1: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:23:08.38 ID:kj2COS900
春香「雰囲気が好きなんだよねぇ」
真「うん、いいお店だね」
ボクは765プロという事務所に所属して、アイドルをやっている。
その事務所から電車で2駅ぐらいのところにある喫茶店に、友人のアイドル・春香と一緒にやってきていた。
店員「こちら、メニューになります」
真「あ、ありがとうござい……」
店員「……? あの、なにか?」
真「い、いえっ! なんでもっ」
店員さんからメニューを受け取ろうとして、手が何度も空を切った。
春香が苦笑いをして、メニューをかわりに受け取る。
2: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:25:22.00 ID:kj2COS900
春香「あのバイトの店員さん、この間私が落としたお守り、取っておいてくれたんだ」
真「へ、へぇ……そう、なんだ」
春香「真? どうしたの?」
真「いや……なんでも」
窓際の席、横においてある観葉植物を撫でる。
ボクは、初めて自分の耳が赤くなっていく音を聞いた。ような……気がした。
春香「……暑いの?」
真「ううん、大丈夫。メニュー、見ようよ」
春香「それもそうだね」
3: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:27:43.27 ID:kj2COS900
真「うーん、どれがおいしいの?」
春香「私は、いつもアイスティーとレアチーズケーキだよ。
すっごく合うんだぁ」
真「じゃあ、ボクはそれで」
春香「私も、いつものメニューにしようっと。……すみませーん」
店員「はい、少々お待ちください」
男の人だけれど、少し高めの声。
店員さんは、そんな声だ。
春香「レアチーズケーキと、アイスティー2つずつ。以上です」
店員「かしこまりました」
店員さんが真横で注文を伝票に書いている間、
ボクはずっと俯いていた。木のテーブルの模様を目で追っていた。
4: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:29:18.18 ID:kj2COS900
春香「……真、もしかして体調悪いの?」
真「へっ? い、いやいやっ! ぜーんぜん。元気は、有り余ってるよ?」
春香「それにしては、あんまり元気そうじゃないけど……」
真「気にしないでっ」
春香「そう? ……事務所じゃあ、普通だったもんね。大丈夫か」
真「そうそう」
春香「そういえば、ついに来るらしいプロデューサーさん、明日の午後だって」
6: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:31:36.53 ID:kj2COS900
真「へぇ」
765プロダクションは、アイドル候補生が多い中、
社長の気に入るプロデューサー候補が居ずに、ほとんどがデビュー出来ずにいた。
春香「はやく私も、竜宮小町みたいになりたいなぁ」
竜宮小町というのは、同じ事務所で早くデビューしたユニットだ。
伊織、あずささん、亜美。プロデュースは、元アイドルの律子が行っている。
真「そうだね、歌を歌って、踊って、いっぱいテレビに出て」
春香「美希の言葉を借りるなら、”キラキラ”したい」
真「そうだねぇ。美希は多分、プロデューサーが来たらすぐにデビューできると思う」
7: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:33:24.52 ID:kj2COS900
春香「美希は才能があるけど、やる気があんまり……」
真「やる気さえあればなぁ」
春香「ヘンにやる気があって、他に移籍とかされても困るけどね」
真「ははっ、確かに」
アイドルの事務所に入ったはいいものの、プロデューサーが居なければ
オーディションに出るための曲も、衣装も、決められない。
ボク達は正直、困っていた。
8: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:35:53.72 ID:kj2COS900
店員さんがやってきて、アイスティーをボクの目の前に置く。
春香は、アイスティーを置かれて軽く会釈をしていた。
店員「お待たせしました、アイスティーです。ケーキは、もう少々お時間をいただきますね」
春香「はーい」
店員さんがペコリと一礼して、離れていく。
真「……顔が、見らんないや」
春香「……ねえ、真。もしかしてさ」
真「うん?」
春香「あの店員さんに一目惚れでもしちゃったんじゃないの?」
春香はいたずらに笑う。”冗談”を言ったつもりなんだろうか?
9: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:37:25.43 ID:kj2COS900
これは一目惚れなのかな。
真「わかんない、わかんないけど」
春香「……」
真「わけが分からない、胸の痛みってヤツがさ」
春香「…………あるの?」
真「うん」
春香「…………」
春香がストローを使って、アイスティーを一口。
10: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:39:34.54 ID:kj2COS900
春香「……そっ、か」
真「……ボク、普段こんな気持ちにならないんだけどねぇ」
春香「……恋、だと思うよ」
真「正解がないと、安心出来ないんだよね。どんなことにも」
春香「……正解?」
アイスティーの味が口の中に広がる。
ほんのりと、レモンの香りがした。
真「……これって、恋なのかな?」
他のお客さんの上品な笑い声が聞こえる。
11: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:42:07.13 ID:kj2COS900
春香「……私は、分からないな……。ごめんね、真」
真「いや、いいんだ。ボクもよくわかってないし」
春香「あっ、来たよ」
真「…………」
店員さんがやってきた。顔は見ていないけれど、
腰の辺りに付いている『マキハラ』という手書きのネームプレートがある。
店員「お待たせしました、レアチーズケーキです」
先に、ボクの目の前に置かれた。相手の顔も見られずに、軽く会釈をする。
春香は店員さんの顔をちらっと見ていた。
12: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:43:37.77 ID:kj2COS900
店員さんが去って、春香が「真」とボクを呼んだ。
真「……なに?」
春香「顔、見られた?」
真「いや……見てない」
春香「どうして……」
真「なんだか、恥ずかしくて……」
春香「ていうか、顔も見ていないのに一目惚れしたの?」
真「声、で……」
13: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:45:14.54 ID:kj2COS900
春香「声……」
真「……いいよ、別に」
春香「良くないよ!」
真「食べよう? ケーキ」
春香「むぅ…………いただきます」
真「いただきます」
フォークを手にとって、さくっと切る。
一口。
甘みが口の中にスッ、と入ってきた。
上品な甘さだ。
14: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:47:19.46 ID:kj2COS900
春香「やっぱり、美味しいなぁ。このケーキ」
真「うん、美味しいね」
春香「真、また一緒に来てくれない?」
真「もちろん」
春香「店員さんもいるし」
真「…………」
急に恥ずかしくなった。
真「恋をするつもりなんて、これっぽっちも無かったから」
自分の心に覚悟がないんだ。
春香「……そういう時に限って、恋しちゃうもんらしいよ。学校で友達が言ってた」
15: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:49:37.19 ID:kj2COS900
アイスティーとレアチーズケーキは、おしゃべりと共に消えていった。
春香「そろそろ、出ようか。事務所に戻ろうよ」
真「そうだね。お仕事はないけれど……」
春香「もー」
真「あっ、これお代ね」
春香「うん。じゃあ、2人分払っちゃうね」
春香と外食をした時は、ボクの分を事前に春香に渡すのが、
なんとなくのルールになっていた。
意識したこともなかったけれど、今回はとても助かる。
あの店員さんにお釣りを渡されると、手が震えてしまいそうだ。
……顔も見ていないのに、おかしな話で。
16: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:52:02.04 ID:kj2COS900
春香がレジに立っているのを、喫茶店の入口から見る。
ふと、携帯電話に手が伸びた。
カメラ機能。ボクはほとんど、使ったことがない。
レジを打つ横顔だけでも、収めたい。
シャッターに指を伸ばす。
画面に店員さんが写って、少し手が震えた。
それと同時に、小さな小さな、シャッター音がした。
店員「ありがとうございました」
春香「また、来ます」
春香がこっちに向かってくる。
17: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:54:29.02 ID:kj2COS900
春香「お待たせ」
真「うん」
携帯の画面を見る。先ほど撮影した写真を、見る。
……使い方を知らなかったから、ピンぼけだった。
春香「……? それは?」
真「……店員さんと、春香」
春香「写真撮ったの?」
真「ピンぼけだけどね」
春香「……なんだか、真がとっても可愛く見えるよ」
18: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:56:15.18 ID:kj2COS900
真「へっ!?」
変な声が出た。
駅の改札が見えてくる。
春香「恋する乙女、って感じじゃん」
春香は冷やかすように、甘い声だった。
真「あはは……」
ボクは携帯のふたを、ゆっくりと閉じた。
19: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 22:58:49.77 ID:kj2COS900
その後、事務所でも、家でも、あの写真を見ていた。
ピンぼけで、顔は見えない。あの時、少しだけ見た横顔から、
脳内で勝手にモンタージュを作る。
……見ていないから当たり前だけど、思い出せない。
恋をしているのだろうか。
恋をしたことがないから、分からない。
分からないけど……。
――もう一度、あの店員さんに会いたい、って思った。
次の日の朝、ボクは事務所に寄らず、直接喫茶店に行ってみた。
10時。春香は昨日、このお店は9時半からやっていると言っていた。
20: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:01:06.14 ID:kj2COS900
ドアを押して、店内へ。
若い女性が「いらっしゃいませ」と、席へ案内してくれる。
店内を見渡す。若い男性の店員さんが居なかった。
真「すみません」
女性店員「はい」
真「アイスティーを、ひとつ」
女性店員「かしこまりました」
真「あと……すみません、マキハラさんっていう店員さんは」
女性店員「マキハラ君は、昨日で辞めちゃったんですよ。
お仕事の出来る人だったから、大変です。……お知り合い、ですか?」
真「い、いえっ!」
21: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:03:11.21 ID:kj2COS900
女性の店員さんの「ごゆっくりどうぞ」という声は、あまり響かなかった。
ほとんどお客さんの居ない、店内。
モーニング用のメニューがテーブルにおいてある。
真「はぁ……」
思わず、溜息が漏れた。
ボクのハートを盗んだあの店員さんは、もうどこかへと行ってしまった。
運ばれてきたアイスティーを、考え事をしながら4分ほどで飲み干し、
ゆっくりと店を出た。
22: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:05:02.18 ID:kj2COS900
ホームで電車を待っていると、携帯が震えた。
春香からの着信だ。
真「もしもし」
春香『もしもし、真? 今、どこ?』
真「駅だよ。これから、事務所に行くよ」
春香『今日は新しいプロデューサーさんが来るんだからねっ!』
真「ああ、そうか」
今日だ、プロデューサーが来るのは。
すっかり忘れていた。それほどまでに、店員さんのことで頭がいっぱいだったんだ。
23: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:06:31.80 ID:kj2COS900
春香『事務所で、待ってるからね』
真「うん」
電話が切れる。
携帯のふたを閉じると、電光掲示板の文字が変わり、接近音がした。
……忘れよう。
そのほうが、きっといいんだ。
24: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:08:12.40 ID:kj2COS900
事務所に着くと、新しいプロデューサーに心躍るアイドルたちが
いろんなところで騒いでいた。
真「おはよう」
千早「おはよう、真」
美希「あ、真クンなの! おはよー!」
春香「おはよう」
真「……新しいプロデューサー、って言うのは?」
春香「もうすぐ、社長に電話がかかってくるよ」
亜美「メッチャ楽しみだよねっ!」
25: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:10:30.77 ID:kj2COS900
社長「時間的には、ちょうど……おっ、かかってきた!」
やよい「うっうー! 楽しみですっ!」
雪歩「で、でも男の人なんだよね……」
響「大丈夫さー。雪歩なら、すぐに慣れるよ」
社長「うん、うん……うん? キミぃ、そこは違うビルだよ。いいかね、
そこで待っているんだぞ! すぐに迎えに行く!」
貴音「高木殿。わたくしも、同伴してもよろしいでしょうか?」
美希「ミキも、早く会いたいって思うな」
社長「うん、いいぞ。では、全員で行こうか」
26: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:12:50.00 ID:kj2COS900
社長「あー……でも、事務所を開けるのは……。
音無くんは買い出しだから、音無くんが帰ってきた時に誰もいないと、少し……」
真「じゃあ、ボクここで待ってますよ」
社長「え、いいのかい?」
真「ええ。……来たばかりで、動きたくなくて」
社長「では……留守番を任せてもいいかな?」
春香「真ー、一緒に行こうよー」
真「あはは、ボクは疲れてるから、ちょっとここで待ってるよ」
社長「では……頼むよ。みんな、行こう」
真美「レッツラゴー!」
伊織「どんなやつかしらね」
27: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:13:55.71 ID:kj2COS900
律子「やーっと、楽になれるわ……」
あずさ「律子さん、手をつないでも……?」
律子「もちろん、むしろ繋がせて下さい、迷っちゃいますから!」
ドアが閉まる。一気に、静かになった。
真「……ふぅ」
ソファに深く腰掛け直すと、眠気が襲ってきた。
少し、眠ろうか。
28: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:15:55.57 ID:kj2COS900
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
この間社長がつけたばかりの、真新しいインターホン。
それで、目を覚ました。
どうしよう、来客だとしても、ボクだけだ。待ってもらうしかないのか。
真「はーい」
『すみませーん、今日からここでプロデューサーをやらせてもらうんですけどー』
ボクの好きな声だ。
真「えっ? あの……さっき社長が迎えに行ったはずじゃあ」
『なんだか着いちゃったので……』
真「とりあえず、開けますね」
『お願いします』
29: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:18:05.90 ID:kj2COS900
ガチャリ、とドアを開ける。
そこにいたのは…………。
P「今日からここでプロデューサーをやります、マキハラです。
って……あれ、キミは」
ボクがモンタージュに失敗した……。
P「……昨日、あの喫茶店に居なかった?」
横顔すらも写真に収められなかった……。
真「……はい、居ました」
P「ああ、やっぱり。可愛いお客さんだ。そうか、アイドルだったのか」
ボクのハートを盗んだ犯人は、微笑んだ。
30: ◆K8xLCj98/Y 2013/03/25(月) 23:19:26.03 ID:kj2COS900
原曲は槇原敬之の「モンタージュ」です。
後半の展開は歌詞から多少それてますが、許してください。
真は恋する乙女が一番似合うと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。
元スレ:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1364217787/
コメント