☆シャッフルSS☆



 車に乗り込むと、さっきまで吸っていただろうタバコの香りが漂ってきた。
 素早くシートベルトを閉める。

 事務所前に止まっていた白のワゴン車は走りだした。


 私は助手席に座り、隣で車を運転するのはアイツだ。

「なあ、伊織」

「なに?」

 アイツは左手をハンドルから離し、私の頭をポンポンと撫でた。

「不安だろうけど、がんばれ」

 アイツの顔もこわばっている。

「ええ……事故だけは起こさないでね? 無事に私を会場まで届けなさい」

「おう」

 そして、車は加速する。
 上を高速道路が通る大きな幹線道路。

 空は見えない。

「……タバコ、吸っていいか」

「ダメ」

「だよなあ、ごめん」

 プロデューサーは残念そうに、タバコを再びドアポケットに置いた。
 アンタの吸いたいって気持ちも分かるけれど、今日のために、副流煙には気をつけなくちゃいけない。

「……」

 時計を見る。午前11時。
 開場は午後4時だけれど、リハーサルはお昼すぎから始まる。

「まだ着かないの?」

「そうだな、もうちょっとかかる」

「……」

 私が口を開く前に、アイツは私の考えを察してこう言った。

「出来るだけ頑張るよ」

 焦っている。
 ドラマの台本が前日になっても頭に入ってこなかった時よりも。
 千早が雑誌のスクープで心を閉ざしてしまった時よりも。
 コイツのドジで春香が混乱してしまった時よりも。

 早く会場入りしたい。だけれど、今日のライブが終われば、私は。

「……ごめん、これ、うるさいか」

「え……?」

 プロデューサーはカーラジオを消そうとする。

「あっ、消さないで」

 思わず、声が出た。

「え?」

「おっ……音が有る方が、安心するの」

「……そうか、分かった」

 咄嗟に口から飛び出した言葉は本心なのかしら。

『……うん、確かに過ごしやすい季節になってきましたよね』

 朝のラジオが私は好きだ。
 トークが続き、たまに音楽が流れる独特の雰囲気が、他の番組とは一線を画していた。

『それでも、やっぱりコートは本物の冬が来た時にとっておくべきなんじゃないかな、と思います』

 プロデューサーが声をかける。

「……伊織」

「うん?」

「今日がアイドルとしての伊織の、最後のステージだ」

「……ええ」

 何を言うのかはもう分かっていた。
 こいつは大舞台の前、絶対にこう言うんだから。

「た」

「『楽しめよ』でしょ?」

 びっくりしてる。当たり前でしょ、何年アンタに担当されてると思ってんの?

「分かってるわよ」

 アイツは笑って、

「なら大丈夫だな、お前はスーパーアイドルだから」

「そう、正解。にひひっ」

 ふと耳がラジオの音をキャッチする。
 このフェードインに、聞き覚えがあった。

『――それでは聞いていただきましょう。765PRO ALLSTARSで曲は【i】』

「おぉ、誰がリクエストしてくれたんだろ」

「……こういう番組にも、私達の曲をリクエストしてくれるファンが居るのよね」

「ああ」

 応援してくれる人たちは、たくさんいる。
 テレビ、ラジオ、雑誌、ネット……様々な媒体からファンであることを公表して、想いを伝えようとしてくれている。

 引退するということが、ファンへの裏切りになるんじゃないかと考えたこともあった。
 ”私”は居なくなる。アイドル・水瀬伊織のファンは、誰を応援してくれるの?

 春香?
 千早?
 765プロのみんな?
 ……それとも、他の事務所のアイドル?

 ……そんなことは分からない。私が引退した後、誰を応援するかなんてことは些細なことだ。
 私を見てくれた、私に向けて声をはりあげてくれた、その時間は心の中で永遠に続くんだから。
 水瀬伊織のファンで居てくれたという事実は、揺るぎなくそこにあるのだから。

「ねぇ、プロデューサー」

 プロデューサーは少し間を置いた。

「どうした」

「今まで、楽しかった」

 アイツは何も言わない。

「家族を見返すためにアイドルを始めたのは知ってるわよね?」

「ああ」

「私、アイドルを続けていて気づいたの」

 765プロという素敵な事務所で、たくさんの時間をそこで過ごして。

「別に見返さなくたって良い、私は私なんだ……って」

 当たり前のこと。私は私。他人でもない、友達でもない、もちろん家族の誰かでもない。
 そんなことに気づくのに、結構時間をかけてしまった。

「私はお兄様とは違う」

 同じ表彰台を目指さなくてもいいじゃない。

「私はアイドルだから」

 トップアイドルの称号を手にした時、私はお兄様と同じ勝負をしていなかったことに気づいた。
 だって、お兄様にはお兄様、私には私の得意分野がある。
 わざわざ同じ土俵で勝負する必要なんてなかったのに、子供の私はムキになった。

「……伊織は偉いよ、あんな年齢の時から自分でしっかり行動してるんだから」

 アイツはカーラジオのボリュームを少し上げた。

 ―― みんな楽しく笑顔で舞台に立とう ――

「この曲の通り、『歌やダンスで』伊織の存在ってもんを伝えたわけだろ?」

「……うん」

「普通の14歳じゃ、そんなことなかなかできないよ」

 私はここにいる。
 歌って、踊って、スポットライトを浴びて。
 ……私が、お兄様やお父様達に言いたかったこと。

 水瀬家の長女じゃない、私は水瀬伊織なんだ。

「あー、なんだ」

 アイツは急に照れくさそうに頬をかいた。

「何よ?」

「実は今日の引退ライブ、伊織の家族を招待したんだよ」

 【i】が終わり、再びラジオはトークへ移っていく。

「はぁ!?」

「うわっ、大声出すなって」

「聞いてないわよ!」

 プロデューサーは一瞬私と目を合わせた。

「だって、せっかくの晴れ舞台だろ」

「っ……」

 晴れ舞台。
 お兄様たちとは違うけれど、それは私が確かに立てる場所だ。

 私はみんなと一緒に、自らの居場所を掴みとった。
 それを見せるチャンスは、今日しか残っていない。

「聞けばさ、お前頑なに家族をライブに誘ってなかったんだってな」

「っ、ええ」

「まあ、お父さんはちょくちょく来てたみたいだけど」

「えっ、うそ!?」

 お父様が私たちのライブを見に来ていたなんて。

「いつも楽しそうにペンライト振ってたぞ、あの厳格なイメージとはかなり違ってた」

「そ、そう……」

 知らなかった。
 事務所を紹介してくれたのはお父様だったけれど、内心では子供の遊びだと思っているんだ、って考えていた。

「まあ、伊織は765のみんなだけじゃなくて……家族にも支えられてたアイドルだ、ってことだな」

 みんなに支えられて……私は、トップアイドルの座を勝ち取った。


 車が会場へ続く道に入った。高速道路の圧迫感から、なんとなく解放された気がする。

「……ねえ、プロデューサー」

「どうした?」

 私はカーラジオのスイッチを切る。

「私のこと、幸せにしてくれる?」

 アイドルでなくなる私は、また輝くことが出来る?

「……今日のライブが終わったら、ドライブに行こうか」

 答えは今は貰えなかった。

「ええ、楽しみにしてる」

「だから伊織。今は引退ライブのことを考えて――――」

 アイツは出会った時のような自信たっぷりの微笑みを浮かべた。

「楽しめよ!」

 その日は1日中、空には雲ひとつ無かった。