★シャッフルSS第2弾★


美希「ねぇ、律子……さん。 何か欲しいものってある?」

ふと後ろから声が掛かってきて。
振り向いたらソファから体を乗り出す美希の姿があって。

律子「…………、手の掛からない美希かしらね」

なんて、意地悪を言ってみたりして。
いつもの美希の「むー!」って頬を膨らませながら文句を言ってくるのを期待してたのに。

美希「………………わかった」

そう、美希は答えた。 答えてしまった。
いつもと違う声色を感じて、とっさに振り向いたけど、
ソファから乗り出した美希の姿はそこに無くて。

かわりに、視界の端で事務所の扉が閉じるのを見てしまった。

律子「美希……っ!?」

扉の窓の向こう側で、美希であろう影が一度揺れて消える。
なんであんなことを言ってしまったんだろう。
後悔が泥のように体の内側から漏れ出るのがわかる。


そして私は、今思えば、何故あそこで追いかけて説得しなかったのか。
ただただ立ち尽くして止まる事を知らない泥を押さえつける事に躍起になっていた。


それからたった数日が経過してからのこと。
もっと早く気づけば、事態が軽く済んでいたかもしれないこと。


美希が最近、事務所や仕事の合間に居眠りをしなくなったらしい。
別段、行儀が良くなった訳でも今よりももっと精力的に活動に取り組んでるわけでもない。
けど765プロのみんなが口を揃えてこう言う。

「美希が、美希ちゃんが、美希さんが居眠りしなくなった」って。

自分の耳を疑った。 まさか、いや、もしや。
なんて誰が聞くわけでも無いのに自問自答を繰り返す。
心当たりなんて、一つしか無いのに。

なのに私は、目の前の仕事に囚われて美希の事を考えられずにいた。
竜宮が軌道に乗ってきたのもあり、スケジュール帳にも文字が並ぶようになっていた。
その忙しさにかまけて美希の事を頭の片隅からすらも放り出していた。

今日も営業に次ぐ営業、挨拶回りに揉まれ、足に乳酸をこれでもかと蓄積して、
そのまま帰宅しベッドに身を投げ出して眼鏡も取らないまま寝る。
不健康極まりない生活を何巡か続けて、ようやく仕事が落ち着いてきた。

竜宮のみんなにも均等に休みが取れてまさに順風満帆といった所だった。
けど、それは違った。

こうやって私の仕事が滞りなく進んだのも、彼女のお陰だと言う事に気づけなかった。
あの子がこっちに負担を掛けずにいてくれたから私はここまで来れたのに。





美希が、倒れた。

仕事が終わって、控え室で着替えをしているうちに、糸が切れたように倒れたと聞く。
しかも、私の仕事が落ち着いてきたタイミングで。
まるでそれを解っていたかのように。

その連絡を小鳥さんから聞いて、最後まで聞かずに大急ぎで病院まで駆けてった。
営業で鍛えられた足も悲鳴を上げるほど長い道のりで、速く走った分寒さも体に突き刺さる。
一歩一歩地面を踏みしめる度に、心臓の慟哭が体の先にまで届く。

けど、そんな事は瑣末なものだった。
酸素不足で視界が霞んでも、疲労で足がぐらついても、
早く会いに行きたいという気持ちが私をただひたすらに突き動かす。

やっと病院に着いたと思えば部屋の番号を聞いてないわ、
「病院内で走るな」と看護師の人から怒られるわ、あの子に見られたら茶化される、なんて心のどこかで思いながら。
エレベーターも待たずに階段を一段飛ばしで、出来るだけ、出来るだけ早足で美希の病室へ靴を鳴らす。

律子「美希っ!!!」

ノックもせずに引き戸を開ける。
個室だったみたいで、相部屋の人に直接的な迷惑にはならなかったものの、
ノックもしない、大声で人を呼ぶなんて、思えば最低な行為だと思う。

荒い息も正さないまま、殆ど走りながら瞳を開けない美希に近づく。
仰向けのまま白雪姫のように眠っているものの、か細く、しかし確かに呼吸をしているのを確認し、
「あぁ、きっとまだ眠っているのか、起こしてしまわなくて良かった」
なんて思っていたら。

美希「んもう……、そんな騒がれたら寝るにも寝られないの」

頬を一瞬膨らませたかと思えば口を開いて吐息交じりに悪態をつかれる。
白雪姫が王子様のキスも無しに目を覚ます、なんてあって良いのだろうか。
毒林檎を食べさせた老婆の立場になったかのように目を白黒させてると、

美希「……どうしたの?」

あちこちへ意識を飛ばす私の瞳を、怪訝な表情で見つめてくる。

律子「み、美希起きてたの……!? いえ、体は大丈夫なの!?」

美希「うん、寝不足だって。 確かにミキ的にはハードなお仕事だったの……」

私の心配をよそに、大きく伸びをしながらそう答えると、
「あふぅ」と一度だけ欠伸をした。

律子「寝不足って……。 な、なんで……」

逃げるように「なんで」と使う。
だから解ってるんだって、その「なんで」の理由。

美希「………………」

美希は俯いて言葉が上手く口から出ないように見えて。
私が作ってあげなきゃいけない、美希が話せるようになる状況を。
美希が頑張った分だけ私が勇気を出さなくちゃいけない。

律子「もしかして……。 うぅん、やっぱり…………」

なのに、上手く言葉が出せなくて。
喉に茨が突き刺さっているかのように言葉がつっかえる。
仕事以外のことになると、まるで赤子のように何も出来ないんだから、と自らを責める。

美希「……………………ごめんね」

錆びた楔を少しずつ抜くように、搾り出すように一言。
もう少しで聞き逃していたかもしれない、小さな小さな心の声。

律子「………………え?」

美希「結局、迷惑掛けちゃった。 律子……さんのお願い聞いてあげたかったのに」

律子「そんな事……!! 私が悪いの、私が……」

美希「ううん、ミキいっつも怒らせてばっかりだから、何かしなくちゃって思ってたの」

律子「美希………………」

あぁ、この子は

美希「でも、流石にムリしすぎたってカンジ」

なんて、こんなにも

美希「あはっ、雪歩じゃないけど……、ミキ、ダメダメだね」

気づけば、美希を抱きしめていた。
真っ白なシーツに包まれたベッドに乗り出して。

向こう側に見える花瓶に一本だけ活けてある花は、既に生気を失い項垂れかけていて。
抱きしめた美希の体は、心なしかいつもよりも小さく思えた。

美希「…………? 律子………………?」

一際強く抱きしめる。
美希の肩に顔を埋めて一言こう呟いた。

律子「ごめんね…………」

美希「え…………」

律子「ごめんね、ごめんね美希…………」

美希には見えないように涙を流す。
でも気づかれてる。 声の震えが止められないから。
瞳から零れる涙が美希の肩から背中へと流れて服へ染み込んでいるから。

美希「ち、ちが、違うよ? 謝るのはミキで律子じゃ…………」

私の背中に手を回し、割れ物を扱うように撫でさする。
その撫で方はあまりにも不器用で、けど精一杯慰めようとする気持ちが何よりも伝わって、
それがなんだかとても情けなくて切ない気持ちを助長させる。

律子「ごめんねぇ…………」

美希「…………う」

美希「ううぅううぅうぅう…………」

律子「ごめんね美希、ごめん………………」

美希「ごめんなざい……ごべんなざぁい…………」

気づけば二人ともボロボロ涙を流していて、
美希はアイドルとして恥ずかしいくらいに鼻水を垂らしながら泣いて、
私はすっかりお化粧が崩れてしまっていた。

今この病室に居る人間は、大人気アイドルでもプロデューサーでもなく、
ただただ流れる涙を抑えることの出来ないたった二人の女の子。
そしてそれを見ているのは窓の向こう側の景色だけだった。