……なに? 俺と母さんの馴れ初め?
 おい母さん、氷嚢と卵酒持って来てくれ、真が病気だ。

 ……わかったから、真。親をグーで殴るな。女らしさが第一宇宙速度で遠ざかるぞ。
 それに一応俺は、これでも父親なんだからさ。威厳とかさ、そういう類の、な?

 わかったら座れ、まず座れ。
 とにかくお前が立ってるだけで、全部ファイティングポーズに見えるんだよ。

 ……俺のせいじゃないだろ。


 そもそもカートなんてのは、金持ちのボンボンが道楽で始めるもんさ。
 俺のオヤジってのが、無類のカーキチでな。まぁ、俺はオヤジに似たんだろうよ。
 遊園地のゴーカートに毛の生えたような奴から始まってな。
 ……どこに毛が生えるだって? 真、父さんそういうボケはあまり好きじゃないぞ。

 弟も一緒にやってたんだけど、そもそも俺は家を継ぐ気がなくてな。
 オヤジもオヤジだけど、俺は輪を掛けてそういうの向いてねぇんだよ。
 あれ、ほら、オヤジの葬式ん時に喪主やってたのが俺の弟。
 そうそう、雄二な。「雄二おじさん」とか言うな、一度しか会ってねぇくせに。

 まぁ、そんなんでよ。
 家のこと全部雄二に押し付けて、とにかくクルマ乗りたくて、アメリカに行ったわけ。
 一応オヤジの顔立てて高校は出たけど、卒業証書貰った次の日には成田にいたな。
 金はバイトで貯めた飛行機のチケット代だけ。許可? 貰ってねぇよ、そんなの。

 英語だってろくすっぽ知らない。
 ハローとサンキューとハウマッチだけで、何とかなるだろって思ってたからな。
 そもそもアルファベットの書き取りだって怪しかったぐらいだし。
 そんなんでも何とかなるだろ、って思ってたよ。

 まぁ、実際には何とかなったんじゃなくて、何とかしたんだけどな。
 空手の習いが有って良かった。多少インチキでも、アメリカ人にゃわかりゃしねぇ。
 とにかく「押忍!」って臍下三寸に気合い入れて叫べ、っつってた。
 後はそれっぽく、突きの型から教えてやってただけ。

 ド田舎でよ。古き良き開拓民時代みてぇな生活してんだ。
 俺らはアメリカっつったら、ニューヨークだのカリフォルニアだのを想像すんだろ。
 何せアメリカはでけぇからな。北海道の比じゃねぇ。
 ほんの少しの都会の周りに、アホかっつうスケールの田舎が広がってんだ。

 なんでそんなとこにいたのかって?
 サンフランシスコで適当にヒッチハイクしたら、適当に降ろされたんだ。
 本当はベガスを目指してたハズなのに、名前だけはベガスに似たど田舎にな。
 全くよ、クルマに乗りたくてアメリカに来たのに、乗ってたのはトラクターだぜ?

 俺はそもそも無一文だし、英語もろくすっぽ知らねぇ。
 シスコの空手教室も一ヶ月で終わっちまったからな。
 クビ? 違ぇよ、オーナーが金持ってトンズラしやがったんだよ!
 まぁ、そんなわけで、その「ベガスによく似た名前の村」の厄介になったわけだ。

 毎日毎日、クソデカいトウモロコシ畑で、トラクター乗り回してな。
 楽しかったぜ? その代わり、俺と言う人間が物凄くちっぽけに見えたけどな。
 あ、雪歩ちゃん退屈? じゃあもっと色っぽい話しようか、おじさんと。
 ……だから、真。 グーはやめろと二度も言わせるな。


◇ ◇ ◇


 こっから先は、よくある話だ。

 その村には、俺と同い歳くらいの女の子がいたんだ。
 これが滅法、歌が上手くてな。村の教会はちょっとしたライブ会場だよ。
 歌はもちろん讃美歌。俺は一切キリスト教の知識なんざねぇから、最初は聴くだけ。
 そんでも、毎週日曜礼拝だっつって村の連中が総出で行くから、俺も毎週行くだろ。

 そうすると、何となく「音」で英語の詞が入ってくる。
 もっとも讃美歌の英語なんて古典も古典で、現代米語から遠く掛け離れてっけど。
 なんだかよくわかんねぇんだが、綺麗だなって思うわけさ。
 その女の子の歌が上手かったからなんだろうと、今になってみりゃ思うけど。

 俺はその女の子に、英語を習ってた。
 小っ恥ずかしい話だぜ? 幼稚園児が使うようなテキストから始めやがって。
 幾ら俺がバカでも、りんごはappleだってことくらい知ってるぜ、ってとこからな。
 だから俺はその代わり、彼女に日本語を教えてたんだ。appleはりんごだ、ってな。

 空手じゃないんだ、って? バカ言え、相手は女の子だぞ?
 ……父さん、グーで殴るなと言ったけど、チョップはOKとも言ってません。


◇ ◇ ◇


 ……ああ、そうだよ。ありがちな話だ。

 一緒にいる時間が長いから、どうしてもお互いを見ている時間が長くなる。
 そういう男女二人の関係に変化が訪れる。有り体に言えば、二人は恋に落ちた。
 そんだけなら綺麗なんだけどな。どうせ俺は得体の知れないエトランゼだし。
 いつかは、彼女の前からいなくなる存在でしかねぇ、そう思ってたさ。

 ところが話はこじれ出したんだな、これが。
 俺がその村の居候になって二年目の春に、彼女が村を出たいと言い始めた。
 どっかで聞いたようなことを言うぜ。
「自分の歌が通用するのか、試してみたい」ってさ。

 こじれる理由は二つ有ったんだ。
 一つは、彼女は生まれつき体が丈夫なわけじゃなかった。
 先天性の心臓疾患っつったかな。まぁ、薄明の美少女にありがちな話さ。
 そうでなければ白血病か。イボ痔や切れ痔は、可憐な少女に用がねぇ。

 もう一つはな、彼女には実はフィアンセがいた。
 古臭ぇ話だろ? どっかの倉庫に放置したカーペットが水吸って黴びたようなさ。
 くっだらねぇ、って心底思ったさ。けど、洋の東西を問わねぇんだな、とも思った。
 集落の中で全てが完結しちまうのさ、連中の生活圏ってのが、さ。

「ヴィレッジ」って映画が有ったろ? シャマランがメガホン取った奴。
 ……なんだと? 「シックス・センス」観たんなら「ヴィレッジ」も観ろ。
 盗作疑惑も有ったらしいけど、そんなん関係ねぇ。地味な映画だけどな、正直。
 まぁ、良いや。軽くネタバレになるけど、あんな感じの村なんだよ。

 そもそもなんで俺はこんな村に来ちまったんだろう、って後悔したよな。
 村に来なければ、彼女と会うことも無かったわけだろ。
 結局、彼女が村を出たいと思った最大の理由は、俺のせいなんだよ。
 無一文で突然やってきた放浪者による、ちょっとした革命だったんだ。

 ……カッコ良く言い過ぎだろ、って?
 まぁ、聞け。黙って聞かないと、酒飲ませるぞ。


◇ ◇ ◇


 面白い話なんかじゃねぇんだよ、そもそも。
 何しろその騒ぎのせいで、俺は村の中で立場がねぇんだ。
 かと言って、彼女は彼女で私を外に連れ出してくれ、って言い始めやがった。
 無茶言うんじゃねぇっての。その頃の俺に、もう一人分の人生のベッドなんかねぇ。

 来る日も来る日も、俺は彼女を説得し続けたんだ。
 確かに君の歌は全米を、いや、世界を揺るがす大きな波を作ることができる。
 でもそれは君の命と、そして村人が君を思う気持ちとの交換になっちまう。
 俺は頭は悪いが、天秤に掛けて良いものとダメなものの区別は付く、ってな。

 頑固なんだ、存外。だから俺も、どうしたもんかと思ってな。
 そんな時に、たまたまその時点でも俺の味方だったバカがいたんだ。
 ……ああ、とっくに味方らしい味方なんかいねぇ。
 なにせそのフィアンセってのが、村長の息子だったからよ。

 そんでまぁ、そのバカがよ。
「お前どうせ村を出るんだろ? だったら俺と行こうぜ!」
 とか言うんだ。要するにそいつも、閉鎖的な田舎村の暮らしに飽きてたんだろうな。
 俺はこんなところで終わるタマじゃねぇ、とか言うヤツだ。中二病だな。

 とは言え、脱出手段もねぇと思ってたところに、バカが一人乗ってきた。
 こいつは千載一遇の好機だ。ろくに計画も決めねぇまま、夜討ち朝駆けでな。
 村を脱出することにしたんだ、そいつと。
 彼女には、当然秘密だ。「僕は君を説得するまでここを動かない」とまで言った。

 ……ああ、今思えば、俺が生まれてこの方ついたウソの中で、最悪のウソだ。


◇ ◇ ◇


 真夜中にさ。でっかいフルムーンが浮かんでやがった。
 灯りなんかほかにねぇんだ。それでも月明かりってなぁ、明るいんだなと思った。
 そのバカが誇りにしてた、小汚ねぇ年代物のシボレーに飛び乗ったんだ。
 俺の脳内BGMは「雨上がりの夜空に」だった。RCサクセションな。

 そしたら、もうすぐ御臨終みたいな排気音に紛れて、歌が聞こえてきた。
 聞き違い様はなかった。彼女の歌声だって、すぐにわかったよ。
 ちくしょう、俺が抜け出したのがバレたんだ、ってことだ。あのクソアメ車が。
 ああ、だから俺は今でもアメ車が大嫌いだ。特にシボレーは、絶対ダメな。

 まぁ、いいや。とにかく歌が聞こえるんだ。俺はバカに言った、止めろと。
 バカはこう言いやがった。村人に捕まったらどうするんだ、ってな。
 だから言ってやったよ。そん時ゃあ全てを投げ捨てる覚悟でアクセルを踏めってな。
 もっとも、そんなことにはならなかった。午後の九時だけど、みんな寝てたんだ。

 俺はクルマを止めろとは言った。でも、降りたわけじゃない。
 腐ったバターが別の代物に変わってるんじゃねぇか、って言うくらい臭ぇ車内でさ。
 ずっと黙って聴いていた。これがもう、俺にとって最後の彼女の歌だったからな。
 夜中でさ、みんな寝静まってるってのに、村はずれとは言え豊かな声量で歌うんだよ。

 ……忘れもしねぇ。"Amazing Grace" だ。


◇ ◇ ◇


 考えてみろよ。雪歩ちゃんも一緒にさ。
 自分のことを捨てて、バカデカい夢だけ背負って、気ままに生きてる素浪人にさ。
 一宿一飯の恩義どころじゃねぇ男に、ウソまでつかれて捨てられたら、どうする?
 ……あ、うん。雪歩ちゃん、スコップはしまおうか、危ないからね。

 殺したくなるんじゃねぇのか? それが偽らざる感想文だぜ。
 だけど彼女は、俺がウソをつかなきゃいけなかった俺さえ「許す」と言った。
 知らねぇのか、アイドルのくせに。勉強しろよ、ちゃんと。
 罪深き隣人を赦し給え。そういう讃美歌なんだよ、あの歌は。

 ずっと黙って聞いてたよ。月が山並みに隠れるまで。
 逆に言えば、彼女はずっと歌っていたんだ。俺を許すために、自分を許すために。
 ふざけんじゃねぇ、って話じゃねぇか?
 とんだ「驚嘆すべき恩寵」だ、こんな胸が苦しくなる恩恵が有るのか、ってな。

 俺は初めて歌を聴いて泣くってことを知ったんだ。
 まだ二十歳にならねぇ、ケツの青いガキの時分の話だ。
 真も、雪歩ちゃんも、世の中にはそういう歌も有るってこたぁ、知っておけ。
 あー、まぁ真にゃあ無理かもしんねぇなぁ、そういう歌は!

 ……だからグーもパーもダメだって言ったんだから、チョキもダメだ!
 今の目潰し、物凄く速かったぞ!?


◇ ◇ ◇


 ……その後?
 バカと二人で、できの悪いロードムービーよろしく、大陸を西から東へ。
 インターステート・ハイウェイってのがあってな。全ての州は道路が繋がってる。
 まぁ、全体的にいろいろアメリカンだったぜ。良くも悪くも。

 彼女のこと?
 知らねぇな。バカとはニューヨークで別れたんだ。
 ここから先は、お互いがやりたいことをやろうぜ、って言ってな。
 それ以来バカにも会ってねぇ。当然、あの村のことなんざわからねぇよ。

 そんで、相変わらず素寒貧で食うに困りながら、何とか潜り込んだんだ。
 小さいけれど、インディにも出たワークスでよ。そこで修理工みたいな形で。
 住み込みで、月給は八〇〇ドル。物価の高いNYじゃ、食うのがやっとだった。
 それでもテストドライバーの真似事もさせてもらってな。良い所だったよ。

 だけど、俺が二一歳の年の正月、マジソンスクエアガーデンで、俺は会ったんだ。
 ……誰ってバカかお前は! 母さんに決まってんじゃねぇか!
 だから、それが俺と母さんの馴れ初めだ。以上っ!
 ……イヤ、おかしくねぇだろ! だから拳をしまえ! 雪歩ちゃんも座ってっ!

 まぁ、そん時ゃあ結婚するとは、思ってなかったんだけどよ。
 ……え? 母さん、包丁はリビングに持ってきたらアブナイデスヨ!?


◇ ◇ ◇


Amazing grace! (how sweet the sound)
That sav'd a wretch like me!
I once was lost, but now am found,
Was blind, but now I see.

驚くべき恵みよ!(なんと甘い響き)
神は私のような罪深き者も救われた
私は見失われたが今見いだされたのだ
私は何も見えていなかったが今は見える



<fin.>