Dram@s




外の景色は実家の周辺と大して変わらなかった。
それだからか、遠出をしたという実感はあまりない。
そんなことを思いながら窓の外を見ていたら、ドアをノックする音が聞こえた。
「はーい」
そう言いながらドアを開ける。
廊下には車掌が立っていた。
「ご乗車ありがとうございます。乗車券と寝台券を拝見させていただきます」
「あ、はい」
ポケットから二枚の切符を取り出した。

「ありがとうございます。ごゆっくりお過ごしください」
「はい、ありがとうございます」
車掌が扉を閉めてまた一人の時間になると、特にやることもなくそのまま寝台に横になった。
「あーあ、結局何もなかったな」
天井を見ながら一人つぶやく。


縁結びと言われる出雲大社へ行ってみたが、現地でもひたすら女の子に声をかけられるだけだった。
一緒に写真写ってくれとか、付き合ってくれとかは何度言われたことか。
写真に混ざるくらいならどうでもいいが、付き合ってくれと同性に言われる度にボクはぎこちなく笑いながらそれを断っている。

ボクは産まれてから今まで恋人が出来たことがない。
異性に全くそういう対象として見られないのに、何故か同性にはやたら好かれる。
大学に入ったら何か変わるかと思ったけど、結局今までと同じような状況だ。
そんな中、藁にもすがる思いで今回縁結びで有名な出雲大社へお参りしてきたが、今のところ何も変わっていない。
起きたら何かいいことがありますように。そう念じながら真は目を閉じた。



『おはようございます。列車は時刻通り運転しています。あと20分程で横浜です』

気づいたら寝ていたらしい。列車は既に関東へとやってきていた。
起き上がると、通過した駅に東京という見慣れた行先を下げた電車が止まっていた。
真は手早く荷物を片づけて、降りる準備をした。

「ご乗車ありがとうございました。横浜、横浜です」
聞きなれた駅名放送を流し聞き、真は階段を降りた。
そして通勤客の流れに逆らうように乗り換え改札へ向かった。

最寄駅の改札を出ると、見慣れた風景が広がっていた。
それを面白くなさそうに一瞥してから、真は家へ向かって歩き出した。
家の近くまで来たときに、道の上に何かがあるのが見えた。
「何だろう……?」
近寄ってみると、雀が横たわっていた。弱々しく動いているのを見ると、生きてはいるようだ。
「だ、大丈夫かな?」
真はとりあえずその雀を抱えて家へ向かった。


「ふうっ」
部屋に入ると、まず雀をタオルの上に置いた。
そのまま背負っていた荷物を置き、時計を確認した。
まだ世間はラッシュ時間であるが、今日は休みである。
それから雀を見た。そこで真はあることに気付いた。
「……雀って何を食べるんだろう?」
思えば今まで飼ったこともないから聞いたことがない。
「え、えっと… 近くの動物ショップで買ってくるしかないか」
真が再度時計を確認する。近くの店が開くまで1時間近くあった。


「……食べてくれない。やっぱりダメなのかなぁ?」
鳥の餌と書いてあるものを買ってきたが、雀が食べる気配はない。
真がため息をついた。
そこでようやく自分がまだ何も食べてないことを思い出した。
「お腹すいたなぁ、何か作らないと」
雀の餌を買うついでに買ったもので、適当に朝食をつくる。

「いただきます」
手を合わせてから箸を取る。
ふと横を見ると、雀がこちらを見ていた。
「あはは、これはあげられないんだ」
真の言葉を理解するように、雀は再びあちこちを見回していた。

半分ほど食べたところで、横からさくさくと音が聞こえた。
見ると、雀が置いておいた餌を啄んでいた。
「あ、食べてくれてる!これで元気になってくれればいいけどな」

しばらくすると、雀は窓のほうへ進みだした。
窓の手前で立ち止って、一度真のほうを見た。
「何だろう? ありがとうって言ってくれてるのかな?」

雀はよたよたしながらも、窓から空へと向かって飛んでいった。
「良かったー。このまま元気になってくれたらいいなあ」
そう言いながら、真は網戸を閉めて朝食の続きへと戻った。


その夜、不意にチャイムが鳴った。

ドアを開けると、白いワンピースの見たことない少女が立っていた。
「君は…… 誰?」
「私は、あなたに助けていただいた雀です」
全くうろたえる気配もなく、少女はそう言った。
「えーっと、うちにはそういうの間に合ってますので」
「ほ、本当です! その、信じてもらえないかもしれませんが……」
少女は弱々しく俯いた。

「ごめん、やっぱり信じられないよ」
真はそう言いながらドアを閉めた。
少女はそれを止めるような動作はしなかった。
少ししてから、ドアの向こうで歩きだす音が聞こえた。




目ざましは規則正しく5時に鳴った。それを止めて、眠たげに真が起き上がった。
カーテンを開けると、日の出はもうすぐだった。
5月になって、日の出が早くなったものだ。
そう思いながら真は外出の準備をした。

朝のランニングは真の日課だ。
公園に差しかかった時、ベンチに誰かいるのが見えた。
ホームレスがいたって不思議ではない。またいるのか、といったように真はそれを見た。
そのまま公園を抜けようとした真の足が止まった。

そこにいたのは、昨日真の家に来た少女だった。
昨日と同じ白いワンピースのまま、ベンチの上で丸くなって寝ていた。
「まさか…… 家がないの?」
少女は答えることなく、まだ眠っている。



気づいら、布団の中にいた。
起き上がってみると、見覚えのある場所だったがどうにも記憶がない。
もしかしたら変な人に連れ去られたのかもしれない。そう考えた瞬間、全身に鳥肌が立つ感覚に襲われた。
早くここから出よう。そう思った矢先、不意に声をかけられた。
「あ、起きた?」
恐る恐る振り返ると、昨日尋ねた少女がいた。

「あ、あの……」
「ごめんね、今朝公園にいったらベンチで寝てたから連れてきちゃった」
「あの、ありがとうございます」
真が少女の前に座る。
「ねえ、君は家がないの?」
少女は何も言わず、首を縦に振った。

「じゃあうちにいなよ」
「え? で、でも……」
「いいからいいから」
真が少女の手を取る。
「君があのすずめなのかどうかはわからないけど、行く宛てがないのなら放っておけないよ」
少女が言葉につまって、何も言わずに頷く。

「ところで君の名前はなんて言うの?」
「えっと……」
少女が考える動作をする。

「……雪歩って呼んでください」
「雪歩、うん! ボクは真って言うんだ。よろしくね」
「う、うん」
雪歩はどこかぎこちない様子で頭を下げた。


「じゃあ早速なんだけど、ボク大学に行ってくるから留守番よろしくね」
「うん」
真がドアを閉めると、家の中は何も音がしなくなった。
会ったばかりの人間に留守番を任せるのもどうかと思ったが、そこまで信頼されているのなら逆に悪いことをしづらいのかもしれない。
そう思いながら雪歩は真の部屋を眺めた。
一角に色々な本が置いてあるのが気づき、一冊を手に取ってみた。
表紙には『簡単に出来るおいしいごはん』と書いてあった。


夕飯は簡単なものが机に並んだ。
それでも雪歩は新鮮そうにそれらを見まわした。
「じゃ、いただきます」
真がそう言って手を合わせたのを見て、雪歩も真似るように手を合わせた。
いざ食べようとすると雪歩は料理を素手で掴みそうになって、真は慌てて箸を差し出した。
「ありがとう、えっと、これはどう使えばいいの?」
真は言葉を失った。同じくらいの年代で箸が使えない人間がいるとは思えなかった。
本当に雀なのだろうか。いや、しかしそんなことは信じられない。そんなことをずっと考えていた。
「真ちゃん?」
「あ、ごめん。えっとね……」
真が雪歩の手を取った。
「あっ……」
雪歩が小さくそうつぶやいたのは、真に聞こえていなかった。
「こうやって持つんだ。それで、こう動かすんだ。出来る?」
雪歩は顔を真っ赤にしながら無言で頷いた。

片づけた食器を洗っている間も、雪歩は興味深そうにその様子を見ていた。
「……ねえ、雪歩」
「どうしたの?」
真が雪歩を見た。
「雪歩は本当にあの雀なの?」
「……うん」
雪歩が頷いた。
「じゃあどうやって人間になったの?」
「わからないの。ただずっと真ちゃんに恩を返したいって思って、それで……」
嘘をついているようには見えない。
ただそんなことが起こるとも思えない。
そんなことを考えて、結局結論は出なかった。
「そっか……」
それだけ言って、真はその話を切り上げた。

「雪歩、お茶いる?」
「うん、ありがとう」
雪歩が受け取って口をつけたところで、「熱いっ」と小さな悲鳴をあげた。
「大丈夫? 氷いる?」
「ううん、大丈夫……」
そう言いながら雪歩が涙目になる。
それを見て真が慌てて冷凍庫へ氷を取りに行った。
「ごめんね、真ちゃん……」
「こっちこそごめんね、熱いままお茶出しちゃって」
何となく気まずい時間が流れる。
そんな中会話を切り出すように、真が軽く咳払いをする。
「明日はアルバイトから大学に直行するからもう朝からいないんだ」
「そうなんだ。何時に起きるの?」
「うーん、いつも通り5時かな。でも6時にはもう家を出るから」
時計を見ると、夜9時近くになっていた。
「そっか、じゃあ早めに寝ないとね」
「あ、そういえば布団が1つしかないんだけど、どうしよう……」
「真ちゃん使って。その代わり、私これ借りていい?」
そう言って雪歩は自分が座っている一枚の座布団を取り出した。
「え?雪歩そんなのでいいの? 布団使っていいのに」
「ううん、真ちゃん使って」
「そう? じゃあ……」
真がそのまま布団に入った。
「じゃあ、電気消すね」
「うん、おやすみ」
真は部屋の電気を消した。
すぐに部屋が真っ暗になったが、時折外を走る自動車の音が聞こえる。
その音を聞きながら、暫くして真は雪歩のほうを見た。雪歩は座布団の上で丸くなって寝ていた。
器用だなと思いながら、真も目を閉じた。


翌朝も5時ちょうどに目覚まし時計が鳴った。
それを止めて起き上がると、雪歩はまだ寝ていた。
夜に見た時と全く同じ体勢のまま、静かに寝息をたてていた。
それを起こさないようにと真が静かに布団から出ようとしたが、それに気づいたのか雪歩が目を開けた。
「んん…… あ、おはよう、真ちゃん」
「うん、おはよう、雪歩」
軽く挨拶を済ませると、真は朝食作りにかかった。

フライパンを熱しながら、真が冷蔵庫から卵を取りだした。
「ひぅっ!?」
それを見た雪歩が弱々しく悲鳴を上げた
「ん? どうかした?」
「そ、それ食べるの?」
雪歩が恐ろしいものを見るような目つきで真が持っている卵を指さした。
「うん、もしかして卵苦手?」
「だ、だってそれ、鳥の卵……」
雪歩がそこまで言うと同時に、真が卵を割った。
それまで熱されていたフライパンに白身と黄身が落ちた。
「あ、あれ? 中身が……」
「あ、雪歩もしかして生まれる前の卵だと思った?」
「う、うん」
真が笑いながらフライパンに蓋をする。
「あはは、これは無精卵って言って雛が出来ない卵なんだ」
「そ、そうなんだ……」
雪歩が安心したように溜め息をつく。
「雪歩も食べる?」
雪歩は弱々しく頷いた。

こうして机の上には目玉焼きが2つ並んだ。
雪歩が不思議なものを見るような視線を目玉焼きに向けていた。
「はい、雪歩の分」
真が目玉焼きを1つ渡すと、雪歩は暫くそれを見ていた。
「ちょっとお醤油かけるとおいしいよ」
そう言いながら真が自分の目玉焼きに醤油をかける。
「あむ…… うん!」

真の真似をして雪歩も目玉焼きに醤油をかけて一口食べる。
「あむ…… あ、おいしい」
「でしょ? やっぱり朝ごはんはこれがないとね」
そのまま1つ全て食べてから、残りのごはんと味噌汁も全て食べた。
「ごちそうさま」
真が手を合わせたのを見て、雪歩も手を合わせた。

「あ、食器は流しに置いといて。先にバイト行く準備しちゃうから」
「うん」
そう言って、真は走って洗面所へ向かった。

雪歩は流しの食器を見ていた。
洗い方は昨日見た。同じようにやればきっと出来る。
雪歩がスポンジと洗剤を手に取った。


「よし、準備出来たー。あれ?」
真が台所へ戻ると、雪歩がぎこちない手つきで皿を洗っていた。
「洗ってくれてるの?」
「うん、真ちゃんほど上手くは出来ないけど……」
「ううん、ありがとう!」
笑顔で真が礼を言う。それを見て、雪歩は照れくさそうに少し困った表情をした。

「任せちゃっていいかな?」
「うん!私頑張るよ!」
雪歩が皿を置いてから真のほうへ向き直した。
「ありがとっ じゃ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい、真ちゃん」
雪歩に手を振って見送られながら、真はドアを閉めた。



バイト先のロッカー室へ入ったら、誰もいなかった。
珍しく一番かと思いながら自分のロッカーを開けると、後でドアが開く音がした。
「真、おはよう」
背後から声をかけられて振り返ると、バイト仲間の響が立っていた。既に着替え終わっているのを見ると、それなりに早く来たのだろう。
「響、おはよう、今日同じほうだっけ?」
「うん、自分放送担当で真が旗担当だぞ」
そう言って響がポケットに入れてあったマイクを見せた。
「そっか、今日もよろしくね」
「ああ、先行ってるぞ」
軽く拳を突き合わせる二人流の挨拶をしてから、響が部屋を出る。
少し遅れて真も机に置いてある旗を取って部屋を出た。
「よし、今日もやるぞ」
そう言いながら、真は階段を上がっていった。


『急行渋谷行き到着します。ご注意ください。自由が丘で各駅停車渋谷行きに連絡します』
響の放送と共に列車がホームにすべり込む。

「急行渋谷行きすぐの発車です。少しでも空いてるドアをご利用ください!」
真が声を張り上げる。向こうからは響の声も聞こえる。
「車内奥のほう、座席の前までお進みください、急行渋谷行き発車します!」
真が旗を振ると、電車のドアが音を立てて閉まりだした。
実際には閉まることなく、乗客を挟んだまま止まっている。
「はい、鞄引いてください!」
真が挟まっている人と鞄をゆっくりと押す。
それ以上にゆっくりした動作でドアが閉まる。

自分がいるドアが閉まったのを確認してから前後を見る。
どこも閉まっているか、既に押しているからもうすぐ閉まりそうな場所だけだ。
最後に全てのドアが閉まったことを確認して、再び旗を上げる。
少しして、電車がゆっくりと動き出した。
「後部標識よし、線路よし」
真が列車が通り過ぎた後の線路をなぞるように指を差して確認する。

『今度の列車は各駅停車渋谷行きです。この列車は終点渋谷まで先の到着です』
響の放送が終わると、案内板にはすぐに「電車がきます」の文字が流れ始めた。

 ……

「あーあ、今日も疲れたなぁ…… ただいまー」
「真ちゃんおかえりなさい。お風呂わいてるよ」
「え? あ、うん、ありがとう」
あまりに普通に切り出されたから、真はそれしか言えなかった。
「出てくる頃には夕飯も出来てると思うから」
そう言ってから、雪歩が再び台所へ移動した。
(え? つ、作ってくれてるの!?)
信じられないというように、真は玄関で立ち尽くしていた。
「……こんな生活も悪くはないかも」
そんな雪歩の後ろ姿を見ながら、真がつぶやいた。







翌朝も朝食には目玉焼きが並んだ。
雪歩は相変わらず美味しそうにそれを食べた。
それを見ながら真が話を切り出した。
「今日はボク休みなんだけどさ、せっかくだからどこか出かけない? 雪歩はどこか行ってみたいところある?」
「ううん ……あっ」
雪歩が何かを思い出したように顔をあげる。
「一か所、いいかな?」
「うん」


雪歩を見つけた公園は散歩をする人が時折やってくるくらいで、想像以上に静かだった。
「良かったの? 近所の公園で」
「うん!」
雪歩はとても楽しそうに池を眺めていた。
そんな時、一羽の雀が池の横へとやってきた。
「あ、雀だ」
真がそれを見てから、雪歩を見た。
雪歩は悲しそうに目を伏せた。
「雪歩、あの雀知ってるの?」
雪歩は何も言わなかった。
ただ雀を見ないようにと視線を池へ向けなかった。
「雪歩?」
「真ちゃん、あの雀を追い払って」
真のほうを向くでもなく、雪歩が真に話しかけた。
「う、うん」
とりあえず言われるがまま、真は近くの池の中に石を投げた。
狙い通り雀はどこかへ飛び去っていった。
「雪歩、いなくなったよ」
雪歩が再び前を見ながら、楽しそうな、でもどこか悲しそうな顔をした。
「……私が知ってても、向こうはもう私のことがわからないから」
言い方からして今の雀は近い存在だったのかもしれないが、真はそれを最後まで聞けなかった。

公園から帰る時、少し遠回りをして商店街を回った。
そこにある食べ物を見る度に、雪歩は不思議そうな顔をした。
その流れで、真のバイト先の駅前へやってきた。
「あ、ここボクのバイト先なんだ」
「そうなんだ。駅?」
雪歩が駅という存在を知っているかはわからないが、何となくはわかったらしい。
「うん、なんか女の子っぽくないって言われるんだけどさ」
真が頭をかきながら話す。
「でも真ちゃんなら何でもこなしそうだよね」
「そ、そうかな、あはは……」
雪歩が笑顔でそんなことを言うものだから、真は返答に困った。





「じゃあ、今日もバイト行ってくるね」
そう言って、真がドアを閉めた。

再び雪歩一人の時間がやってきた。
また別の本を読もうとした時、その近くに携帯電話と財布が置いてあるのを見つけた。
「大変! 真ちゃん携帯電話とお財布忘れちゃってる」

雪歩は真の携帯電話と財布と家の鍵を持って、真の家を出た。
昨日の記憶を頼りに、雪歩は駅を目指した。
流石に昨日のことは忘れておらず、程なくして駅に着いた。しかしその場で駅に入るには金が必要なことに気付いた。
「……真ちゃん、ごめんなさい」
そう言って、雪歩は真の財布から小銭を取った。
駅員に聞いたら入場券を買えとのことなので、雪歩は言われた通りに入場券を買った。
改札に入ると、ホームへの階段が2つあった。
どう行けば良いか迷っていると、聞き覚えのある声が聞こえた。
雪歩はその声がするほうの階段を登った。

『各駅停車渋谷行き到着します。黄色い線までお下がりください』
間違えることなく、真の声だった。
『この後は通勤特急の通過です。渋谷までお急ぎのお客様はこの電車にご乗車の上、お隣の日吉駅で後から参ります通勤特急にお乗り換えください』
声はスピーカーから聞こえるが、もちろんそちらを向いても真はいない。
雪歩は暫くホーム上をきょろきょろと見回していた。
やがて電車がホームにすべり込むと、風が雪歩の髪を揺らした。
電車のドアが開くと、ホームにいた人が一斉に乗り込んでいく。
『空いてるドアをご利用ください。各駅停車渋谷行きすぐの発車です』
ドアが閉まらずに止まっているのを、駅員が一か所ずつ押して閉めていく。
その時に、少し前方に何とかドアを閉めようとしている真が見えた。
その場で渡そうかと思ったが、忙しそうにしているのを見て雪歩は話しかけるのをやめた。
近くのベンチで真の手が空くのを待つことにした。

『通勤特急通過します。ご注意ください』
列車が通り過ぎる時、真が帽子を手で押さえながら通過する列車を見ていた。
そして列車が通り過ぎた後は、線路をなぞるように指さしていた。

『各駅停車渋谷行き到着します。この列車自由が丘で急行渋谷行きの待ち合わせをいたします』
続けさまに列車がやってきた。今度は停車してドアが開くと、ホームの客が列車へと吸い込まれていくように流れた。
『空いてるドアをご利用ください。各駅停車渋谷行きすぐの発車です』
「車内奥のほう、座席の前のほうまでお進みください!各駅停車発車します!」
真が声を張り上げる中、再びドアが鞄を挟みながら止まった。
「はい、お荷物引いてください!」

いつもの優しい雰囲気とは違う、凛々しい雰囲気の真に雪歩はしばらく見惚れていた。
列車を見送った後、振り返った真と目が合った。
真はひどく驚いた表情をしていた。いないはずの存在がいるのだから、無理もないのだろう。
そのまま小走りで雪歩のところへやってきた。
「ど、どうしたの雪歩?」
「真ちゃんお財布と携帯電話忘れてたでしょ」
「もしかして持ってくてくれたの? ありがとう」
真が振り返って電光表示板を見ると、「電車がきます」の文字が流れていた。
「あ、ごめん。9時まで待ってて」
真が慌てて立ち位置に戻る。

『お待たせしました、急行渋谷行き到着します。渋谷まで先の到着です』

9時になって、真が雪歩のもとへやってくる。
「雪歩、本当にありがとう」
「ううん、じゃあ私は帰るね」
雪歩が立ちあがった。
「道は大丈夫、だよね?」
「うん!」
雪歩は真に手を振ると、そのまま階段を下りた。



夕飯の片づけをした後、いつものようにお茶を飲みながら話していた。
「真ちゃん、ごめんね。駅に入るのにお金使っちゃった」
「ううん、助かったよ。本当にありがとう」
そう言って真が雪歩の頭を撫でた。
「ひゃっ!?」
雪歩がくすぐったそうな声を上げると、真は楽しそうに笑った。
「ま、真ちゃん!?」
「あはは、ごめんごめん。何だか撫でてみたくなってさ」
楽しそうに話す真を見て、雪歩は少しふくれっ面になる。
「もう!」
そう言いながらそっぽを向く雪歩を、真が優しく抱きしめた。
「ひぅっ!? 真ちゃん!?」
「雪歩が家に来てくれてから、本当に感謝してるよ。ありがとう」
「う、うん……」
雪歩はそれ以上何も言えず、暫くそのままの体勢でいた。


「そろそろ寝なきゃ」
「あ、あの……」
雪歩が言い出しにくそうに控え目に真に話しかけた。
「ん?どうかした?」
「や、やっぱり何でもない」
その後は真が何度聞いても何でもないの一点張りだった。




明くる日、目覚ましを止めた後でも、真が布団から出る気配がなかった。
「んん……」
そう言いながらただゴロゴロ動くだけだ。

「真ちゃん、どうしたの?」
雪歩が起き上がって真を見ると、真は布団にくるまったままゴロゴロとしていた。
「大学に行く気力がわかないよ」

「真ちゃん」
雪歩が手招きした。
真が布団を取ると、ゆっくりとした動作で雪歩のほうへ進む。
そんな真を雪歩は後から優しくだきしめた。
「ダメだよ、大学に行かなきゃ。ね?」
「うん」
雪歩に言われて、真はしぶしぶ大学へ行く準備をした。
真がゆっくりと支度をする間に、雪歩がいつも通りに朝食を作る。
この頃には食材の買い出しは真だが、作るのはほとんど雪歩の役目になっていた。



「じゃ、行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい」
いつも通りに真を見送った雪歩は、また本を読む為に移動しようとした。
その時に強烈な目眩に襲われて、その場にしゃがみこんだ。
「まだダメ。まだ……」
自分に言い聞かせるように、そう呟いた。





真が家に帰ると、部屋が暗いままだった。
雪歩は外に出かけたのだろうか。
そう思いながら真が玄関を開けると、雪歩の服が無造作に置いてあるのが見えた。
そんながさつな性格じゃないと思ったのに。そう思いながら、真は部屋の電気をつけた。

そこには雪歩の服ではなく、雪歩が倒れていた。
「雪歩!」
名前を呼びながら駆け寄ると、雪歩が弱々しく目を開ける。
「真ちゃん……」
「雪歩! どうしたの!?」

自分の肩に置かれた真の手をゆっくりとした動作で掴む。
「やっぱり、そろそろダメみたい……」
「ダメって、何が!?」
雪歩が真から視線を逸らすように目を伏せる。

「本当はこうなる前に消えたかったんだけど、でも……」
雪歩が言葉につまる。
「真ちゃんと、もっと一緒にいたいって……」
真の手を掴んでいる雪歩の手に力が入る。
「ずっと一緒にいたいって、思っちゃった」
雪歩の瞳から涙が一滴零れた。

「何言ってるんだよ!ボク達はずっと一緒じゃないか!」
それを聞いた雪歩は驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうな表情になった。

「とりあえず救急車を呼ばないと……」
電話を取り出そうとする真の手を雪歩が止めた。
「雪歩?」
雪歩はゆっくりと首を横に振った。
「私、病院には行けない」
「どうして!?」
「だって、私は……」
雪歩が続きを躊躇ったが、真をもう一度見て言葉を続けた。
「私はもう、人間でも生き物でもないから」


「雀だって、生きてるじゃないか!」
「……死んだよ」
雪歩のその一言はとても冷たく感じて、聞いた真は鳥肌が立った。
「えっ?」
「真ちゃんが助けた雀は、あの後すぐに死んじゃったんだよ」
「嘘だ……」
信じられないというように真がそれだけ呟いた。
「本当だよ、助けてくれたお礼に元気になった姿を見せようと最後の力を振りしぼって、そのまま……」
「どうして……」
「でも、もっとちゃんとお礼がしたい、雀はそう強く願った」
雪歩が自分の手を見た。そして手を閉じたり開いたり動かした。
「どういう力が働いたのかは私にもわからない。でも雀はもう一度人間として生きることができた」
雪歩はその手で力なく真の顔に触れた。
「でも、それももうすぐ終わり……」
力が抜けたように、雪歩の手が真の顔から離れる。
「真ちゃん、一つお願いしてもいい?」
「うん」

「明日一日、一緒にいて?」
真が黙って頷いた。



今までと同じように朝がやってきた。
気づくとカーテンの向こうには朝日が照りつけている。
「……朝」
真が起き上がると、雪歩もそれに気付いて起きた。

「雪歩、大丈夫?」
「……うん」
それ以降何も会話はなかった。
ただ朝食の時間だと、真は台所へ移動した。

台所に立った真は、何故かそれがすごく久々なように思えた。
思えば雪歩が食事を作るようになってからずっとここへは立っていない。とは言え、それは一週間も経っていないのだが。
メニューは少し考えたが、結局雪歩が好きな目玉焼きを作り、後は雪歩が食べやすいようにお粥を作った。

「雪歩、食べられる?」
「うん、ちょっと待ってて」
そう言いながら雪歩が起き上がる。
しかしスプーンを持つ手もどこか落としそうで危なっかしい。
真は雪歩からスプーンを奪い取ると、お粥を一口分取って雪歩の口元へ持っていった。
「はい、食べて」
「う、うん……」
雪歩が食べたのを確認すると、また一口分取って雪歩の口元へ運んだ。

その調子で朝食を食べさせると、雪歩はまた横になった。

雪歩の体調はどんどん悪くなり、それ以降は何も食べなくなった。
夜になるとほとんど喋ることもなくなり、ただ横にいる真の手を握っているだけだった。

「そろそろ寝よっか」
そう言いながら真が隣で横になる。
「真ちゃん、ごめんね」
「……」
真は何も言えなかった。言い返す言葉が思いつかなかった。
「最後に一つだけお願いしていい?」
そう言いながら雪歩が真の手を離した。
最後と信じたくなかった真は、それに返事をしなかった。
しかし雪歩はそのまま続けた。
「一緒に寝ていい?」
真は何も言わずに、雪歩の布団の中に入った。
一人用の布団は二人で寝るには少し窮屈だった。しかし雪歩はそれを気にする様子も見せずに満足気だった。
「……暖かい」
雪歩が嬉しそうに笑った。

「真ちゃん」
「何?」
雪歩が真を見た。
「私、真ちゃんに恩返し出来たかな?」
「……うん」
「良かった」
また雪歩は満足そうに笑った。

「ありがとう、真ちゃん」
「……またどこかで会えるよね?」
珍しく真から話題を切り出してきた。
「うん、きっとね」
「ボク、待ってるから」
それを聞いて、雪歩は少し困った顔をした。
「なるべく早く、会いに行くね」
「うん。あ、雪歩」
真が小指を出した。
雪歩も同じように小指を出した。
「指切り、約束だよ」
「うん」
どちらからともなく、指を話した。
「じゃあ……」
「おやすみなさい」
その言葉を最後に、二人同時に目を閉じた。





翌朝起きた時には、既に雪歩はいなくなっていた。
「雪歩……」

そこにいたのは、事切れた一匹の雀だけだった。

「……雪歩」

それはとても不思議で

とても不可解で

でも、とても暖かくて

とても幸せだった。

そんな彼女との一週間だった。