★シャッフルSS第2弾★


「萩原さん、綺麗だったわね」

 式場を出た千早が最初に発した一言だった。ボクは未だに状況を理解できていなくて、認めようともしていなくて。だから、綺麗だとか汚いだとか、白いだとか黒いだとか、生きているだとか死んでしまっただとか、そんなものも掴めていなかった。

「真。私達は、これをきっと乗り越えていかなきゃいけないんだと思う」
「乗り越える……?」
「ええ。萩原さんはきっと、私達にこんな顔を望んでないと思うから」
「千早に雪歩のなにがわかるの?」

 自分でも恐ろしいほど冷たい台詞が、口をついた。呆然とする千早を横目に、ボクはああ何を言っているんだと、ボクだって雪歩のことなんて全然知らないじゃないかと、静かに後悔が連なっていくのだ。雪歩が最近好きになったとおすすめしてくれたどこかの国の紅茶、番組で共演してから仲良くなったというアイドルの女の子、誕生日プレゼントでお父さんから貰ったといつも嬉しそうに身につけていたどこかのブランドの腕時計。知らない。それがどこの国なのか、誰なのか、どこのブランドか。全部、全部知らない。いまはもう、知り得ない。

「……ごめん」
「……大丈夫。一番混乱してるのは真だって分かっているから」

 それはどうして?
 と、質問をする前に千早は答えてくれた。

「萩原さんと一番一緒にいたのは、真だと思う。それは私だけじゃなくて、春香も、我那覇さんも、水瀬さんも……みんな分かってる」

 一番一緒にいた、イコール一番仲が良かった、ってことになるのかな。それはニア・イコール止まりじゃないか。ボクは雪歩と仲が良かったのか。
 ボクは雪歩が大好きだった。友達としても、女の子としても、あんなに可憐で、誰かに優しく出来て、一生懸命で。ボクだけが知っている雪歩を見るのも、大好きで。
 ……ボクだけが知っている雪歩。

「ねえ、千早」
「うん?」
「ボクだけが知っている雪歩って、居るのかな」

 千早は逡巡して、

「そうね……それはきっと、誰の中にも居るんじゃないかしら。同じように、私の中にも私しか知らない萩原さんが居て。春香の中には、春香しか知らない萩原さんがきっと居る」

 学校の制服のポケットを撫でながら、千早は続けた。

「だから、真は真しか知らない萩原さんのことを、少しずつ思い出して行けばいいと思う」

 ボクしか知らない雪歩のことを、少しずつ。そんなもの、あるんだろうか。レッスンが終わった時に見せた笑顔。あの時ボクの横には、貴音が居た。降郷村でライブをした時の緊張。あの時ボクの横には、春香が居た。演劇公演のリハーサルで全てうまく行った時の満足気な表情。あの時ボクの横には、プロデューサーが居た。結局どれもこれも、ボクが記憶している雪歩の全ては、誰かの中に既にあるものであって、ボクしか知らない雪歩なんてものは、きっとこの世界には最初から存在していなかったんじゃないかって、そう思う。
 そこでふと、ボクは気づいた。ボクは雪歩のことを独占したいのだろうか。雪歩のことを、彼女が死んでなおもっと知りたくて、そしてその知識を独占したくて、他の誰かに雪歩のことを語ってほしくないなんて。まるで今のボクは、

「……ボク、おかしいよね」

 千早は肯定も否定もしなかった。ボクの名前を呼んだあとにただ、一言。

「萩原さんは、死んでない」

 それだけ、その一言だけを呟いた。それだけなのに、今のボクにとってはあまりにも重くて、抱えきれなくて。一度聞いただけでは、理解できなかった。そしてそれは誰に向けてでもなくて、誰でも受け取れるような言葉。

「私の中に、真の中に……春香の、律子の、亜美の、真美の、あずささんの……みんなの中に、萩原さんは生きてる」

 ボクはきっと独占していたかった。あまり知らない雪歩のことを、得ている少ない記憶と知識の中で、自分だけの存在にしてしまおうと、きっとそんなことを思っていた。

「だから、乗り越えなきゃいけない。萩原さんは私達の中であまりにも大きすぎるけれど、ここで立ち止まっちゃいけない」
「……進まなきゃ、いけないってこと?」
「――そうね」

 千早は間髪入れず、”どうするべきなのか”を口にする。

「私達はこれから、萩原さんの分も一緒に進んでいく必要がある。私達だけでは、完結しない」

 だって萩原さんは、私達に生かされているのだから。
 馬鹿なボクには、その言葉がどういう意味なのか、明確には分からなかった。だけれど、ボク達が雪歩と「一緒に」、雪歩が見ることの出来なかった世界に到達することが、彼女の人生を完結させてあげることに必要なファクターなのではないかと、そんなことを考えた。

「……真は明日も、出られるの?」
「……うん」

 明日。
 明日の朝が、雪歩と一旦お別れする時だ。みんなの記憶の中に、雪歩を留めておくための行為。雪歩を独占せず、共有し、そして彼女の想いを受け取る。

「それなら良かった。律子も竜宮小町の仕事をキャンセルしたって言うし、全員で見送りが出来るわね」
「そうだね。……雪歩との思い出、もっと欲しかったな」
「思い出?」

 住宅街を抜けて、寂れたロータリーと開いたままの踏切が視界に入り込んでくる。飲食店も何もない。

「まだ雪歩と話したかったし、仕事したかった」
「……そうね。それはきっと、みんな同じ想いなんだと思う。私も、そう思うから」

 これは。こればっかりは、どうすることも出来ない。雪歩の夢をボクたちが叶えることなら、ボクたちの努力次第で実現が見えてくるけれど、雪歩との思い出を増やすことは、もう。
 残された人は、今までの思い出を振り返りながら、笑ったり泣いたりして懐かしむことしか出来ないから。

「いつかは私達も、萩原さんの待っている場所に逝くのよね」

 千早が立ち止まる。横を歩いていたボクの足も、思わず止まった。

「私達は、これからどんな人生を歩むのかしら」

 ボクや千早が生きている時間――これからの人生を、雪歩はもう共有できない。
 その時間を、向こうの世界に逝った後にどれだけ埋められるのか、それはボクたちがこれから積み重ねていく経験にかかっているんだ。

「……千早」

 ボクが歩き出すと、千早もゆっくりと歩を進めだした。調整しなくても、いつしか横に並んで、同じ歩幅になる。
 千早は何も言わずに、ボクの言葉を待ってくれていた。

「ボク、雪歩にお土産話、いっぱい持って行きたいって思ってるんだ」

 だからさ。

「その時に永遠に話せるような思い出を、これから作っていこうよ」

 765プロとしても、一人の友達としても。彼女をまだ、喜ばせたいから。笑顔にさせてあげたいから。

「……ええ!」

 差し出された千早の手と、ボクはそっと手を繋いだ。