親は離婚、私は父と、音無さんは母と、離ればなれになりました。小学生に上がる頃、私は『三浦 あずさ』に変わって、音無さんと再会する事もありませんでした。


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『ねぇ、この前のあれ見た?』

『うん、見た見た! ほんと良いよね!』

『…………』


私が中学二年生の時、周りではアイドルが流行っていました。アイドルに興味がなかった私は周りの話を聞いていてもなんとも思いませんでした。教室では黙々と勉強か読書をしている私には関係のない話。


『日高舞の歌声、何回聴いても飽きないわ』

『ほんと凄いよねー。あっ、でも私は音無小鳥も好きかなー。日高舞の輝きには負けるけど』


『音無小鳥……』


『あずさちゃんも知ってるの?』

『あっ、いえ……』


どこかで聞いた事のある名前、何年も前から記憶の片隅に霧がかかっている名前。私が小さな頃以来に聞いた名前。その時は思い出せなかったけど、心の何処かで引っ掛かっていた。

話題に出ていた『音無 小鳥』……気になって気になって仕方が無かった私は帰りに本屋に寄ってアイドル雑誌を手に取っていた。表紙には『日高 舞』特集と大きな文字で書いてあり、音無小鳥の文字は表紙の端に小さく書いてあるだけ。

手に取ったアイドル雑誌をそのまま買って、家に帰ると、その本に夢中。アイドルなんて知らない私には綺麗に着飾った人にしか見えない。でも明るくて自信に満ち溢れていて、私なんかとは全然違う。雑誌を読み進めていくうちに私は『アイドル』という存在に魅力を感じていた。

日高舞……実際に見た事もないのになんでこんな魅力的なんだろう。そんな事を思いながら次のページを開くと、私はその一枚の写真に涙を流していた。『音無小鳥』……私はすぐに分かった。頭の片隅にある記憶の欠片、曖昧な思い出。霧が綺麗に晴れて音無小鳥という人物を思い出した。今じゃ忘れる事なんてないのに。


『お姉ちゃん……』


小さな写真だけど私には日高舞よりも輝いて見えた。



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『あら~ここはどこかしら?』


あの人に会って直接話がしたい。その一心で私は東京の高校へ進学。休みの日は東京の色々な所に行って音無小鳥を流してみるけど、やっぱり見付ける事なんてできなかった。東京に来て一年、あの人が今アイドルをしているのかも分からない、東京に居るのかも分からない。

それでも私は探す。この東京のどこかに居ると信じている。その前に方向音痴な私は自分が東京のどこにいるかも分からない、迷子になってしまいました。


『どうしましょ……』

『迷子?』

『ひゃっ!?』


突然声を掛けられて変な声が漏れてしまう。一つ深呼吸をすると後ろを振り向いて声の持ち主を確認する。私と同じぐらいの背丈、眼鏡を掛けて髪を後ろに結んでいる。事務服を着ている事から、近くで働いている人だと分かる。


『えっ、えーと、そうなんですよ~。東京に来て一年も経つのに、私ったら道に迷っちゃって……』

『そっか。近くに駅があるから案内しようか?』

『いいんですか?』

『私も仕事の帰りだから』


そう言うとすぐに歩き始め、私は彼女に付いていく。何気無い日常会話のつもりだったのに彼女の職、私が東京に居る理由、アイドルについて……色々な事を話しているうちに彼女と打ち明けていた。そしていつの間にか自分の知っている道に、駅前へと辿り着いていた。


『ほら、着いたよ』

『ありがとうございました!』

『三浦さん、また道に迷ったり相談したい事があったらここに電話して。いつでも手伝うから』

『分かりました。そう言えば名前を聞いてもいいですか?』

『わっ、私は……音木です』


名前だけ聞くと私は彼女と別れ、自宅へと向かうのでした。音木さん、彼女はアイドル事務所の事務員で音無小鳥についてもよく知っているらしい。そんな彼女が教えてくれた音無小鳥の情報。今日探していた場所の周辺、あそこによくいるらしく、これからは重点的に探してみよう。

早くあの人に会いたいな……。



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『はぁ……。今日もダメ』

『音無小鳥も忙しいんじゃない?』


あれから探してみるもののやっぱり見付からない。時間があると音木さんも一緒になって探してくれる。迷子になる事は無くなったけど、何か違和感を感じていた。この時の私にはもう分かっていた。この違和感も、音無小鳥が何かも。


『音木さん、私、高校卒業したらここを出ようと思います』

『どうして?』

『もう、音無小鳥には会えないからです。きっとアイドルもやめて、東京にもいないんです。日高舞に負けて……』


『やめて……』


『輝きも消えて、アイドルとしての魅力も無くなって……!!』


『やめて、あずさ!!』


私には分かっていた。『音木さん』なんて最初からいなかった。あの日彼女に出会った時から、もう音無小鳥を探す事はできなくなっていたのです。そして探す必要も無くなっていた。違和感を感じていた時から怪しいとは思っていたけど、やっぱり彼女は音無小鳥、本人。

私の出会いたかった音無小鳥。でも、この時の私には彼女に対する涙は出なかった。会えて嬉しい、嬉しくて嬉しくてたまらない。でも言いたい事も沢山あった。本当に色々な事を。


『私は、私だって日高舞に負けないぐらい頑張っていたの……』

『わかっています! アイドル雑誌で見た時からずっとあなたが頑張っていた事を!! でもそうじゃない……なんで、なんで早く教えてくれなかったのですか? あなたに会いたくて東京まで来たのに……』

『教える事なんてできないわよ……』

『なんで……?』

『約束、守れてないのに……。今頃、お姉ちゃんなんて言えるわけないじゃない!! あずさのアイドルなんて……。最初に会った時から分かっていた。でも、名前まで変えてじゃないと……』

『馬鹿!! どんな事があっても音無さんはずっと私のお姉ちゃんで私のアイドルなんです!! だから、今度は私を置いていかないで……』

『あずさ、ごめんね……』

『お姉ちゃん……!!』


何年振りに会って、初めて姉妹喧嘩して、なんかおかしくて。音無さんの胸の中、お姉ちゃんの胸の中で声をあげて泣いた。

もう、アイドルはやめていても、私の中ではずっと輝いている。あの日見た日高舞の写真なんかよりもずっと輝いていて、魅力的で私だけのアイドルで……。



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「あずさ! ほら起きないと!」

「あれ……音無さん……?」


まだ眠たい目を擦りながら、ベッドの横の時計を見ると時間が一時間進んでいた。さっきまで音無さんを起こしていたはずなのに。隣を見ると音無さん。起こしている途中に寝ちゃったみたい。


「お姉ちゃん……今度はずっと一緒に……」


「ふふっ、やっぱりあずさは私の妹ね…」



夢の中でも見たように、私は音無さんの胸の中で姉の温もりを感じて、また微笑みをこぼしていた。

今は私がアイドルで音無さんを守る歌をうたっていこう。そしていつかは二人で歌えるように……。


END