出囃子:梅は咲いたか

春香「えー、毎度、お越しくださいまして、ありがとうございます」
 
春香「ところで今年は、身分詐称のタレントさんが話題になりましたよね。
ああいうのはいけません。きっちり私みたいに身分を示せるような資格をとって、
それで勝負していかないと」

春香「ただ、身分を偽ることが常に悪い、ということはない、というお話を、本日紹介させていただければと思います」

春香「どうしたんですか、Pさん、仕事の手がとまってますよ?」

春香「あ、すいません音無さん。実は結婚しようと思いまして」

春香「け、結婚!?・・・うーん、ばたーん」

春香「音無さんが倒れた音を聞きつけて社長が駆けつけます」

春香「どうしたんだい、これは」

春香「いえ社長、実は結婚しようと思ってる、という話をしたら突然」

春香「そうか、まあ音無くんの気持ちを考えるとな。
しかしまあ目出度いじゃないか。して、相手はどこの誰だい?」

春香「はい、高尾さんといいます」

春香「高尾?うーん、どこの高尾さんだい?この町内では聞かない名だけど」

春香「ええと、吉原の高尾さんです」

春香「吉原?もしかして、三浦屋の高尾太夫のことかい」

春香「ああ、あの人は苗字が高尾で名が大夫なんですか。きっとそれです。ものすごいべっぴんじゃないですか。僕、あの人に決めました」

春香「いやいや、決めましたってったって、キミ、会ったことはないよね?」

春香「この前、吉原で下働きしている野郎衆の着物やふんどしを染め直して納品しに行ったとき、道で見ました」

春香「いや、それは見かけただけだね?」

春香「はい。それで結婚はどうすればできるんでしょう?」

春香「いやいや、結婚ってのは、互いが想い合ってのことだから・・・。」

春香「でも、目が合いました」

春香「目なんていくらでもあうさ。君は音無くんとしょっちゅう目を合うだろうけど、
結婚しようとはならないだろう?」

春香「それはそうですが、ではどうすればいいんですか?」

春香「どうすればったって、まずは二人きりで会わないことには、男女の恋仲なんて進まないさ」

春香「成程。どうすれば二人っきりで会えるんですか?道で恋文を渡せばいいんですか?」

春香「馬鹿言っちゃいけないよ。あいては三浦屋の高尾太夫だ。
しっかりとお金を積んで、やっと一晩会って貰えるかどうかだね」

春香「お金ですか?いくら必要なんですか?」

春香「そうだね、10両くらいは必要なんじゃないか?」

春香「10両、10両ですね、わかりました。僕、10両貯めるまで一生懸命働きます!」

春香「いやキミ、10両って分かってるのかね・・・」

春香「こんなやりとりがありまして、Pさんはそれから3年間、盆暮れ正月関係なしに一生懸命働きました。
もともと仕事熱心なPさん、より一層いい仕事をすると評判になったそうです。そんなある日のこと」

春香「社長、お願いがありまして」

春香「なんだいPくん?」

春香「明日、お休みをいただきたいのですが」

春香「休み?うれしいことを言ってくれるね、もちろん構わないさ。君が全然休みを欲しがらないから気になっていたんだ。
ところで、急に休みが欲しいといいだすなんて、どうしたんだい?」

春香「はい。今日いただく給金で、貯金が10両になるので、今晩、三浦屋の高尾太夫に会いに行こうと思います」

春香「え?」

春香「三浦屋の高尾太夫ですよ。結婚を申し込みに行くんです。
社長言ってくれたじゃないですか。10両で会えるって」

春香「いや、最低10両は必要とは言ったけどもねぇ」

春香「じゃ会えないんですか。僕、この日のためだけに3年間頑張ってきたんですよ?」

春香「いやいや、金は10両で足りるかもしれんのだが、ああいうところ、
ましてや高尾太夫ときたら、それなりの身分がいるんだよ、困ったね・・・」

春香「とそこへ、3年前にPさんへの恋破れ、仕事一筋になっている音無さんが入ってまいりました」

春香「社長、あのー・・・黒井先生が来てるんですが」

春香「こんな大変なときに・・・いや、待てよ黒井か。通してくれるかな?」

春香「よう高木、近くを通りかかったからな。くたばってないかどうか
顔を見に来てやったぞ。どうだ?くたばりそうか?」

春香「黒井、いいところに来てくれた。私じゃないんだが急患だ。恋煩いだよ」

春香「ウィ?」

春香「この黒井先生。実はお医者さんです。普段は幕府のお抱え医師として働いていて顔が広いんですが、
ちょこちょこと旧友の高木社長の顔を見に来ては、憎まれ口をたたいて帰っていく。ツンデレのはしりですかね。
社長が顛末を黒井に伝えると」

春香「なるほど、これは確かに恋煩いだ」

春香「どうにかならんか。腕は確かな職人なんだ。彼を失うのは痛手だ」

春香「この煩いは、実際に高尾太夫に会わなきゃどうしようもないだろう」

春香「恋煩いも治せないとは、幕府お抱えの名に傷がつくな。黒井も所詮はヤブ医者か」

春香「言葉に気をつけろ。誰が治せないと言った?私に直せない病などない!」

春香「しかしだね、高尾に会うなんて土台無理な話じゃないか」

春香「黒井先生、ここで高木社長を無視し、Pに向かい直します」

春香「Pといったな。高尾に会うためならなんでもできるか?」

春香「何でもします!」

春香「いいだろう。時に君が、ここ最近で見た、男の金持ちはだれかね?」

春香「金持ち、ですか?そうですね。先月たくさんの作務衣を納品しに、
流山の味醂屋に行ってきまして、そこの若旦那はいかにも金持ちそうなそぶりでした。
なんでも味醂屋以外にも、焼酎屋をやったり、あとは"ろこどる"とかいう演劇団で稼いでいるそうで」

春香「なるほど。では君はその若旦那になりきりたまえ」

春香「なりきる?どういうことですか?」

春香「紺屋の身分では三浦屋の敷居は跨げん。しかし流山の味醂屋の若旦那なら、三浦屋の客としては上出来だ」

春香「いやしかし黒井、ああいうことろは一見では」

春香「案ずるな高木、私の口添えがあれば問題などない」


春香「ということで今晩、味醂屋の若旦那に扮することになったPですが、
そんな準備など何もしていない。しかし日ごろから真摯に仕事をしていたPの
人生の大一番とあって、町のみんなが応援してくれました」

春香「Pさん!今日大変なんだって?服は大丈夫?主人の一張羅、貸すから使ってよ!」

春香「Pさん、出かけにうちで髪を結っていきなよ!お代?お代なんかいらないよ!
そのかわりガンバっておいでよ!」


春香「そして夕方、黒井先生がPさんを迎えにやってきました」

春香「いいか、P、キミは身なりだけはいかにも若旦那、いい雰囲気になっている。
しかし、キミの知識は、おおよそ若旦那としては浅薄だ。高尾は頭がいい。
話なんてしたらすぐに、若旦那なんかじゃないことはバレてしまう。
高尾から話をされても、短い言葉で相槌を打つだけにしたまえ」

春香「はい」

春香「そう、その要領だ。あとはその手だな。指先が染料に染まっているだろう。
それを見られては具合が悪い。手先は袖の中に隠しておきたまえよ。いいな」

春香「はい」


春香「Pさんは演技がうまいんじゃなくって、緊張して言葉が出ないだけなんですが、
これがたまたま黒井先生の指示と合っていました」

春香「そして夕刻、Pさんは黒井先生に連れられて吉原へ。予め話が通してあって、トントン拍子に座敷に通されます」

春香「Pよ、私ができるのはここまでだ。あとはせいぜい頑張りたまえよ」

春香「はい、先生」


春香「設えの豪華な、いかにも高そうな掛軸や壺のある座敷に通され、もう緊張で胸の張り裂けそうなPさん。
そこでちょっと座って待っていると、そこに高尾大夫が、お待たせいたしました、と入ってまいります」


春香「お待たせいたしました。高尾大夫でございます。お初に、お目にかかります」

春香「はい」

春香「Pさん、とおっしゃいましたね。お酒は召し上がりますか?」

春香「はい」


春香「このお酒も高級なお酒なんですが、憧れの高尾大夫が注いでくれるとあって緊張しっぱなし、
Pさんの猪口はカタカタと震えてしまいます。
お寒いですか?と高尾が尋ねると、またPさんは"いいえ"とぶっきらぼうな返事」

春香「こんなぶっきらぼうな男が来るっていうのが高尾には珍しかったのか、高尾もPさんとの時間を楽しみました。
そして、ここは吉原、男を男にする、そういったお店でもあります。酒や煙草や遊びをひとしきり楽しむと」


春香「そろそろ、衣を脱ぎましょう」

春香「そういって高尾がPさんの着物に手をかけると、思わずPさんも、"あ、いえ、脱げません"と。
そう言わざるを得ません。何せ黒井先生には、指を袖に隠しておけ、と言われています」

春香「しかし高尾は、そこに奥ゆかしさを感じたのか、それとも大夫としての意地なのか、
手際よく、すすすっとPさんの着物を剥いでしまいました」

春香「あっ!」

春香「手が見られた、とPさんが思った次の瞬間、高尾がPさんの言葉を遮って接吻をいたします」

春香「今は夢の中、夢の中です、すべてを忘れて、高尾の傍にいてください」


春香「それから何時間経ったでしょうか。ちゅんちゅんと雀の囀る声で目を覚ました、
なんてわけはなくて、Pさんは高尾に男にしてもらった後もずーっと寝たふりをして、
高尾と同じ空間にいられる時間が刻一刻と短くなるのを、惜しんでおりました」

春香「と、高尾から"もうそろそろ、起きたらいかがですか?"と声がかかります。
もう起きていて、狸寝入りを決め込んでいるのは気づかれているわけです」


春香「意を決してPさんが”申し訳ありませんでした!”と謝ります」


春香「何が、ですか?」

春香「僕は、味醂屋の若旦那じゃないんです!しがない荻窪の紺屋の職人なんです」

春香「そうですか。でも、私はあなたが気に入りました。また、いらしてくださいね」

春香「はい、3年後にまた来ます」

春香「なぜ、3年後なのですか」

春香「自分の給金では、10両貯めるのにどんなに頑張っても3年かかるんです。
あなたを3年前に知って、それから休まず働いて3年、やっと今日、あなたに会えたんです。
だから、3年後にまた来ます」

春香「私のことを3年も・・・あなたは、もう3年間、私に会えなくても耐えられますか?」

春香「それは・・・うぅぅ」


春香「Pさんの咽び泣く声しかしない部屋。しばしの静寂。そこに高尾が再び口を開きます」

春香「私、このような卑しい仕事をしています。私の隣にいるのは、毎晩別の男性なんです。
そんな私を、ずっと好いてくれますか」

春香「好きですとも、ずっと!ずっと!」

春香「こんな卑しい人間の隣に・・・ずっと、居てくれますか?」

春香「はい!」

春香「でも私、3年後はここにいないんです」

春香「え、そんな!」

春香「私、来年の7月19日に年季が明けるんです。こんな私で良ければ、来年、私を娶ってください」


春香「さて、Pさんが紺屋に帰ってくると、社長や音無さん、町のみんなも待ち構えていました」


春香「おいどうした!Pくん、どうせすぐに追い出されてくるだろうと思ったら
こんな時間まで帰ってこないとは、まさか、高尾に男にしてもらったのか!」

春香「あの、社長」

春香「どうしたんだい」

春香「来年、高尾が嫁に来ます」

春香「おい音無くん、黒井を呼んでこい!Pくんがおかしくなった!ヤブ医者め!」


春香「みんな、Pさんの言うことなんか信じませんが、
Pさんは"あと50遍寝たら高尾が来る、50遍寝たら高尾がが来る"とぶつぶつつぶやくから、ちょっと気味が悪いですね」

春香「そんなこんなで迎えた7月19日。毎晩遅くまで働いていたPさんは、
紺屋の寝床でまだすやすやと眠っていましたが、そんな紺屋にそこにコツンコツンと戸を叩く音が」


春香「高尾でございます。今日、年季が明けて、Pさんに娶ってもらいに参りました。Pさんはいらっしゃいますか」

春香「おい、ちょっとPくん!」

春香「驚きをもって迎えられた高尾、あー、高尾は源氏名で、本名はあずさというんですが、
晴れてPさんの妻として、紺屋で一緒に働くことになりました。
社長もそろそろ歳、ということでこの紺屋をPさんが継ぐと、
もとより仕事熱心で手際がよいPさんと、美人女将の高尾がいる紺屋として、末代まで繁栄いたしました」

春香「なんでも、"ろこどる"をはやらせた味醂屋の若旦那の進言もあって、
Pさんの染めた紺色や紫色の着物や前垂れを高尾に着せたら、
これが評判で飛ぶように売れて紺屋の注文が殺到したとか」

春香「おあとがよろしいようで」